エクトール・ソニエ一版多色銅版画展に行ってきました。
ヘイター刷りの極意を目の前にして
これはどうやって刷ったんだろう?と、一生懸命考えるが、
う~ん?と唸るばかり。
謎を解く探偵のように版画を鑑賞。
途中から、あぁイカン!と思って
楽しんで鑑賞することにしました。
それで思い出したんだが、一陽展の懇親会で知り合った今年の
版画の入賞の方が言っていた「技法はその人の企業秘密だから教えない」という論。
アトリエで作業していると、何かめずらしいことにチャレンジしていれば、
必ずそれは何?どういうこと?なるほど、へぇ~!って感じで、
みんなが興味を持つので技法を隠すなんて、できない。
実際、オガチさんがヘイター刷りなので、アトリエでヘイターへの関心がたかまり、
今年の工房展では、ヘイター系列の一版多色刷りが目立った。
私も例外ではない。
まぁ、自作ローラーを作るまでは真似できずに、みんなあがいてはいるが。
私は、ヘイターをやりたいなぁと思いながら、単純な一版多色刷りに落ち着いている
作風で、今年のEga展&一陽展に臨んだが、
黒にこだわるエッチングを主にしている人にとっては、色をたくさん使う多色刷り、
それも一版で、というのは珍しかったのかもしれない。
受賞したその人が、私の作品については「あえて技法は聞かない!」なんて言うから、
「へ?」と思ってしまった。
この方のそういうちょっと「戦うぞ!」という姿勢にはすごく好感を抱いたが。
私の入選作品は、作っているときにダンディがとっても興味津々に見つめていて、
使っているものについてまで聞いてきていて、
私は「あぁ、真似っこされるかもなぁ」と思ったけど、それはそれで、かまわないと思ってた。
同じことをしたって、表現は確実に違ってくることは間違いないしね。
なんなら材料をわけてあげてもかまわない。
技法を「秘伝」にするかしないか、そりゃ個人の自由だが、
私個人としては、技法はそんなに秘密にしなくても良いと思う。
むしろ、オープンにして、誰もがトライできる方が良いと思う。
その心はというと、技法以上に「感性」、というか、個人の持つこだわりの部分が
作品の完成度に与える影響が大きいと考えているからだ。
単に技法だけ習得しても
いいものができるか、というと、わからないものである。
とはいえ、自分が編み出した方法を駆使して他人が世に出て名が知れるのを見るのは
やはり不愉快であろうから、そのへんを考えると、やたらに己の技法を流布させるべきでは
ないのかもしれないが…。今後の課題である。
何でもやっていることが見られている仲間同士のアトリエでは難しいことだ。
著作権の問題にも似ているね。
文化的視点から考えると「技法の継承」っていう問題もある。
優れた技法は、誰かが受け継いで残していかねば失われるし、
芸術の存在とは何か?と自分なりにしっかりとらえていないと、
制作の姿勢そのものが揺らいでしまうであろう。
アートをしていく者にとっては、自分が何を目的にして何をする人間なのか、
そこをしっかり捉えられぬことには、この問題に明確な答えは出せないだろうな。
つまるところ、生きるという行為そのものがアートなのだ、と、私なぞは考える。
だから、すべからく人間は、その生き方にアートがあるのであって、
何かしでかすたびに悩むのが普通である。
悩まないアーチストというのが、たまに出てくるが醜悪であるし、すぐに消える(笑)。
それよりは、悩んだり悔やんだりしながら自分の存在と戦うアーチストが
私は好きである。
私は自身もアーチストであるが、、よりアートの友でありたいと思う心から、
多くのアーチストを応援したい妙な存在である(笑)。
