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ニコニコノコノコ

銅版画とアート、街で見つけた面白いコト、猫、占い、夢日記など、愛とクリティックに満ちた個人のブログ。

ドラマ「過保護のカホコ」は、最初、役者の演技の面白さもあって、

これは面白いドラマ来た!と思って見続けていたんだけど、

バァバがもうすぐ死ぬ話になってから、家族の物語の色が濃くなって、

しかも大家族で人数が多いことで、なんかこう、最初にあった

面白さがどこかに行ってしまった感がある。

ラブコメだと思ったんだけど、実は家族モノだった、という。

橋田寿賀子かよ。という。

 

「過保護のカホコ」の面白さは、過保護に育てられたカホコの

キャラクターにあったと思う。一種の稀有な個性が際立っていた。

そこに絵を志す青年が現れて、次々に新しい風を巻き起こすことで、

カホコが成長していく物語、になる、という展開を期待していた。

 

だいたいその通りになっていったのに、

バァバがもうすぐ死ぬ話あたりからは、カホコよりも、周りの登場人物の個性にフォーカスして、カホコがその間でてんやわんやするという、ありがちな家族ドラマになり下がった感が否めない。

 

お話としては、最後にバァバの実家を新居にして、

絵描きの青年は絵を売って暮らす、という、

平和な雰囲気にまとまって、まぁ良かったのだけれども、

結局、親の実家をもらい受けて、家賃を払わなくて良い身分のまま、

旦那はこれからどうなるかわからないけど、

将来はすっばらしい画家になるかもしれない、という状況。

 

お嬢様が家族の反対を押し切って、身寄りのない絵描きと結婚して、

実質的にパトロンになってあげた、という話であった。

青年は実にうまくやったな。

という感想になってしまった。

 

親に反対されても結婚して自立した話っぽくなってるけど、

全然自立してないし、過保護のままなので、

なんのためにこのドラマを見続けてきたんだかなぁ、

という気分になってしまった。

 

最終回というのは、たいがいつまらないことになると、

経験上わかっていたけど、役者の演技が面白かっただけに、

今回の残念さには、ちと文句のひとつも言いたくなる。

 

じゃ、お前が脚本書けよ、と言われたら、無理なのだが、

登場人物全員を面白くする必要はなかったんじゃないかな、

とか、いろいろ思ってしまうよ。

 

チェロの女の子も、最後はいきなり髪形も服装も戻っていて、

「そりゃないだろ」とツッコミたくなったし。

 

とはいえ、テレビドラマの脚本は、小学校3年生にもわかるように

作られているものだと、どこかで言っていたから、

それでいいのかもね。

 

話は変わるが、私はほとんど小説を読まない。

本を読むのは、時間がかかる作業だし、

読み方は人それぞれあるだろうけど、

自分の場合は、文章をしっかり読むほうなので、

多分、普通の人よりも時間がかかる。

頭の中で常にビジュアルを描きながら読むせいかもしれない。

 

で、最後まで読んだら、感動したり、できたらいいのだが、

作品によっては、読み終わって「なんだかなぁ」なこともあるので、

そういう場合、費やした時間が無駄になる。

無駄が嫌いなので、小説は読まないのである。

 

確実に感動させてくれそうなものは、たいがい売れて、

ドラマや映画になるだろうから、好んで映画やドラマを見る。

 

読書ほど集中しなくていいし、ドラマなら毎週1時間、

映画なら2時間と、時間も決まっていてよろしい。

 

しかし、毎週1時間を何度も繰り返してストーリーを追っかけて、

最後がガッカリするという体験を繰り返すと、

ドラマを見るのも無駄かな~、となってしまう。

 

ドラマには、

最終回で必ず感動させてくれる展開を期待したいのであります。

 

 

 

 

 

真顔なんだか、世の中が変わってきたよね。

と、感じるのは、この前の記事がもう2年も前だから…。

 

いろんなメディアがどんどん出てくるし、

インスタグラムとかもね、試してみてます。

 

そうそう、ようやく2015年の暮れにスマホにしたのです。

使い始めてみれば、もっと早くデビューすればよかったなどと

思ってみたりするもんですね。

 

ガラケー時代に比べると、

バッテリー切れは早いわ、プッシュ通信は激しいわ、

格段にうっとおしくなっているのですがね。

いろんなことができて便利ですわ。

 

ガラケー時代には、スマホを手放せなくなっている人たち、

とりわけ電車内でスマホから目を離せなくなっている

うつむいた人たちを適度にさげずんでいたものですが、

今や自分が電車内ではうつむいています。

 

今年の暮れでスマホも2年選手。

タブレットも使っているし、もう手放せない。

 

ミサイルも飛んでくるようになった。

世の中は常に変化している。

 

五輪エンブレムのパクリ問題が、
ほぼデザイナーの盗作常習犯確定の様相。

てことは、また白紙ですかい?

国のやるプロジェクトがことごとくグダグダなのは、
なんでですかね?

多分、デザイナーという職業は、著作権に抵触しない程度に
あっちこっちからパクる能力が高い方が、
効率的に仕事をこなせるし評価も高くなるものだと思う。

よく言う「引き出しが多い」という才能。

但し、素人に見抜かれるようではダメ。

どこからソースを持ってきたのか
誰にも分からないくらいでないと。

五輪エンブレムの一件で、
「引き出し」勝負タイプのデザイナーの人たちは、
戦々恐々としてるかもしれない。

昔、ベテランデザイナーの事務所に行った時、
書棚に珍しい海外のデザイン雑誌がぎっしり詰まっていて、
興味を持って「この雑誌はどこのですかー?」と聴いたら
「それはボクのアイディアのモトだからあんまり見ないで」
ってけん制された。

バレない所からパクってるんだなーと直感したが、
そんなもんだ。

その時お願いしていたロゴデザインのソースも、
きっとあの雑誌の山のどこかに、同じものが
あったりするんだと直感した。

でも、そんなの関係ない。
仕事がうまくいけば、それでいい、みたいな流れは、
確実にあった。
多少のパクりは、容認されるような。

バレない嘘は美しい。

私は、どういうわけか、
どこからパクってきたか偶然発見することがよくあった。

古本屋をしていた時に仕入れた古い海外版PLAYBOYの中に、
自分の持っている本の表紙絵と
そっくりの写真を発見して驚いたことがある。

おそらく描いた作家は、
パクりソースが発見される可能性はほぼないと確信してたろう。
まるっきり写真のパクリでも表紙を飾るくらいの作家として
成立しているので、真似真似作家でも
世の中やっていけるんだなーと、
イヤな確信をしたのは、高校生の時だったな。

海外版PLAYBOY見てんじゃねーよ、という年齢ではあるが。

持っていた本の方は、中高生向けっぽかったな。
そりゃバレないさ。

古い海外版PLAYBOYは、もちろん女性の写真がいろいろあったが、
その他のページのイラストなどがハイレベルで、
とてもカッコよかったのだ。

女性のヌード写真もアートっぽくコラージュしたものとか、
センスが良いので切り抜いてスクラップしたりしていたものもあった。

漫画を読んでいて、登場人物の服のデザインが
自分が持っている「西洋服装史」という書籍の中の
図版の婦人が着ているものと同じであることから、
その漫画家さんもきっと同じ本を持っているんだろう、
と推測したりということもあった。
漫画の中にいくつかの引用があった。

この場合はパクりではなく、
時代考証的参考資料とか引用になるのかな。
実に細かい発見。

パクろうって人は

「どこで誰が気が付くかもしれない」

ということをもっと真剣に怯えたほうがいい。

必ず気が付いてしまう人はいる。
ただ、気が付いても告発したりしないだけで。

今回のパクリ騒動は、ベルギー人から訴えられたキッカケで
「そうそう前から気が付いていましたよ」っていう人たちが
声をあげただけのこと。

五輪のデザイナーだけではなく、世の中パクリだらけだと思う。
バレてないだけで…。

どこからが罪深いのか基準がよくわからないけどね。


パクリダメ

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