4月13日、バクー午後。
アゼルバイジャン共和国、人口98万人。面積は
北海道よりやや広く75000平方㌔。カスピ海に面し
北にコーカサス山脈、その向こうにロシア、南に
イラン、東にジョージアと領土問題を抱えるアルメニア。
紀元前2000年アルバニア人によって建国されたカフカス
アルバニア王国の領域に。
紀元前6世紀イランからアケメネス朝ペルシャで
ゾロアスター教が信仰され、
紀元前330年マケドニア、アレクサンドロス大王による征服、
その後ローマ帝国の支配下に入り、
227年からは再びイランのササーン朝ペルシャの時代に
キリスト教化される。
7世紀アラブ人によりササーン朝滅亡、イスラム教国家
ウマイヤ朝アッパース朝と続き、
11世紀にセルジューク朝の支配下でトルコ化。
13世紀チンギスハーンの孫によりモンゴル帝国領、
その後中央アジアを制したティムールのティムール朝下に。
15世紀サファビー朝で再びイラン化した際シーア派となる。
1828年ロシア帝国領に、
1918年から2年間だけアゼリー人(アゼルバイジャン人)による
アゼルバイジャン民主共和国を建国するがすぐに
アゼルバイジャン、ソビエト社会主義共和国としてソ連の
一部となった。
1991年独立。
上の歴史以前のコブスタン国立保護区を出て60㌔、首都
バクーへ戻る。
その郊外にバクー陸上油田の掘削風景、19世紀の中頃に石油の
採掘が始まるとノーベル兄弟やロスチャイルド財団が
やって来た。鉄道を引き石油は欧州に富をもたらすが、
ソ連の時代に追い出される。第二次世界大戦ではドイツに
狙われ、ソ連にとっては石油供給の中心を担い勝利に貢献した。
そして21世紀はカスピ海、海底油田で発展を続けるバクー。
7世紀にイスラム教が伝わった、
コーカサス3ヵ国でその後キリスト教に戻らなかったのは
アゼルバイジャンだけ。よってこの旅最初で最後のモスクを
見学。ビビヘイバットモスク、13世紀シルバンシャフハーン
朝時代に建てられたモスクは、1934年に壊されたが2012年に
復活。
祈りの場には入れないが、
霊廟の部分と
クーポラにイスラム建築を堪能する。
しかし高そうな外車がたくさん走っている、油田景気に
湧いているのだ。渋滞が発生しているので何かと思ったら
町中に仮設スタンドが立ち並び、そう今月末に開催される
F1の準備中だった。日本人ドライバーがいなくなり
鈴鹿でも走らなくなりフジテレビでもやらなくなってすっかり
F1から関心が離れていたが、昨年からバクー市内で
走っているとのこと。
ホテルで夕食を取り終えた後もう一度バスを出す。
12世紀のままの様子を留めた世界遺産のメディーナ(旧市街)
を突き抜けて建ち並ぶ21世紀建築群、
ライトアップされたビル群を走る。
全てこの5年の内に建てられたオフィスビルにホテルに
コンサートホールなどのライトアップをみて、
成田から長かった今日が終わった。