4月27日、午後トルン。
ワルシャワから北西に210㌔、
再びワルシャワの流れていたヴィスワ川のほとりに、ハンザ
同盟都市として発展した15世紀の面影を残す世界遺産の町
トルンに到着。
1025年ポーランド王国はスタートをするが13世紀の始めに
モンゴル軍の来襲に一時国は荒廃する、
1233年王が呼び寄せたドイツ商人と共に町は復興し
ヴィスワ川あってのバルト海へ向けた水上貿易で財を成し
さらにはハンザ同盟都市ともなった。
今も残る15世紀製の城壁、
その入口。戦火に見舞われなかったゴシックの町並みが
世界遺産に登録されるが、ゴシックとは13世紀から15世紀に
かけて欧州の教会に用いられた建築様式だが、家をみて
城壁をみてどこがゴシックかと言えばこの先の尖った尖頭型
のアーチとレンガを積み上げているところか、
城壁の内側に入り石畳、すぐ外をヴィスワ川が流れ、地盤が
緩かったのか奥の塔は傾いている。
足元に隙間のある家ばかりだが、昔の1階部分の窓だった。
ヴィスワ川の反乱の度に地面は上がり、
昔の玄関を使用するならば3mも掘り返せねばならない。
教会ではない、銅を商う商人の息子として1473年に生まれた
コペルニクスの生家は立派だ、尖頭型の窓枠とレンガこれぞ
ゴシックの家。
幼くして両親を亡くし叔父に育てれ1491クラクフの大学で
天文学に出会う。イタリア留学を経て戻った場所はここでは
ないが叔父の住んでいたリブバルクにて聖職者として医師と
して多忙な日々を送りながら暇を見つけては天体観測に
明け暮れた。
そして、地球は年に一度の周期で太陽の周りを回転し、
一日一回時点をしている、と確信する。
地球が宇宙の中心でなければならなかったキリスト教の
世界ではそんなこと言えば宗教裁判にかけられてしまうので、
発表は死後とした、それが1543年。
地動説はその後ガリレオ、ケブラー、ニュートンらにより
完全な物となっていく。ゴシックの旧市庁舎をバックに
立ち上がるコペルニクス。
天使が迎える市庁舎の入口。
聖母マリア教会に入ってみた、見上げれば天井高く柱が伸び
尖頭型のアーチが石を支え、
壁にはステンドグラスがはめられたこれぞTheゴシック、
15世紀のゴシック教会及び町並みは、ドイツ軍が捕虜収容所
を置いていた事から、ポーランドでは珍しく戦火に見舞われ
なかった。
市庁舎界隈の賑わい、
こちらの鋭く尖ったタテガミのロバは中世ハンザ同盟都市時代
から置かれ、広場での商売に置いて不正をした者は座らされた
という辱めのロバ。
噴水に立つバイオリン弾きをカエル達が見つめる。
中世、川の側の湿地帯の町はカエルが多くネズミなどに
悩まされていたが、このバイオリン弾きがカエルをどこか
遠くへ連れていってくれたとのこと。
町の至る所にピエルニクの看板があり、ハンザ同盟都市時代に
入ってきた様々な香辛料を生地に混ぜたクッキーが名物に。
そんな午後の散歩を楽しんだ後は西に162㌔、今日の宿泊地
でもあるポズナンへ向かう。



















