4月29日、午後クラクフ近郊。
チェコドイツ国境に程近いシヴィドニツァを出て308㌔
西へ。クラクフの手前で一般道に下り南へ少し行くと
人口2万人程のヴァドヴィツェと言う町に入る。
大聖堂が面する中央の広場には1978年ら2005年までに訪問した
100ヵ国以上の国が記されたプレートが嵌められている。
さてここはどこの何でしょうか?
初めて聞く、初めての訪問の町だが、偉人は大聖堂の横の
アパートメントの奥の一室で1920年5月18日に生まれる。
父はハプスブルク家の軍隊に仕えた退役軍人、
隣の教会(大聖堂)で洗礼を受け戦前のポーランド特有の
ユダヤ人始め多民族の環境で過ごす。
1939年ドイツのポーランド侵攻大学は閉鎖され鉱山や工場で
働きながら同時に俳優脚本家としても活動した。
戦火の1943年聖職者として生きることを決意、
神学校が禁止されていたため非合法の地下神学校に入る、
1948年クラクフで司祭に、
1958年司教、1964年に大司教、そして1967年パウロ6世教皇
より親任され枢機卿としてローマに渡る。
彼の名はカロルユゼフ・ヴォイティワ?、、、
1978年58才の時にパウロ6世教皇の死去に伴いコンクラーヴェ
(ローマ教皇選挙)によって新教皇にはヨハネパウロ1世が
選出されたが、
33日後に亡くなったため、生きているうちに2度目はないと
思っていたコンクラーヴェ再び、
そしてヴォイティワは最年少にして非イタリア系として
初めて第264代のローマ教皇、
ヨハネパウロ2世となった。
長かったですねすみません、副祭壇に自らが洗礼を受けた
洗礼盤、
教皇となり訪問した際のヨハネパウロ2世。
空飛ぶ教皇と言われ訪問国は100ヵ国を越え、
81年にはカソリックのクァ位しかない日本も訪問している。
広島長崎では、戦争は人間のしわざです、戦争は死です。と
演説し核廃絶を訴えた。
2003年のイラク戦争では、神の加護を、神の祝福をとしきりに
神を用いたブッシュに対し神の名を用いて殺すな、と
不快感を示したが、
三波春夫のお客様は神様です、に関しては言及していない。
東欧の民主化運動では精神的支柱となり、ワルシャワ訪問時
には民主化グループに恐れるな、とメッセージを残した。
1981年には(おそらく)ソ連のKGBが送り込んだ男に銃撃され
暗殺されかけた。
27年の長きに渡り教皇を勤めたのもあるが、日本にも名が
知れた教皇はそうはいない。
2014年聖人に列聖される。
ヴァドヴィツェ、そこはヨハネパウロ2世の生まれた町、
そして洗礼を受けた教会があったでございました。







