フランス、パリ、そしてルーブル。 | 添乗員 森田 世界の旅

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ハネムーン

5月12日、パリ19区で朝。

朝一番にエッフェル塔の写真を撮る。

パリ、フランス共和国の首都で人口225万人、

20の行政区に分かれ総面積は山手線の内側よりやや大きい。

市街地の外側西部にブローニュの森、東武にヴァンセンヌ

の森を入れたパリ市の総面積は東京23区の6分の一程で、

平らな盆地の中央をセーヌ川が流れ、

歴史の始まり、そして0㌔m地点であるセーヌ川の中洲シテ島

を中心に街は放射状に広がっている。

 

シテ島にローマ人がやってきて先住民であるケルト人をパリシイ

(田舎者)と言って追い出した。

5世紀末にゲルマン民族大移動後、フランク族の王クロヴィス1世は

パリをメロヴィング朝フランク王国の首都とする。

ドイツ(フランク)王カール大帝の時はその一地方になるも、

843年のフランク王国3分割後、西フランク王国と呼ばれた地に

987年フランス王国が誕生、パリはその首都となる。

以降カペー朝、ヴァロワ朝、ブルボン朝と(ヴァロワ朝の時代

には昨日行ったロワーヌ地域に城を持った王が多かったが)、

首都でありつづけ、フランス革命後の王政復古後もナポレオンも

国防政府(パリコミューン)時代も戦後もずっと首都である。

 

1682年にルイ14世がヴェルサイユ宮殿を建てるまでシテ島の北

セーヌ右岸に王宮がありそれがルーブル宮殿。

宮殿と言うよりルーブル城と呼ばれた12世紀の面影は地下に

少し残るが、

地上はルネッサンスな、

バロックなまさに宮殿である。そうここは巨大な宮殿

を利用し1793年に開館した世界最大級のルーブル美術館である。

古代のものから、

ギリシャ、ローマ時代から、

 

中世ロマネスクから、

宮殿だったのでそこにある王の肖像から、

ルネッサンスから

ルネッサンスから、

つむじまで、いやルネッサンスから、

開館後のナポレオンの時代にはそのコレクションは膨大な

数に膨れ、

美術品35000点、収蔵品380000点と言うまさに世界最大級の

美術館だ。

ところでここは写真が撮れるというのが良い、例え前の人の

つむじが写ってたとしても。

 

さて午後はヴェルサイユ宮殿、ここでもまた写真が撮れる。

フランスは懐も深い。