5月11日、午後のシャルトル。
シャンボール城近くのレストランにて
川スズキを白ワインとバターソースで頂く。
シャンボール城を出て127㌔、ロワーヌ川沿いに見た
丘陵に森は徐々になくなり再び車窓はどこまでも麦畑続く
大穀倉地帯のボース平野、
そのど真ん中に位置するのが世界遺産の大聖堂を持つ
シャルトルの町、人口38000人。
こちらは駐車場から見た世界遺産のシャルトルの大聖堂、
本名はカテドラルノートルダム。
日本語で言う大聖堂は、各町内会にあるといってもよい町の
教会とは違い、かのカソリックの総本山バチカンより送られる
司教の住まう(ミサを挙げる)教会で、教会でなく大聖堂
または司教座教会と言う。
チャーチとは言わずに
フランス、スペインではカテドラル、
イタリアではドーモ、ドイツ語圏ではミュンスターと言われる
教会は全て日本語で大聖堂となる。
大聖堂は司教区という宗教上の自治体で中世に歴史を発する
町にはほぼ100%大聖堂がある、
中世大聖堂なくして町はありえなかった。
なので、大聖堂の頭には町の名を付けここではシャルトルの
大聖堂と言う。
古くから司教座が置かれたシャルトルに1140年ロマネスクの
時代としてはきわめて高い105mの塔を持つ大聖堂が建設された、
直後1194年に大火に見舞われ右の塔を残し焼失、
直後に再建されたが時代はロマネスクから13世紀ゴシックへの
変換期にあり左右塔の形に違いがある(左のゴシックは113m)。
ゴシックといえばステンドグラス、
ゴシックといえばフランス、
祭壇には聖母マリアが天使達に持ち上げられ昇天する石像。
マリアは天に昇ったのか?解釈は各派違うがフランスでは
昇っている、マリア信仰にあつい地だ。
そうそう大聖堂にも町の名を付けなくては混同するが、
本名カテドラルノートルダムのこのノータルダムの名は
聖母マリアを指す、マリア信仰にあついフランスにはカノジョ
に捧げたノートルダム寺院で溢れている。
よってここはシャルトルのノートルダム寺院である。
特別なのはここにマリアの聖衣サンクタカミシアが十字軍の
イスラエル遠征時にもたらされた教会ということ、
ステンドグラスが全体的に青いのはマリアの衣が青いからだ。
そうここは巡礼地であり聖地である、
巡礼者がエルサレムへの道を現したモザイクの床をグルグル
回っていた。
大聖堂の裏手から見た、家並みと奥に広がるボース平野。
天気がよくこの町に入る13㌔手前からすでに見えていた
113mの鐘楼。
町を少し歩く、
ここもまた洗練された田舎の都会の面持ちだった。
さてそれではパリへと向かうべか、
90㌔先、我々の最終地へ。
後に見るパリの醍醐味に、今回立ち寄ったノルマンディー、
そしてロワール地方の洗練された田舎の美しさも
さらに際立った。