4月29日、夕刻カルヴァリアゼブジドフスカにて。
クラクフ近郊カルヴァリアゼブジドフスカに午後5時過ぎに
到着、
上の空ではこの長い町の名前は2度言うことはできないが、
人口4000人程の小さな集落を見渡す山の中腹に、
1600年に建てられた聖十字架教会と修道院がある。
このバロックの軽やかさにマヌエリズムのねじれを足した
教会も凄いが、広大な国立公園の美しさの中に再現された
ゴルゴダの丘が素晴らしい。
カルヴァリアはゴルゴダを意味し、
ゼブジドフスカは17世紀の領主ゼブジドフスキーに由来する。
カルヴァリアが女性名詞のためフスキーがフスカになったという
どうでもよい事情もあるが、、、
17世紀、宗教戦争で半数のカソリック信者を失ったローマが
町中をバロックで演出し訪れる者を魅了したように、
宗教改革で揺れるポーランドの片田舎でゼブジドフスキー氏は
カソリックの世界観を3次元で演出する。
裏山をゴルゴダに見立て、カソリック教会につきものの14留の
キリスト受難の場面、それはキリストの拘束からスピード裁判
によって死刑を宣告されて自らがはりつけに合う十字架を担ぎ
ゴルゴダの丘を上がり死に、復活するまでを絵でなく、地上に
14留を建て一軒一軒巡礼できるようにしたもの。
300年たった今もそこは巡礼の対象として多くの人が訪れる。
教会に着いたとき、スピーカーからミサの声が聞こえてきた。
そして山全体が静まり返る、さっきまでの観光客はどこそこの
ベンチに座り起立したり着席したり、
観光として訪れた僕はせめてミサの邪魔にならないように
教会を避け、
裏側の通路を進んだが、この廊下にもミサに訪れる人で溢れ、
僕は場違いなところを歩いてしまっていると思うと同時に
この国の信仰深さにドキドキした。
お客様にはこの教会内部にて、祭壇の横にある聖母子の絵を
見て頂きたかった。
それは10才で母を亡くしたヨハネパウロ2世が父に連れられ
この教会を訪れた際、父は言った、これがお前のお母さんだよ、
と。その父も少年が20の時に亡くなるが、
後の教皇はマリアに母の姿を重ねたと言う。
キリストはどんなヤローでも迎えてくれるを合言葉に
例えミサの時でも教会にグループでお邪魔した事もあったが
1時間の滞在中永遠と続くミサに足を一歩踏み入れる事は
出来なかった。山に響く司祭の声に、
外の木の下、スピーカーの声に赤ん坊からイレズミを
した夫婦からおじいちゃんまで静寂に包まれた雰囲気に
声一つ出なかった。
声と言うのは、お客サマー時間ですよー、と言う声だが
雰囲気を全身に察したお客様もまた言葉を発せず時間に
バスへお戻りになった。
誰一人ヨハネパウロ2世の聖母子画を見たかったとは
言わず、見なくてもそれ以上のモノを見たかの様な
ご様子で。
カソリックのお膝元バチカンイタリアはもちろんフランスでも
スペインでもガイド本にはカソリック信者90%なんて書いて
あるが日曜日にミサへ行く人が熱心な信者だとすると
10%にも満たないだろう、
東のヨーロッパのキリスト教国では50年間の共産主義時代を
経て無宗教論者になったものが多い。
ポーランド、1795年以降国を失った者の支えはカソリック
だったのか、社会主義時代の支えもカソリックだったのだろう、
キリストが先かヨハネパウロが先か、
キリストが先でヨハネパウロが次だが、この国の国民に
現在他ではあまり見られないカソリック教徒の信仰を
目の当たりにする。
今日も暑いくらいの暑さ日中30度の天気に恵まれたが
クラクフへ向かうバスの中夕立に合う。
このツアー最初で最後の2連泊ホテルノボテルシティーウエスト
にて夕食を頂き就寝する。










