ヨーロッパの中心で、アウシュビッツ強制収容所。 | 添乗員 森田 世界の旅

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ハネムーン

4月30日、午後アウシュビッツ。

ポーランド南部オシフィエンチム市、ドイツ語でアウシュビッツ

にやって来た、足取りは重い、、

1939年9月1日ドイツ軍が、その17日後にはソ連がポーランドに

侵行しポーランドは分割、ドイツ領となったオシフィエンチムは

アウシュビッツと名を変えて、

40年に強制収容所を建設する。

監視塔を越えて中へはいる。

41年の秋までにノルウェーにデンマーク、フランスにベネルクス、

ユーゴスラビアにギリシャまでの殆どのヨーロッパを占領する。

すでにドイツ国内に幾つもあった強制収容所はナチス政権に

反対する人々が政治犯として収容され囚人で溢れていた。

収容所の健全性をアピールした出入口のオーケストラ、

強制労働へ行ってらっしゃい、

そしてお帰りなさい、数が合わなければ大変なことが

起こる、

ナチスの理想のため僅かなカロリーで過酷な労働は

死ぬためであり実際に労働中多くが死んだようだ、

数を合わせるため死者も収容所に担がれ戻る。

脱走者が出ると見つかるまで永遠と点呼が行われ

オーケストラの前で18時間足踏みしたこともあったとか、

見つからなければ10人が選別され無残な姿で敷地内に

吊された。

41年にガス室が完成した、

殺虫剤としてフランクフルトで製造されたチクロンBという

シアン化水素をガス室の天井から降り注がれると

地下の部屋に押し込められた800人は30分以内に皆死んで

行ったという。

遺体を焼却するのも囚人である、

この理不尽な死に方をみた焼却係もまた秘密の漏洩を防ぐ為

2ヶ月後には殺された、2ヶ月生き延びるのもまた地獄だ。

ナチスの理想実現のため、

41年の暮れには3㌔離れた土地に東京ドーム37個分のガス室を

備えた第2収容所ビルケナウが完成する。

ヨーロッパの殆どを占領したドイツはユダヤ人達をゲットーに

隔離していたが、41年北はノルウェー西はオランダ南はギリシャ

から貨物に押し込められたユダヤ人達がビルケナウに到着した。

 

各地から連行されるユダヤ人達、東へ行けば新しい生活が

待っていると人々は生活道具をまとめアウシュビッツ行きの

貨物に乗った。

ビルケナウの駅に到着すると医師による選別が行われる。

2グループに別れるが、

女に子供、労働出来ない男はシャーワー室と言う名のガス室

に連れていかれ直ぐに死んだ。

そして誰もいなくなった。

その後生きらされた囚人はユダヤ人の残された持ち物を

選別する、

ドイツのため必要な物はトラックに積み、

使えないスーツケースや

靴や

義手や義足は人間と同じく焼却された。これらは45年1月27日

ソ連軍が解放した際、焼却に間に合わず残されていたものだ。

アウシュビッツに残るレンガ作りの収容所は30の棟からなり

多いときで2万人がいたと言う。

ユダヤ人、ジプシー、政治犯、ソ連捕虜、障害者、同性愛者、

エホバの証人、聖職者はじめ教育者。

夏37度冬はマイナス20度と言う中着せられた布切れの囚人服

にはそれぞれ胸に政治犯なのかジプシーなのかマークが

施されている。

当初は顔の写真を撮っていたが、1ヶ月後には別人の顔に

なっているので辞めて、

体にイレズミで番号を入れることにした。

写真は取れないが処刑室の棟があり、そこでは90×90センチの

暗闇に4人が立たされ死ぬのをまつ部屋や、

長崎に教会を建ててくれたコルベ神父が亡くなった

餓死室などがある。

外の銃殺所、

全ては恐怖が囚人を支配した。

43年にはヨーゼフメンゲレ医師が着任、

生かされた人間の人体実験が始まった、

残酷窮まりない死の実験と、非人道的な人体実験のモルモット

になった人たち、ソ連軍が来たときに生き残っていた人たち

の写真はそれから4ヶ月後の物というのに歩ける気配すら

ない。メンゲレ医師は逃亡先のブラジルで79年に病死して

いる。

 

新しく造ったビルケナウの収容所には9万人が収容できる

300の棟と大型のガス室があった、もはやレンガではない。

選別の結果働かされたのもはこのドイツの馬小屋の作りの

建物に押し込められた、煙突はあるが燃やすものは提供され

なかった。

布切れを3人で共有し寝た、

トイレだけの棟があり決められた労働の前と後に一度づつ

トイレが許された。労働というのは午前中穴を掘って

午後に穴を埋めなおすというものまで。

150万人の命が失われ、

1945年にソ連軍が解放したときには7500人が生きていた、

子供達の多くは恐怖のなか言葉を忘れていたと言う。

しかしソ連軍が来る直前に6万人の収容者、主に男性は

別の収容所に移されており安否は不明、その中にはアンネの

父もいた。

負の遺産アウシュビッツ、それからビルケナウ収容所の

観光は重いね、戦争にプラスナチスヒトラーのユダヤ人絶滅

センターとかした施設は、これからもヨーロッパの真ん中で

人類の罪を後世に伝え続けるだろう。