みなさん、こんにちは。
今日も、このブログを覗いてくれて、本当にありがとうございます。
いきなりですが、
実は、最近あることを、
はじめてみたんです。
それは、
アメブロです。
今さら、
と言われるかもしれません。
周りの人は、
もう何年も前から、
やっているようなことです。
でも、
私は最近になって、
ようやく、
はじめてみました。
今日は、
この「ブログをはじめた」ということについて、
ちょっとお話をさせてください。
では、いったい、
なぜ、
今さらアメブロなのか。
それは、
日々の生活の中で、
思ったことや、
感じたことを、
どこかに残しておきたくなったからです。
たとえば、
朝、
コンビニに行ったとします。
お気に入りのコーヒーを買って、
レジで、
「温めなくて大丈夫です」
と言おうとしたのに、
なぜか、
「はい、お願いします」
と言ってしまう。
そんな、
どうでもいいような小さな失敗です。
誰にも言えないような、
でも、
ちょっと誰かに聞いてほしいような、
そんな出来事です。
そういう小さな出来事を、
心の中にしまっておくだけでは、
なんだか、
もったいないような気がするのです。
ここで、
問題になるのが、
『記憶』
というものです。
人間の記憶とは、
本当に、
あやふやなものです。
あんなに面白かった出来事も、
感動した瞬間も、
時間が経つと、
どんどん、
忘れていってしまいます。
まるで、
砂の上に描いた絵のように、
風が吹くだけで、
消えていってしまうのです。
もったいない、
と思いませんか?
自分の人生の中で起きた、
せっかくの面白い出来事が、
あっという間に、
消えていってしまう。
それは、
非常にもったいないことなのだと、
私は思うのです。
だからこそ、
言葉にして、
残しておく。
文字にして、
書き留めておく。
そうすることが、
必要なのです。
では、いったい、
ブログを書くとは、
どういうことなのでしょうか。
それは、
単なる、
日記なのだと思うかもしれません。
今日、何を食べたとか、
どこに行ったとか、
そういう記録なのだと。
もちろん、
それも間違いではありません。
記録です。
でも、
それだけではないのです。
もっと、
深い意味が、
隠されているのです。
少し、話しは変わりますが、
みなさんは、
子どもの頃に、
タイムカプセルを埋めたことはありますか?
校庭の隅に、
思い出の品を入れて、
土の中に埋める。
そして、
「十年後にまた開けようね」
と約束する。
あの時の、
わくわくした気持ち。
胸が高鳴るような、
不思議な感覚。
あれは、
スゴイことだと思います!!
未来の自分に向けて、
今の自分から、
メッセージを送る。
時空を超えた、
大いなる通信です。
それと同じように、
ブログを書くことも、
一種の、
タイムカプセルなのだと、
私は思うのです。
今の私が書いた、
くだらない日常の出来事が、
未来の私や、
あるいは、
画面の向こうにいる誰かに届く。
そう考えると、
なんだか、
ロマンチックではないでしょうか。
ただの、
コンビニでの言い間違いが、
未来への、
大きな贈り物に変わる。
大げさかもしれません。
でも、
そう考えてみると、
日々の生活が、
少しだけ、
輝いて見えてくるのです。
ここで、
問題が起きます。
本当に、
そんな大げさな話なのでしょうか。
ただの、
素人が書いた、
下手くそなブログです。
誰も読んでくれないかもしれない。
三日坊主で、
すぐに辞めてしまうかもしれない。
実際、
私は三日坊主の常習犯です。
新しいことを始めては、
すぐに飽きて、
投げ出す。
そういう人生を、
歩んできました。
では、いったい、
なぜ、
今回に限って、
続けられると思うのか。
それは、
『共感』
というものを、
知ってしまったからです。
ここで、
別の具体例を出します。
道端に咲いている、
小さな花を見つけたときのことです。
アスファルトの隙間から、
力強く、
顔を出している、
名もなき花。
「すごいなあ」
と、
ひとりで感動する。
それだけでも、
十分です。
でも、
もしその時、
隣に誰かがいて、
「この花、がんばってるね」
と言ってくれたらどうでしょう。
その瞬間、
ただの雑草が、
特別な花に変わるのです。
自分ひとりの感動が、
誰かと共有されたとき、
それは、
何倍にも、
何十倍にも、
膨れ上がる。
喜びが、
何倍にもなるのです。
これは、
スゴイことです!!
ブログも、
それと同じなのだと思います。
自分が感じた小さな驚きや、
日常のちょっとした笑いを、
誰かと分かち合う。
「あ、それ分かる!」
と思ってもらえる。
そういう瞬間が、
生まれるかもしれない。
そう思うと、
キーボードを叩く手が、
止まらなくなるのです。
もっと、
面白いことを書きたい。
もっと、
みんなを笑顔にしたい。
そういう気持ちが、
湧き上がってくるのです。
ここで、
さらに話を大きくします。
『コミュニケーション』
という、
人間にとって、
最も根源的な欲求についてです。
人間は、
ひとりでは生きられません。
どんなに孤独を愛する人でも、
心のどこかで、
誰かとつながりたいと、
願っているはずです。
言葉を発し、
文字を書き、
思いを伝える。
それは、
人間が人間であるための、
最も大切な証明なのだと、
私は信じています。
ブログを書くという行為は、
ただの趣味の範囲を超えて、
宇宙に向かって、
「私はここにいますよ」
と叫ぶようなものなのかもしれません。
ちょっと、
大げさすぎましたかね。
でも、
本当に、
そう思うのです。
画面の向こうの、
顔も見えない誰かと、
心の波長が合う。
奇跡のような確率で、
この文章に出会い、
「クスッ」と笑ってくれる人がいる。
そう考えると、
人生とは、
本当に、
面白いものだと思います。
今さら始めたアメブロですが、
これから、
どうなっていくのでしょうか。
毎日更新するのか。
それとも、
すぐにネタが尽きて、
沈黙してしまうのか。
それは、
誰にも分かりません。
未来のことは、
神様しか知らないのです。
もっとも、
神様がいるかどうかも、
怪しいですが。
でも、
だからこそ、
面白いのです。
予測がつかないからこそ、
人生はスリルに満ちていて、
素晴らしい。
明日、
また何か、
とんでもない失敗をするかもしれません。
スーパーのレジで、
財布を忘れるかもしれません。
電車で、
寝過ごして、
海の遠くまで行ってしまうかもしれません。
もし、
そんなことが起きたら、
私は、
すぐにこのブログに書きます。
包み隠さず、
面白おかしく、
大げさに盛って、
書きます。
それを読んだあなたが、
「この人、バカだなあ」
と笑ってくれたら、
それだけで、
私は、
最高に幸せなのです。
自分が幸せになる。
それだけではありません。
その笑顔が、
巡り巡って、
周りの人をも、
幸せにする。
そして、
最終的には、
この地球全体を、
温かい笑いで、
包み込んでいく。
そこまで行くと、
さすがに壮大すぎますね。
でも、
夢見ることは、
自由です。
小さなブログから始まった、
壮大な野望。
大げさかもしれませんが、
私は本気で、
そう思っているのです。
だからこそ、
今日から、
私は書き続けます。
キーボードを叩き、
日々の出来事を、
面白おかしく、
大げさに盛って、
発信し続けます。
どうか、
温かい目で、
見守っていてください。
いや、
見守るだけではなく、
たまには、
コメント欄で、
ツッコミを入れてください。
それが、
私の、
何よりの喜びなのです。
それでは、
また次回の記事で、
お会いしましょう。
今日も最後まで読んでくれて、
本当に、
ありがとうございました・・!!
あ、
すいません。
まだ、
終わっていませんでした。
つい、
綺麗にまとめようと、
してしまいました。
でも、
ブログというのは、
こういう、
「終わった詐欺」
みたいな瞬間が、
たまにあるものです。
本当に、
終わりかと思いましたよね。
でも、
もう少しだけ、
お付き合いください。
少し、
話は変わりますが、
みなさんは、
日常の中で、
「なんで、こんなことになっちゃったんだろう」
と、
頭を抱えたことは、
ありませんか。
たとえば、
駅の改札を通ろうとした瞬間、
ICカードの残高が足りなくて、
「ピピッ」
と、
冷たい音とともに、
赤いランプが光る。
後ろには、
急いでいるサラリーマンの行列。
焦れば焦るほど、
財布の中から、
小銭がポロポロと、
落ちていく。
頭の中は、
真っ白です。
「あぁ、もうダメだ」
と、
絶望的な気持ちに、
なるわけです。
これは、
単なる、
日常の小さなハプニングです。
でも、
よく考えてみてください。
その瞬間、
あなたの周りでは、
何が起きていたでしょうか。
実は、
あなたの後ろに並んでいた、
見知らぬおじさんも、
心の中で、
「あいつ、おせーな」
と思いつつ、
自分の昨日の夕食の、
つまらない失敗を思い出して、
密かに、
落ち込んでいたりする。
窓の外では、
ハトが、
何もないアスファルトを、
ただ、
トコトコと歩いている。
宇宙の果てでは、
巨大な星が、
ものすごい音もなく、
静かに、
爆発しているかもしれない。
そう考えると、
私たちの小さな、
「改札での絶望」なんてものは、
地球の歴史から見たら、
ほんの、
瞬きほどの出来事なのです。
では、
いったい、
何が言いたいのか。
ようするに、
人生なんて、
そんなものだ、
ということです。
どんなに深刻に悩んでいても、
俯瞰(ふかん)してみれば、
どこか、
コメディのワンシーンのようである。
そう、
人生は、
『大いなる茶番劇(ちゃばんげき)』
なのかもしれません。
少し、
スケールを、
大きくしすぎましたかね。
でも、
私は、
本気でそう思っているのです。
真面目に生きることは、
素晴らしい。
一生懸命に生きることも、
尊い。
けれど、
あまりにも真面目になりすぎると、
息が詰まってしまいます。
自分の失敗を、
「やっちまったなぁ」
と、
笑い飛ばせる余裕。
それこそが、
私たちが、
この息苦しい世界を生き抜くための、
最強の武器なのではないでしょうか。
ここで、
もう一つの具体例を、
出させてください。
みなさんは、
子供の頃に、
水たまりに飛び込んで、
泥だらけになって、
母親にめちゃくちゃ怒られた経験は、
ありませんか。
私は、
あります。
綺麗な新しい靴を履いていたのに、
わざわざ、
一番深いところを選んで、
ジャンプした。
「ほら、見てくれこれ!」
と、
誇らしげに母親を見上げたら、
鬼のような形相で、
仁王立ちしていた。
あのときの、
絶望感。
そして、
家に帰ってからの、
お説教。
でも、
今となっては、
笑い話です。
あのときの泥は、
綺麗に落ちた。
新しい靴も、
いつかはボロボロになって、
捨てられた。
残ったのは、
「あいつ、バカなことしたな」
という、
笑いだけです。
それと同じように、
今の私たちが、
「これは一大事だ!」
と頭を抱えている問題も、
十年後には、
ただの、
笑える思い出話に、
なっているはずなのです。
そう考えると、
なんだか、
気が楽になりませんか。
問題は、
目の前の出来事に、
どれだけ、
「のめり込んでしまうか」
ということです。
もちろん、
真剣に向き合うことは、
大切です。
逃げられない現実も、
たくさんあります。
でも、
心のどこかで、
「まあ、いっか」
「どうせ、笑い話になるし」
と思える自分がいるかどうか。
それが、
人生の明暗を、
分けるのかもしれません。
『笑い』
というものは、
不思議な力を持っています。
どんなに暗い部屋でも、
一筋の光が差し込むように、
心を、
一瞬で、
軽くしてくれる。
自分を笑う。
他人を笑う。
世界を笑う。
それは、
けっして、
冷笑(れいしょう)することでは、
ありません。
世界を愛しているからこそ、
その不条理を、
優しく、
包み込むように笑う。
そういう、
温かい笑いなのだと、
私は思います。
では、
いったい、
私たちは、
どうやって、
そんな境地に至ることが、
できるのでしょうか。
それは、
日々の小さな出来事を、
面白がることからしか、
始まらないのです。
大きな悟りを開こうとしなくていい。
山にこもって修行する必要も、
ありません。
目の前で起きた、
ちょっとした不運を、
「これは使えるぞ」
と、
ブログのネタにしてしまう。
「ツイてないなぁ」
で終わらせずに、
「おいしいなぁ」
と言い換えてみる。
その瞬間、
ただの被害者が、
物語の主人公に、
生まれ変わるのです。
これは、
スゴイことだと思います!!
自分の人生というドラマの、
脚本家になり、
演出家になり、
そして、
最高に笑える道化師になる。
誰もが、
自分の人生の舞台の、
主役なのです。
だからこそ、
悲劇のヒロインを気取るのは、
もう、
おしまいにしましょう。
涙を流す日があってもいい。
でも、
その涙のあとには、
必ず、
大きな笑い声を響かせよう。
自分のドジを笑い、
友人の失敗を温かく見守り、
この世界の、
どうしようもなさを愛する。
そういう生き方を、
私は、
していきたいのです。
大げさですかね。
でも、
いいんです。
大風呂敷を広げたって、
誰も怒りません。
ここは、
私のブログであり、
あなたと私だけの、
秘密の遊び場なのだから。
さて、
今度こそ、
本当にお別れの時間です。
ここまで付き合ってくれた、
物好きなあなたへ。
本当に、
ありがとうございました。
明日もきっと、
何かくだらないトラブルが、
あなたを待っているでしょう。
でも、
大丈夫です。
そのときは、
深呼吸をして、
こう呟いてみてください。
「おっ、ネタができたぞ」
と。
それだけで、
世界は少しだけ、
優しくなるはずです。
それでは、
また。
今度こそ、
本当に、
さようなら・・!!