ヴロツワフ、ドイツとロシアの影に小さな主張。 | 添乗員 森田 世界の旅

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ハネムーン

4月28日、ヴロツワフな午後。

オランダ、

じゃなくてポーランドはヴロツワフの百年記念会館

前にチューリップの花が咲く。

6世紀頃にはスラブ人の集落があったとされ11世紀の

ポーランド王国時代には貨幣造幣局が置かれた金融の町に。

13世紀のモンゴルの来襲そして撤退後の1335年よりプラハを

都とするボヘミア王国の支配下に、

1526年からはウィーンに都を置くハプスブルクに、

そして1741年からベルリンに都を置くドイツプロイセンの

領土となりドイツ統一後から第二次世界大戦までもヴロツワフ

はドイツだった。

ドイツプロイセンにとってかのナポレオン軍を打ち負かした

輝かしき1813年のライプチヒの戦いがある、

その100年を記念した1913年にこの町で万博が開催され

その時建てられたのがこの100年記念会館、

当時世界最大だったコンクリート製の円形型多目的ホールは

2006年に世界遺産となっただけに存在感は抜群。

1913年の万博に際し会館横に日本庭園が造られた、

1年後に勃発する第一次世界大戦で閉鎖されるが現代に

蘇り、春一番の晴天の今日は沢山の人手で賑わっていた。

オドラ川の水を周囲に張り巡らせ城壁で囲った中世の

ヴロツワフの町。

現在の人口63万人はポーランドで4番目に多い都市。

1000年に司教座が置かれ商業の町にも教会が乱立する。

旧市街の真ん中に200m×180mの旧市場広場。面積は

クラクフに次いで2番目。

ど真ん中の旧、新市庁舎は共に政治立法行政機関のほか

チェコにドイツ支配だっただけにビアホールが併設されている。

補修中のエルジュピタ教会、15世紀のゴシックは宗教改革後

プロテスタント教会となるが再びカソリック教会となっている。

そうそう忘れてはならない足元の小人達の像。

始まりは80年代の社会主義の共産党を皮肉った、

共産党員は気付かなかった可愛い小人達は、民主化後

様々なグループによって増えつづけ小さな像が来る人を

楽しませ過去を笑わせてくれる。

韓国のデカい慰安婦像の洒落も皮肉も隠れていない

あのセンスはどうかと思うが、、、

そういう悪口を言っちゃいけないか、、、

 

ポーランドの町ヴロツワフにて今日が終わる。