5月1日、朝クラクフ。
ポーランド南部1025年にポーランド王国が成立した際
首都はポズナンに置かれたが1038年にはクラクフが首都となり
1569年にワルシャワに遷都されるまでこの国の歴史の中心は
ここにあった。
バルト海へと流れでるポーランド最長のヴィスワかわ1047㌔
の上流、チェコボヘミア王国との交易貿易の拠点で
栄えた街にはお城があり、
その名はヴァヴェル城。
ヴィスワ川沿いの丘の上に高い城壁を張り巡らせ、
王の居城は守られてきた。
城壁の内側はまさに一つの町の規模で、首都がワルシャワに
移った後も18世紀までポーランド王の戴冠式が執り行われた
ヴァヴェル大聖堂もある。
ローマへ行くまでヨハネパウロ2世が大司教を勤めていた
教会でもある。
16世紀、イタリア人建築家を呼び建てたルネッサンス様式の
王宮は、ワルシャワと同じく第二次世界大戦末期去るドイツ軍
が緻密にダイナマイトを仕掛け地上から全てを消し去る予定
だったが間に合わずそのままにこの地を去った。
ルーベンスの絵画や旧約聖書を描いたタピストリー他
お宝の数々は救われた。
王宮の丘を下ると、
元城壁があった部分に緑地が広がりクラクフ大学の神学部、
ヨハネパウロ2世はここで講師をしていたことも。
丘の下からkanonicza(神父)通りに出る、
ここには歴代大司教の屋敷が軒を連ねている。
町もまたドイツ軍の占領地として多くの建物が戦火から
逃れている。ドメニコ教会と言ったかな?横にはペテロ教会が
あるしこの古都は修道会のオールスター、旧市街だけでも40の
教会修道院が残る。
ポーランド一大きな中央広場は4万平方m、ゴシックバロック
な17世紀の聖マリア教会がそびえるが、
中央のこの16世紀ルネッサンスな織物会館(取引所)の存在感が
クラクフだ。シルクロード的な内陸で王宮でみた
タピストリーはじめ布地の交易で賑わい国は潤った、
会館の存在は14世紀からあったが地理的にはずっと前から
人の往来の激しかった地は交易で栄えていたことだろう。
内部は現在も織物を中心としたお店が並ぶ。
少しの自由時間にコルベ神父のいたサンフランシスコ教会や
クラクフ名物のナントカと言うドーナッツ屋さんを覗いたりした。
今日はメーデー、明後日は憲法記念日、色々合わせて
ポーランドもまたゴールデンウィークな様でポーランド一の
観光客だけでなく地元の人たちも沢山町を行き交っていた。
フリータイムの後は、町の北側の城門バルバカンをくぐり
バルバカンをくぐり、、
近代的に生まれ変わり中身が見えないクラクフ中央駅に
行った。
ワルシャワまでの300㌔は最高時速250㌔のイタリア製高速列車
で移動する。ポーランド人民共和国時代、共産党の幹部だけが
首都ワルシャワへ向かうため最短距離で引かれた線路は2012年
ポーランド初の高速列車が走ることに。
2時間半後最後の夜のワルシャワへ到着する。
























