意図して糸を紡いだ町、世界遺産ワルシャワ。 | 添乗員 森田 世界の旅

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4月27日、ワルシャワで朝。

ヂィエンドブリ(おはよう)でございます。

ワルシャワ観光はまずクラクフ郊外通りと訳される

旧市街へ向けた道の始まりから。

ナントカ宮殿を背に椅子に腰掛け市の中心部を見つめるのは

ドイツ人でなくポーランドの偉人コペルニクス、

座っているのは客人としてワルシャワを訪れたからだそうだ。

1596年クラクフからワルシャワに都を移したジグムント3世王は

世襲でなく国民選挙によって王を選出することに、

よってワルシャワには王や貴族がその都度建てた宮殿が

乱立する、上はナントカでなく何とか。

966年ポーランド公国(すぐに王国)建国時よりキリスト教

の国にはカソリック教会が沢山ありここは聖十字架教会。

入口に十字架を背にキリスト。

ここで見るのは、フランス人でなくポーランドの偉人

ショパンの心臓。1810年ワルシャワ近郊で生まれワルシャワで

育ちワルシャワで学び、パリで成功しフランス人作家

ジョルジュサンドと愛の逃避行をし39才でパリにて永眠。

パリの友人によりパリの墓地に埋葬されるが、姉により

心臓がこの教会のこの柱に埋められた。第二次世界大戦時に

は疎開をし倒壊後再建された聖十字架教会にて心臓は

鼓動している。

ショパンの父はショパンが7ヶ月の時にフランス語教師として

ワルシャワ大学の前にあるこの家へお引越し。

教会横大学前のこのアパートメントはショパンがワルシャワを

旅立つ20才の時に住んでいたものだ。

一番長く住んだのは対面の大学校内のアパートの一室。

この町の中心へのクラクフ郊外通りはショパンゆかりで

溢れている、

大通りには欧州のどことも変わりない街路樹の下に

ベンチがあるが、ここではショパンゆかりの場所場所の

前にショパンベンチが設置されお尻で踏むとソナタが

流れる。

コペルニクス像に始まりショパンで埋め尽くされた約2㌔の

クラクフ大通りはここ王宮広場で終わる。

右のレンガ色の建物が1593年に都を移したジグムント3世の

建てた宮殿。

ドイツ軍が凄いのは爆弾をただ投下するのではなく、

宮殿も緻密な計算のもと穴を開けダイナマイトを埋め

ポーランドのシンボルを跡形もなく破壊する事だった、

ポーランドが凄いのは、侵略の歴史をしる国民が王宮に

あったありとあらゆる物をドイツに占領される前に

全ての調度品から壁のレリーフ1枚まで疎開していたこと。

見る影もない戦後9割が跡形もなく消えた町を、戦前の形にし

王宮などは形だけでなく多くの避難した物が置かれ直し、

再びポーランドの歴史を語り継いでいる。

町角のプレートにヤン博士の名言、

(ドイツにより)意図を持って壊された町は意図を持って

作り直す。

そして造りなおった中世の町並み、1980年に世界遺産になる

町はその再建が評価されたもの。

城壁のレンガ一つ一つ使えるものを積み直した、

日中の気温17度、春はもうすぐ、もう春か。

ポーランド、その意味は平原。

先史時代から人の往来は多かったが、ゲルマン民族の大移動

の末、空地となった土地にスラブ人がやってくる。

966年にミシュコ1世となる族長が平原に散らばるスラブ人の

部落をまとめポーランド公国を立ち上げた。

そして1025年ローマ教皇からキリスト教国家として認められ

王国となり平原で文化がはじまった。

ワルシャワから北西に210㌔トルンへ向かう。