体調が悪かった頃。 | さくらの調子こきブログ(^^)/

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はじめまして☆
さくらと申します(^^)/
私は統合失調症という病気です。今は、寛解して専業主婦として何とか生活しています。アラフォー。
全然お洒落じゃないけど、ファッションがぼちぼち好きです。

こんにちは

今日は私が統合失調症で体調が悪かったときのことを書こうと思います。
病気のことにご興味がない方は、長いですし、読まない方が良いかなと思います。


昨年、引っ越しをしました。
引っ越すということで、通っている精神科の病院も転院しました。

診断は「統合失調症でもなく、躁うつ病でもなく、気分の波」ということでした。

どこかで私は自分は統合失調症ではないのではないかと思っていたので、この診断が少し嬉しくもあり、戸惑いもありました。

私は主治医の言う通り、薬を飲みました。
薬が今まで飲んでいたルーラン、セレネースから、デパケン、レスリン、リーゼなどに変わりました。

病院が変わって、最初の頃はそれほど変化はありませんでしたが、徐々に色々な問題が出てきてしまいます。

まず、死にたいという強烈な思い。

これは今思うと何故そんなことを本気で思っていたのか、病気の怖さと共に、不思議でなりませんが、本気でそう思っていました。

今は合っている薬を飲んでいるので、そんなこと微塵も考えず、毎日幸せに生活しています。
環境や状況は全く変わっていないというのに、薬と医師の違いで天と地程の差があります。
病気と、医療の恐さを痛感しました。

そのときの医師に死にたいと強く訴えても、呆れられ、薬をあまり変えてくれませんでした。
そして、夫が「前に飲んでいた薬(ルーランとセレネース(主に統合失調症の薬))に変えてほしい」と言うと「その薬は古い薬だから出せません」と、ルーランを少量しか出してもらえませんでした。
そのルーランの量では全然足りず、症状はほとんど良くなりませんでした。

家事が全然出来ないどころか、周りの人と会話が出来なくなってしまい、意思の疎通が変になっている時期もありました。
文字も書けないし、瓶の蓋を閉めることを30分以上やって、結果閉められないということもありました(恐い)
目の異常な速さの動きや(黒目がビュッビュッと動く)手をにぎる奇妙な動きをしてしまう、表情、顔立ちが変わってしまう、独り言を言ってしまうなど、見た目も変わり果ててしまいました、、。
ほとんど食べられない寝られないからどんどん痩せていったし、、。

顔が変わってしまい、何かに取り憑かれたのかと思い、私の看病で精神状態が最悪の主人は、神社にお祓いに行こうと言いました。二箇所でお祓いをしてもらい、不思議なことに、結婚式を挙げた神社でお祓いをしてもらった後、少し体調が良くなりました。

まだあります。
自分の考えが、言わなくても主人に伝わっていると思い込んだり、パトカーの音が聞こえたり、ニュースを見たりすると、自分が捕まるんだと本気で恐くなったり。

そんな状態の中、そのときの主治医は
「そんな重い人は診れないから、紹介所を書くから入院したら」と言いました。

ひどい〜。

でもこのことがターニングポイント、まさに雨降って地固まるで、転院した大学病院の先生の適格かつ、迅速な判断で、たった1ヶ月でみるみる良くなっていったのです。

前の前に通っていたクリニックでは統合失調症と診断されていて、それなりに体調は安定していました。しかしほとんど家にいて、良い生活とは言えませんでした。

前の前のクリニックのときよりも、ルーランの量が増え、劇的に回復していったのです!


今回のことで、重複しますが、本当に病気と医療の恐さを痛感しましたし、服薬や薬の調節、病院選びの大切さを改めて知りました。

それに加えて、統合失調症は、生活のリズム(昼夜逆転をしない)バランスの取れた食事、適度な運動、適度な人間関係、その他の適度な活動などが回復にとても大切な病気であるとも知りました。

また、これまでも今も、家族がどれ程支えてくれ、尊いものであるかということも学びました。

家族にとって、私自身もそんな存在になれるよう、努力していこうと心に決めました。

そして、今回の私のように、薬や充分でない医療のため、病状が悪かったり、今ひとつ回復しない患者さんがたくさんいるのではないかということを考えるきっかけにもなりました。

ひどい目に遭ったけど、今、こんなに元気に生きていることがとても幸せですし、支えてくれた家族に感謝の気持ちでいっぱいです。

これからは私が、家族や、力になってくれた周りの方に恩返しをしていきます。


長くなりましたが、駄文、お読みいただきありがとうございましたニコニコ


これにて完です!!