モンサンミッシェルの中。 | 添乗員 森田 世界の旅

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5月10日、モンサンミッシェル。

966年ノルマンディー公リシャールはイタリアモンテカッシーノ

よりベネディクト派の修道士を招き修道院を創設。

海と絶壁に囲まれ満潮時には海で覆われる島は防衛にも

最適で、僧侶は時に僧兵ともなった。

11世紀から12世紀にかけ巡礼者達が多く集まった島の

修道院にラメルヴェイユと言う名のゴシックの回廊が

出来た。

2本の細い柱が支えるアーチ部分には細かな植物のレリーフが。

僧たちはここを歩き瞑想をした。

教会の横に修道院と言うのはどことも変わりはないが、

修道院の回廊に面しあるはずの空間がここにはない、

山の上に建てただけにスペースはとれず、

食堂などは地下へと延びていく。45mの長方形の部屋に

長テーブルと長椅子を並べた食堂には59のゴシック窓から

明かりが差し込む。

訪れる巡礼者達も金のあるものないものがいて、こちらの

食堂は金持ちを通した。牛一頭丸焼きに出来るほどの

キッチンに巨大な煙突、壁には一面にタピストリーが掛けられて

いた。

お腹一杯になるとこの扉を開け便所で用を足す、汚物は海に

ボットンした。充分なオモテナシに金持ちはチップを沢山

置いて行った。

太い柱が支えるのは15世紀に拡張したこの上の教会の祭壇部分、

1000年に建設された聖マルタン礼拝堂の壁の厚いロマネスク

は同時に上部を支える立派な土台といえる。

高さ9m儀式の際には歌声がよく響くという、完璧な

ロマネスクだ。

葬儀をおこなった聖エティエンヌ礼拝堂には嘆きのマリアの

ピエタ像。

墓所もまたおの隣にあるが、

19世紀に牢獄として使われていた時代に囚人が車輪の中に

入り足踏みをいて荷台を上下させていたものがあった。

この高さに物を運び入れるのも大変な仕事だ。

ベネディクトの僧たちは自ら働いた、

ここがその仕事場で暖炉で暖を取りながら聖書の手写などを

行っていた。

 

1339年からの百年戦争の際10年間に渡りイギリス軍に島を

包囲されたけど修道院長らの抗戦で守り抜いた。

16、17世紀の宗教戦争でもカソリックの牙城でありつづけた。

しかし1789年のフランス革命にてモンサンミッシェルは農民達

に襲われ修道院は解体、人民の敵を収容する牢獄となり、

旧体制の文化財は諸外国の古美術商に安値で売り渡した。

外に出るともう参道は人人人で溢れていた、

名物プラールおばさんのクッキーや塩バターキャラメルに

塩などをお土産に島を出る。

何度見ても美しい。

そういえば今日は雨の予報だったが珍しく外れた。

昨日の夜から様々な表情を見せてくれたモンサンミッシェル、

何度見ても美しい。