火の民、火の国アゼルバイジャン。を歩く、 | 添乗員 森田 世界の旅

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ハネムーン

4月14日、バクー朝。

昨夜ライトアップで見た3本のタワービルは燃え上がる炎を

イメージしている。紀元前6世紀アケメネス朝ペルシャがこの

地を治めた時、地上に漏れ出た天然ガスが火柱を上げていた。

当時のペルシャでは火を崇拝するゾロアスター教(拝火教)が

信仰されており、その光景は神々しかった。

近代ビルは2012年に高台に建ち、目の前は公園として綺麗に

整備された。ここは殉教者の小道と言い第二次世界大戦で

ソ連とともに命を落とした者、ソ連からの独立のため、または

その後のアルメニアとの紛争で、

命を落とした者達を追悼する碑が並ぶ。

そして眺めるカスピ海、

振り返り炎のタワー。

今日は雨、最低気温6度最高気温12度との予報。

イスラム教の国らしく城壁で囲まれたイスラム社会メディーナ

があり世界遺産となっている。今に残る町並みは14世紀に

この地を治めたシルヴァンシャフハーンの一族によって

築かれた部分が多い。

彼らが住んだシルヴァンシャフハーン宮殿はお屋敷と

モスクとお風呂と霊廟からなり一つの町の様だ。

宮殿を城壁が囲う。

高床式の浴場はローマ、トルコと来てこの地にもたらされた。

路地、イスラム建築は建物自体が初潮を迎えた女性の肌を

守るため全て内向きに建てられるが、

時代が変わり、またユダヤ人が多く住んでいたこともあり

やたらと外に突き出たバルコニーが目立つ。

旧市街にもF1アゼルバイジャングランプリの活気。

カスピ海側を守ったのがこの乙女の望楼。高さ30m壁の厚さは

なんと5mその姿ははまさしく乙女、というのではなく

昔モンゴルのハーンに言い寄られた乙女がこの塔から身を

投げたという。

螺旋階段を昇り上からの眺め、海岸線はモンゴルの12世紀と

比べだいぶ後退している。

カスピ海と黒海に挟まれコーカサス山脈の高低差に火山が

肥沃な土地を生み出したアゼルバイジャン、バクーは

草原の道とオアシスの道の中継地点としてシルクロードの

時代多くの隊商が行き交った。

一つのキャラバンサライは、四方お土産屋になっていて

一つを覗くとステキなスカーフが売られていた、イランと

トルコの支配を経て織物のデザインがまた良い。

ラクダの毛のスカーフが印象的だった。

我々はこことはまた違うキャラバンサライで食事をする。

そのあと買い物客で大にぎわいのショッピングモールへ、

人の出に景気の良さがうかがえる。

オリンピックスタジアム。バクーは2016年と2020年に立候補

したがリオに東京に破れている。バクーって言われても

漠然としたものだったが町を見てみるともう明日にでも

開催できる状況だ。

バクー郊外に来たのは、そこに火があったから建てられた

拝火教寺院。

ザラシュトラ(ゾロアスター)はゾロアスター教の開祖で

ありイランの地で紀元前13世紀から約1000年を生きた。

神をアフラ・マズダー(mazdaそう自動車のマツダ)とする

世界で最初の一神教。

寺院には偶像はなく火あるのみ。紀元前6世紀にイランから

ペルシャ人が来たときアゼル(火)バイジャンの地の至る所

から火が吹き上げていたと言う。

アラブ人の到来以降発祥であるイランはイスラム教となり

宗教の中心はインドへと移る。

拝火教寺院はシルクロードにいくつかあるが信者以外は

立ち入ることは出来ない。

そうここは過去のもの、1865年陸上油田の掘削中火が途絶え

てしまう、4年待ったが復活せず寺院はまた別の場所に移した。

今の火は紹介のためプロパンガスで点いている。

火を囲むように坊さんの部屋や、シルクロードだけに宿場

が建つが今はゾロアスターとは、を知る博物館に。

 

さて、アゼルバイジャンはこれにて終了、空港へ向かう。

ゲートのベンチの一角になんだこりゃ、

横になりフタを閉めて寝転ぶ椅子じゃないか、いやはやバブル。

寝てみ、いややめよう。やっぱり寝てみよう、いややめよう、

カプセルの中で寝てしまったら誰にも気付かれないだろう。

飛行機がいってしまったら僕はクビだ。

90度の角度の椅子で飛行機を待ち、

90度の姿勢で飛行機に乗り、

2ヵ国目ジョージアのトビリシへ向かう。