ジョージア、トビリシを歩く。 | 添乗員 森田 世界の旅

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4月15日、トビリシ朝。

ジョージアの首都トビリシで朝を迎える、

雨が降っていたのかホテルの窓越しに虹が見える。

 

ジョージア、2014年まで日本での呼び名はロシア語発音で

グルジアと表記したがジョージア政府の要請で英語読みとなる。

人口370万人。面積は北海道よりやや小さく69700平方㌔。

 

180万年前ユーラシア大陸最古の原人がやってくる。

紀元前5000年新石器時代、紀元前2500年青銅器時代、

紀元前6世紀黒海沿岸にコルキス王国は黒海とカスピ海

を結ぶ交通の要衝としてペルシャと海を隔ててギリシャ

との貿易が盛んになると、間もなくしてアケメネス朝

ペルシャの一部となる。

紀元前4世紀にはアレクサンドロス大王の征服後

イベリア王国が成立。

紀元前2世紀からローマの属領となり、

キリストの死後12使徒による福音伝動が行われたとも。

イベリア王国では330年にキリスト教を国教とし

当初シリアの総主教の管理にあったが独立、

466年以降ジョージア正教会となる。

5世紀ササン朝ペルシャによる併合、7世紀アラブ軍の侵入、

10世紀にジョージア王国が誕生するも、

11世紀にセルジュークトルコに国を掌握、しかし十字軍に

よりセルジューク撃退、

12世紀ジョージア王国は黄金期を迎える。

13世紀モンゴル、その後ティムール帝国の支配下、

15世紀にはオスマン帝国とサファビー朝ペルシャとの

領土争いの場となり国は2分された。

18世紀2つの大国はロシアに破れ帝政ロシアの支配下に。

その後スターリンによりジョージア共和国としてソ連に、

1991年ジョージアとして独立する。

 

首都トビリシ人口110万人、ジョージアの東部に位置し

クラ川の河畔、3方は山に囲まれている。

クラ川の東、丘の上に5世紀以来のメテヒ教会。

トビリシの創設者でイベリア王ワフタングの騎馬像が横に。

ソ連時代を経て宗教への関心が薄れた国は数あれど

ここでのミサには多くの人が詰めかけている。

聖なる祭壇を仕切るイコノスタシスなる板の仕切りがあり、

信者の座るイスがないのは正教会どこも同じ。

メテヒ教会からクラ川の西側の旧市街の眺め。

旧市街の裏手に可愛らしい滝、

トビリシはあたたかいという意味とのこと、温泉が湧く。

クラ川に西の山から水が注がれる場所には1000年以上の

歴史があろう銭湯ハマムに温泉施設がある。

ジョージアは楊貴妃にクレオパトラからロシア皇帝にソ連の

幹部達を酔わせたワインの国、石畳の通りにワインバーが

建ち並ぶ。

タマダさん、ジョージアで乾杯の音頭飲み会の進行役を

タマダと言う。

古い石畳の街角に酔っ払いをいや人々をもてなす近代アート。

そしてシオニ教会、西方のカソリック教会はローマ教皇を

トップとするが、ギリシャ正教に始まる東方はそれぞれ独自

のトップを持ち大聖堂には司教でなく主教、総本山には

大司教でなく大主教がいる。ここは5年前までジョージア正教

の総本山だったが、今は別の場所に立派なのが建っている。

今日が日曜日というのを差し引いても、国民に信仰が大切に

されているのがよくわかる。

クラ川に2010年イタリア人建築家によりナンだろう橋が架かる。

新古典国会議事堂だったか、直したクーポラが鉄とガラスで

これもまた素敵だ。

橋のたもとの公園のベンチに座っていたのはなんとレーガン

元大統領。ジョージアに来たことはないが結果ジョージアの

独立に導いたレーガンはここで愛されている。

今度は山へ、グルジアの母の像(20m)が町を見渡し、

左手にはワイングラス。

遠くに新ジョージア正教の総本山が見える。

山を下りながらナリカラ要塞。

谷側に詰まれた石の高さが強固さを物語る。

そしてもう一度景色。

トビリシ市内での昼食は、沢山の野菜にパクチーはじめ

ハーブのテンコ盛りに

チキンスープ、

メインはハチャプリという小麦粉の生地にヨーグルトを

混ぜたパンにチーズを乗せて、、、通常ピザの様に平たい

パンだが、これは卵を落としたのでボートの様にすぼめてある。

ああ、今日もお腹いっぱい、午後も頑張ろう。