
サリエリであります。
前の記事に書いた「アマデウス」の主人公サリエリ。
主人公はモーツァルトとサリエリで、
話は老人になったサリエリが精神病院の一室で
若い神父に“いかに私がモーツァルトを殺したか”を
話すところから始まる。
サリエリは、出会う前からモーツァルトに
憧れを描いていたが、出会ったモーツァルトが、
あまりにも下品な礼儀知らずの高慢男だったことで、
腹を立てる。

神様は、なぜ天才をあんな男に与えたのか!?と、
神に問いかける。
サリエリの父親は音楽に興味がなく、
父親が亡くなったおかげで
サリエリは念願の音楽の道に進む事が出来た。
努力の人である。
一方モーツァルトは、幼い頃から
父親がマネージメントをして
すでに演奏会を開いては
その名を世間に轟かせていた。
サリエリは、告白の中で
モーツァルトの親の存在が妬ましかった、
と言っている。
最初から段違いの差があり、
もはや決して超える事が出来ない
天才に出会ってしまった。

▲変に高い声で笑うモーツァルト
サリエリの苦悩は、
おそらく誰でも味わう種類のものだと思う。
生まれながらの貧富の差、教育の格差、
環境の格差、親の質の格差、
さまざまな格差が今の日本社会でも
浮き彫りになってきているが、
どんなに謙虚に努力を重ね、
頑張ってみたところで、
最初から神様に愛されている人間には
かないっこない、そんな絶望感が、
今、巷にはあふれているのではなかろうか?
不公平だ、自分は何のために頑張ってきたのか、
などの理不尽さ、不条理感に苛まれると、
サリエリのように、神を捨て、
残酷に相手を追いつめたくなったりするかもしれない。
不穏な事件が多い背景には、そんな心理も
あるのではないか、などと考えてみた。
最初から超えられない格差に絶望し、
心が荒んでしまう人々を
「サリエリ症候群」
と名付けたい。
まぁ、しかし「アマデウス」は、
あまりにも昔の映画なので、
いまさら名付けてみてもピンとこないか(笑)。
で、検索かけたら、すでに
「アマデウス症候群」という言われ方が
普及しているみたいですね。
個人的には「サリエリ症候群」と言いたい感じ。
まぁ、どちらでもいいんだけど。
いまいちど「サリエリ症候群」的な現象を
見直す時代なのではないかな、と思います。
「アマデウス」見た事ない人は、
面白いので是非見てみてくださいネ。
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