法政大学は現在、市ヶ谷、多摩、小金井の3箇所に校地を持っています。
総本山のある市ヶ谷には現在、昔ながらの学部は法学部、文学部、経営学部があります。
新しい学部は、国際文化学部、人間環境学部、キャリアデザイン学部、デザイン工学部、GIS(グローバル教養学部)があります。
緑豊かな多摩校地には、経済学部、社会学部、現代福祉学部、スポーツ健康学部があります。
法政の秘密基地・小金井校地は落成時以来、工学部の校地として使われてきています。
現在も理工系の学部がそろっています。理工学部、情報科学部、生命科学部の3学部があります。理工系のうち、デザイン工学部だけは市ヶ谷です。
ところで、経済学部と社会学部は、法政大学の伝統学部であります。
経済学部は1920年(大正9年)に設立された、日本の私立大学としては慶應義塾大学に次いで2番目に古い経済学部です。日本の大学としては東京大学、京都大学、慶応義塾大学に次いで4番目に古いです。
社会学部は1919年(大正8年)に設立された、日本の私立大学で初めて設立された社会学部です。国立大学を含めると、一橋大学の次に古いです。
これほどの古い歴史を誇る学部が、なぜに多摩へ移転することになってしまったのか・・・?
1984年までは、市ヶ谷にありました。
その昔(戦前)、法政大学の予科(現在の1、2回生:教養課程)は、現在法政第二中高と体育会の施設のある武蔵小杉にありました。法政第二中高にあった旧時計棟は、大学予科時代の名残です。
その予科を戦後、新しい校舎を建設した上で市ヶ谷に移転したのです。
それからしばらくして、工場等制限法という法律ができました。これは、人口や産業の都市部集中を避けるためのものでした。これにより、法政大学だけでなく多くの大学が郊外へ校地を求めざるを得なくなったのです。それが、武蔵小杉にまでかかってしまったからもうたいへん(- -;)
そのような窮地に追い込まれた上に、学生数が急増し、もう市ヶ谷はパンク寸前。
そこで法政は、新天地を多摩に求めたのです・・・
つづく