「常世田薬師」「常灯寺御本尊御開帳」(銚子市)
本日ご案内するのは、地元「銚子市」「常灯寺」で明日、1月8日(火)に開催されます「常世田薬師」「常灯寺御本尊御開帳」です。
「常灯寺(じょうとうじ)」(2011年1月11日のブログ参照)は、「銚子市」にある「真言宗智山派」の「寺院」で、「山号」は「常世田山」です。
「常灯寺」の「御本尊」は「薬師如来」であり、「地名」から「常世田薬師(とこよだやくし)」とも呼ばれています。
「常灯寺」(「常世田薬師」)の「創建年代」等については不詳ですが、「言い伝え」によりますと、「行基」によって開創された「寺」と伝えられています。
「常灯寺」は、「目」の「病気」に「御利益」があるとされ「人々」に篤く信仰され、「常世田薬師」と呼ばれ、広く親しまれています。
現在「常灯寺」は、「解体修理」(2011年2月15日のブログ参照)を行っており、本年(2013年)、来年(2014年)度に「修復」を行い、再来年(2015年)3月末に修復されるそうです。
「行基」ですが、「日本」の奈良時代の「僧」で、天智天皇7年(668年)に生まれました。
(677年4月に生まれたという説もあります。)
「僧侶」と「国家機関」と「朝廷」が定め「仏教」の「一般民衆」への「布教」を禁じた時代に、「禁」を破り「畿内」を中心に「民衆」や「豪族層」を問わず広く「仏法」の「教え」を説き人々より篤く崇敬されました。
また「行基」は、「道場」・「寺」を多く建てたのみならず、「溜池15窪」、「溝」と「堀9筋」、「架橋6所」を、「困窮者」のための「布施屋」9ヶ所等の「設立」など「社会事業」を「各地」で行ったそうです。
「朝廷」からは度々(たびたび)弾圧されましたが、「奈良の大仏」(「東大寺」ほか)建立の「実質上」の「責任者」として招聘されたそうです。
この「功績」により「行基」は、「東大寺」の「四聖」の「一人」に数えられています。
「常世田薬師」「常灯寺」の「本堂」は附随して「宮殿」、「棟札」とともに、昭和54年(1979年)3月2日に「千葉県」の「有形文化財」(建造物)に指定されています。
「常世田薬師」「常灯寺」は、「千葉県内」では江戸時代前期の「密教系仏堂」の「代表例」といわれているそうです。
「常世田薬師」「常灯寺」には、「寺宝」でもあります「木造薬師如来坐像」があります。
「木造薬師如来坐像」は、「像高」140.9cm、「ヒノキ寄木造り」で全面に「漆箔」を施しています。
「仏像」のふくよかな「顔」な流麗な「衣文」など随所に平安後期の特徴を残している鎌倉時代初期の「代表的」な「仏像」なのだそうです。
「木造薬師如来坐像」の「台座」は仁治年間に修理されました「八角形」の「裳懸座」で、だそうです。
「常世田薬師」「常灯寺」「木造薬師如来坐像」は、昭和34年(1959年)6月27日に「国」の「重要文化財」(彫刻)に指定されました。
「常灯寺御本尊御開帳」は、「常世田薬師」「常灯寺」で年に一度催される「行事」で、「国」の「重要文化財」(彫刻)に指定されています「寺宝」「木造薬師如来坐像」が御開帳されます。
上記のように「木造薬師如来坐像」は、「ヒノキ材」の「寄木造り」で全面に「漆箔」を施し、細かく彫り出した「螺髪」、「伏目」の「彫眼」、ふくよかな「顔」、流麗な「衣文」は平安時代後期の「定朝様式」を伝えています。
「年」に一度「常世田薬師」「常灯寺」で1月8日の午前中のみ「御開帳」する「催し」「常灯寺御本尊御開帳」。
この機会に「銚子市」に訪れてみてはいかがでしょうか?
「常灯寺御本尊御開帳」詳細
開催日時 1月8日(火) 7時~12時
開催会場 常灯寺 銚子市常世田町53-1
問合わせ 銚子市教育委員会生涯学習課文化班 0479-24-8739
備考
江戸時代から明治時代にかけ、「常世田薬師」「常灯寺」は、「東総の三薬師」として隆盛を極めていたそうです。
ちなみに「東総の三薬師」とは「銚子市」の「常灯寺」、「旭市」の「尾世川薬師寺」、「匝瑳市」の「泉養院」(現在、廃寺)だったそうです。
「常灯寺(じょうとうじ)」(2011年1月11日のブログ参照)は、「銚子市」にある「真言宗智山派」の「寺院」で、「山号」は「常世田山」です。
「常灯寺」の「御本尊」は「薬師如来」であり、「地名」から「常世田薬師(とこよだやくし)」とも呼ばれています。
「常灯寺」(「常世田薬師」)の「創建年代」等については不詳ですが、「言い伝え」によりますと、「行基」によって開創された「寺」と伝えられています。
「常灯寺」は、「目」の「病気」に「御利益」があるとされ「人々」に篤く信仰され、「常世田薬師」と呼ばれ、広く親しまれています。
現在「常灯寺」は、「解体修理」(2011年2月15日のブログ参照)を行っており、本年(2013年)、来年(2014年)度に「修復」を行い、再来年(2015年)3月末に修復されるそうです。
「行基」ですが、「日本」の奈良時代の「僧」で、天智天皇7年(668年)に生まれました。
(677年4月に生まれたという説もあります。)
「僧侶」と「国家機関」と「朝廷」が定め「仏教」の「一般民衆」への「布教」を禁じた時代に、「禁」を破り「畿内」を中心に「民衆」や「豪族層」を問わず広く「仏法」の「教え」を説き人々より篤く崇敬されました。
また「行基」は、「道場」・「寺」を多く建てたのみならず、「溜池15窪」、「溝」と「堀9筋」、「架橋6所」を、「困窮者」のための「布施屋」9ヶ所等の「設立」など「社会事業」を「各地」で行ったそうです。
「朝廷」からは度々(たびたび)弾圧されましたが、「奈良の大仏」(「東大寺」ほか)建立の「実質上」の「責任者」として招聘されたそうです。
この「功績」により「行基」は、「東大寺」の「四聖」の「一人」に数えられています。
「常世田薬師」「常灯寺」の「本堂」は附随して「宮殿」、「棟札」とともに、昭和54年(1979年)3月2日に「千葉県」の「有形文化財」(建造物)に指定されています。
「常世田薬師」「常灯寺」は、「千葉県内」では江戸時代前期の「密教系仏堂」の「代表例」といわれているそうです。
「常世田薬師」「常灯寺」には、「寺宝」でもあります「木造薬師如来坐像」があります。
「木造薬師如来坐像」は、「像高」140.9cm、「ヒノキ寄木造り」で全面に「漆箔」を施しています。
「仏像」のふくよかな「顔」な流麗な「衣文」など随所に平安後期の特徴を残している鎌倉時代初期の「代表的」な「仏像」なのだそうです。
「木造薬師如来坐像」の「台座」は仁治年間に修理されました「八角形」の「裳懸座」で、だそうです。
「常世田薬師」「常灯寺」「木造薬師如来坐像」は、昭和34年(1959年)6月27日に「国」の「重要文化財」(彫刻)に指定されました。
「常灯寺御本尊御開帳」は、「常世田薬師」「常灯寺」で年に一度催される「行事」で、「国」の「重要文化財」(彫刻)に指定されています「寺宝」「木造薬師如来坐像」が御開帳されます。
上記のように「木造薬師如来坐像」は、「ヒノキ材」の「寄木造り」で全面に「漆箔」を施し、細かく彫り出した「螺髪」、「伏目」の「彫眼」、ふくよかな「顔」、流麗な「衣文」は平安時代後期の「定朝様式」を伝えています。
「年」に一度「常世田薬師」「常灯寺」で1月8日の午前中のみ「御開帳」する「催し」「常灯寺御本尊御開帳」。
この機会に「銚子市」に訪れてみてはいかがでしょうか?
「常灯寺御本尊御開帳」詳細
開催日時 1月8日(火) 7時~12時
開催会場 常灯寺 銚子市常世田町53-1
問合わせ 銚子市教育委員会生涯学習課文化班 0479-24-8739
備考
江戸時代から明治時代にかけ、「常世田薬師」「常灯寺」は、「東総の三薬師」として隆盛を極めていたそうです。
ちなみに「東総の三薬師」とは「銚子市」の「常灯寺」、「旭市」の「尾世川薬師寺」、「匝瑳市」の「泉養院」(現在、廃寺)だったそうです。
「絵になるまち佐原絵画コンクール」(香取市)
本日ご紹介するのは、となりまち「香取市」「佐原町並み交流館」で2012年12月19日(水)~2013年1月16日(水)の期間開催されます「絵になるまち佐原絵画コンクール」です。
「香取市」は、「千葉県」の「北東部」に位置し、「北部」は「茨城県」と接しています。
「香取市」は、「東京」から70km圏にあり、「世界」への「玄関口」(WORLD SKY GATE)「成田国際航空」(2012年12月10日のブログ参照)から15km圏に位置しています。
「香取市」「北部」には「水郷」の「風情」が漂う「利根川」(2011年10月9日のブログ参照)が「東西」に流れ、その「流域」には「水田地帯」が広がり、「南部」は「山林」と「畑」を中心とした「平坦地」で「北総台地」(下総台地)(2012年7月10日のブログ参照)の一角を占めています。
「香取市」には、「日本」の「原風景」を感じさせる「田園」・「里山」や、「水郷筑波国定公園」(2012年8月3日のブログ参照)に位置する「利根川」周辺の「自然景観」をはじめ、「東国三社」(2010年10月23日のブログ参照)のひとつ「香取神宮」(2010年11月5日・6日のブログ参照)、「舟運」で栄えた「佐原のまち」には「日本」で初めて「実測日本地図」を作成した「伊能忠敬」(2011年3月5日のブログ参照)の「旧宅」(国指定史跡)(2012年2月24日のブログ参照)、江戸時代から昭和初期に建てられた「商家」や「土蔵」が現在もその「姿」を残し、「関東地方」で初めて「重要伝統的建造物群保存地区」に選定されるなど、「香取市」は、「水」と「緑」に囲まれ、「自然」・「歴史」・「文化」に彩られた「まち」です。
「香取市」では、「行事」も「年間」を通して盛んに行われ、4月には「小見川城山公園」(2011年2月26日のブログ参照)や「佐原公園」(諏訪公園)(2012年2月17日のブログ参照)を初めとする「市内各所」に「桜」が咲き誇り、6月には「東洋一」の「規模」を誇る「水郷佐原水生植物園」(2012年4月26日のブログ参照)において、400品種150万本の「花菖蒲」(2011年5月27日のブログ参照)が色とりどりに咲き誇ります。
また「香取市」では、「夏」(7月)(2011年7月11日・2012年7月9日のブログ参照)と「秋」(10月)(2011年10月3日・2012年10月10日のブログ参照)には「佐原囃子」(2012年2月23日のブログ参照)の「調べ」に乗って、「山車」が「佐原のまち」を曳き廻される「勇壮絢爛(ゆうそうけんらん)」な「佐原の大祭」(国指定重要無形民俗文化財)(2011年7月13日のブログ参照)が盛大に開催されるほか、「関東」でも「有数の歴史」と「規模」を誇る「水郷おみがわ花火大会」(2010年7月28日・2011年6月28日・7月28日・2012年7月29日のブログ参照)や「黒部川」(2012年3月10日のブログ参照)での「水上スポーツ」(2012年7月14日・10月5日のブログ参照)も盛んに行われています。
「香取市」の「産業面」では、温暖な「気候」と肥沃な「農地」に恵まれ、「首都圏」の「食糧生産地」の「役割」を担っています。
また「香取市」は、古くから「水郷」の「早場米産地」として知られる「米どころ」で、さらに「香取市」は「食用甘しょ」の「生産」・「販売額」「全国一」を誇る「千葉県内」で一番の「甘しょ生産地」であり、「日本一」の「食用甘しょ」の「生産地」といえます。
「水運」を利用して「江戸優り(えどまさり)」といわれるほど栄えていた「香取市」「佐原地区」。
人々は、「江戸」の「文化」を取り入れ、更にそれを独自の「文化」に昇華していたそうです。
その「面影」を残す「佐原の町並み」が「小野川」(2012年9月7日のブログ参照)沿岸や「香取街道」に今でも残っています。
このような「歴史景観」をよく残し、またそれを活かした「まちづくり」に取り組んでいることが認められ、平成8年12月、「関東」で初めて「重要伝統的建造物群保存地区」(重伝建)に選定されました。
「佐原」の「重伝建」は「昔」からの「家業」を引き継いで今も「営業」を続けている「商家」が多く、
「生きている町並み」
として評価されています。
「美しい風景に出会うと、絵を描きたくなる。
元々、絵が好きだから、かもしれない。
でも、ここには、絵が書きたくなる理由がある。
絵になるまち佐原。
あなたもこのまちをえがいてみませんか?」
と「佐原商工会議所」主催で、「絵になるまち佐原絵画コンクール」がこの度(たび)、「佐原町並み交流館」(2012年1月27日のブログ参照)にて昨年(2012年)暮れから開催しています。
「絵になるまち佐原絵画コンクール」は、毎年開催されている「催し」で、「作品テーマ」として「佐原の町並みを描いた作品」を出品し審査。
「入賞入選」は「佐原しんきん街かどギャラリー」にて展示、「ポストカード化」されるそうです。
「絵になるまち佐原絵画コンクール」の「応募資格」は制限なしで、「出品点数」は一人一点、「規格」は「水彩画」・「油絵」10号以下、「応募方法」は「出品申込書」「出品票」「作品預かり書」を記入の上、「郵送」か「FAX」で募集していました。
(受付は終了しています。)
「応募作品」は「原則」「額装」だったそうです。
本年度「絵になるまち佐原絵画コンクール」「最優秀賞」は「蔵のある街2012」、「優秀賞」は、「町並みの風景」、「裏参道」、「与倉屋さん」、「香取市長賞」は、「小野川散歩」、「佐原商工会議所会頭賞」は、「水の郷さわら小野川沿いにて」、「佐原信用金庫理事長賞」は、「倉庫のある風景」、「小野川と佐原の町並みを考える会理事長賞」は、「昼下がりの街」、「佳作」は、「佐原町並み」、「初夏の小野川」、「穏やかな日」、「佐原駅」、「小野川沿いの民家」、「小野川沿いの商家と観光遊覧船」、「変わらぬもの」、「伊能忠敬記念館」、「水ぬるむ」、「春」、「遥かなる街佐原」、「小野川 新橋からの町並」、「小野川沿いの風景」、「佐原の商家」、「香取街道」、「絵になる街佐原の「写生会にて」」、「佐原秋大祭手踊り」が選考されています。
美しい「佐原の町並み」を「絵画」に表現した「優秀作」が展示された「企画展示」「絵になるまち佐原絵画コンクール」。
この機会に「香取市」に訪れてみてはいかがでしょうか?
「絵になるまち佐原絵画コンクール」詳細
開催期間 2012年12月19日(水)~2013年1月16日(水)予定
開館時間 10時~17時
開催会場 佐原町並み交流館 香取市佐原イ1903-1
休館日 第2月曜日
問合わせ 佐原商工会議所 0478-54-2244
備考
「絵になるまち佐原絵画コンクール」の「入選作品」は、「佐原商工会議所HP」にアップされています。
「香取市」は、「千葉県」の「北東部」に位置し、「北部」は「茨城県」と接しています。
「香取市」は、「東京」から70km圏にあり、「世界」への「玄関口」(WORLD SKY GATE)「成田国際航空」(2012年12月10日のブログ参照)から15km圏に位置しています。
「香取市」「北部」には「水郷」の「風情」が漂う「利根川」(2011年10月9日のブログ参照)が「東西」に流れ、その「流域」には「水田地帯」が広がり、「南部」は「山林」と「畑」を中心とした「平坦地」で「北総台地」(下総台地)(2012年7月10日のブログ参照)の一角を占めています。
「香取市」には、「日本」の「原風景」を感じさせる「田園」・「里山」や、「水郷筑波国定公園」(2012年8月3日のブログ参照)に位置する「利根川」周辺の「自然景観」をはじめ、「東国三社」(2010年10月23日のブログ参照)のひとつ「香取神宮」(2010年11月5日・6日のブログ参照)、「舟運」で栄えた「佐原のまち」には「日本」で初めて「実測日本地図」を作成した「伊能忠敬」(2011年3月5日のブログ参照)の「旧宅」(国指定史跡)(2012年2月24日のブログ参照)、江戸時代から昭和初期に建てられた「商家」や「土蔵」が現在もその「姿」を残し、「関東地方」で初めて「重要伝統的建造物群保存地区」に選定されるなど、「香取市」は、「水」と「緑」に囲まれ、「自然」・「歴史」・「文化」に彩られた「まち」です。
「香取市」では、「行事」も「年間」を通して盛んに行われ、4月には「小見川城山公園」(2011年2月26日のブログ参照)や「佐原公園」(諏訪公園)(2012年2月17日のブログ参照)を初めとする「市内各所」に「桜」が咲き誇り、6月には「東洋一」の「規模」を誇る「水郷佐原水生植物園」(2012年4月26日のブログ参照)において、400品種150万本の「花菖蒲」(2011年5月27日のブログ参照)が色とりどりに咲き誇ります。
また「香取市」では、「夏」(7月)(2011年7月11日・2012年7月9日のブログ参照)と「秋」(10月)(2011年10月3日・2012年10月10日のブログ参照)には「佐原囃子」(2012年2月23日のブログ参照)の「調べ」に乗って、「山車」が「佐原のまち」を曳き廻される「勇壮絢爛(ゆうそうけんらん)」な「佐原の大祭」(国指定重要無形民俗文化財)(2011年7月13日のブログ参照)が盛大に開催されるほか、「関東」でも「有数の歴史」と「規模」を誇る「水郷おみがわ花火大会」(2010年7月28日・2011年6月28日・7月28日・2012年7月29日のブログ参照)や「黒部川」(2012年3月10日のブログ参照)での「水上スポーツ」(2012年7月14日・10月5日のブログ参照)も盛んに行われています。
「香取市」の「産業面」では、温暖な「気候」と肥沃な「農地」に恵まれ、「首都圏」の「食糧生産地」の「役割」を担っています。
また「香取市」は、古くから「水郷」の「早場米産地」として知られる「米どころ」で、さらに「香取市」は「食用甘しょ」の「生産」・「販売額」「全国一」を誇る「千葉県内」で一番の「甘しょ生産地」であり、「日本一」の「食用甘しょ」の「生産地」といえます。
「水運」を利用して「江戸優り(えどまさり)」といわれるほど栄えていた「香取市」「佐原地区」。
人々は、「江戸」の「文化」を取り入れ、更にそれを独自の「文化」に昇華していたそうです。
その「面影」を残す「佐原の町並み」が「小野川」(2012年9月7日のブログ参照)沿岸や「香取街道」に今でも残っています。
このような「歴史景観」をよく残し、またそれを活かした「まちづくり」に取り組んでいることが認められ、平成8年12月、「関東」で初めて「重要伝統的建造物群保存地区」(重伝建)に選定されました。
「佐原」の「重伝建」は「昔」からの「家業」を引き継いで今も「営業」を続けている「商家」が多く、
「生きている町並み」
として評価されています。
「美しい風景に出会うと、絵を描きたくなる。
元々、絵が好きだから、かもしれない。
でも、ここには、絵が書きたくなる理由がある。
絵になるまち佐原。
あなたもこのまちをえがいてみませんか?」
と「佐原商工会議所」主催で、「絵になるまち佐原絵画コンクール」がこの度(たび)、「佐原町並み交流館」(2012年1月27日のブログ参照)にて昨年(2012年)暮れから開催しています。
「絵になるまち佐原絵画コンクール」は、毎年開催されている「催し」で、「作品テーマ」として「佐原の町並みを描いた作品」を出品し審査。
「入賞入選」は「佐原しんきん街かどギャラリー」にて展示、「ポストカード化」されるそうです。
「絵になるまち佐原絵画コンクール」の「応募資格」は制限なしで、「出品点数」は一人一点、「規格」は「水彩画」・「油絵」10号以下、「応募方法」は「出品申込書」「出品票」「作品預かり書」を記入の上、「郵送」か「FAX」で募集していました。
(受付は終了しています。)
「応募作品」は「原則」「額装」だったそうです。
本年度「絵になるまち佐原絵画コンクール」「最優秀賞」は「蔵のある街2012」、「優秀賞」は、「町並みの風景」、「裏参道」、「与倉屋さん」、「香取市長賞」は、「小野川散歩」、「佐原商工会議所会頭賞」は、「水の郷さわら小野川沿いにて」、「佐原信用金庫理事長賞」は、「倉庫のある風景」、「小野川と佐原の町並みを考える会理事長賞」は、「昼下がりの街」、「佳作」は、「佐原町並み」、「初夏の小野川」、「穏やかな日」、「佐原駅」、「小野川沿いの民家」、「小野川沿いの商家と観光遊覧船」、「変わらぬもの」、「伊能忠敬記念館」、「水ぬるむ」、「春」、「遥かなる街佐原」、「小野川 新橋からの町並」、「小野川沿いの風景」、「佐原の商家」、「香取街道」、「絵になる街佐原の「写生会にて」」、「佐原秋大祭手踊り」が選考されています。
美しい「佐原の町並み」を「絵画」に表現した「優秀作」が展示された「企画展示」「絵になるまち佐原絵画コンクール」。
この機会に「香取市」に訪れてみてはいかがでしょうか?
「絵になるまち佐原絵画コンクール」詳細
開催期間 2012年12月19日(水)~2013年1月16日(水)予定
開館時間 10時~17時
開催会場 佐原町並み交流館 香取市佐原イ1903-1
休館日 第2月曜日
問合わせ 佐原商工会議所 0478-54-2244
備考
「絵になるまち佐原絵画コンクール」の「入選作品」は、「佐原商工会議所HP」にアップされています。
「白馬祭(おうめさい)」(鹿嶋市)
本日ご案内するのは、近隣市「鹿嶋市」「鹿島神宮」で明後日(あさって)の1月7日(月)に開催されます「白馬祭(おうめさい)」です。
「鹿島神宮」(2010年11月8日・9日・10日のブログ参照)は、「茨城県」「鹿嶋市」「宮中」に鎮座する「神社」で、「武甕槌大神(たけみかづちのおおかみ)」を祀っています。
「武甕槌大神」は、「天照大神(あまてらすおおかみ)」の「命令」を受けて、「経津主神(ふつぬしのかみ)」(香取神宮の御祭神)とともに、「天孫降臨(てんそんこうりん)」に先立ち、「高天原(たかまがはら)」より「出雲(いずも)国」(島根県)に降(くだ)り、「大国主神(おおくにぬしのかみ)」と「国譲り」の「交渉」をしたと「神話」で語られる「神様」で、「神武(じんむ)天皇」の「大和(やまと)国」(奈良県)入国にも「天皇」を「守護」したと伝えられていますが、その「神武天皇」が「即位」ののち、「神恩感謝」のため「当地」「鹿島の地」に祀らせたのが「鹿島神宮」の「起源」と「伝承」されています。
「常陸国風土紀(ひたちのくにふどき)」に、そのあと「崇神(すじん)天皇」の「代」になり、「大阪山」に「大神」が現れ、「中臣神聞勝命(なかとみのかむききかつのみこと)」の代になり、「大阪山」に神託し、それにより「天皇」は「大刀(たち)」、「鉾(ほこ)」、「鉄弓」など多くの「幣物」を奉ったと記し、さらに「日本武尊(やまとたけるのみこと)」のとき、「神示」により「舟」3隻を奉納したと記されています。
このことから「大和朝廷」の「東方経営」とともに、「武神」としての「鹿島神宮」が創建されたのであろうと推察されます。
古くより、「鹿島神宮」は、「中臣氏」が奉仕しておりますが、「風土記」に「神戸65烟」と記していますが、「新抄格勅符抄」に、786年(延暦5年)に「神封105戸」と記されています。
奈良時代、「九州防備」に赴(おもむ)く「東国」の「防人(さきもり)」が、まず「鹿島神宮」に詣(もう)でて出発したことより「鹿島立(だ)ち」の「語」が生じ、それが広く「旅立ち」の「意」に用いられたのは、「鹿島神宮」が古くより知られていたためとみられています。
「白馬祭」は、「鹿島神宮」で行われる「神事」です。
「白馬祭」は、「新年」に「白馬」を見ると「一年間」の「邪気」を祓うといわれる「信仰」と、「皇祖」以下「祖霊」や「諸神」をまつる「祭儀」です。
「白馬祭」では、「鹿島神宮」「境内」を「神馬」が疾走し、「勇壮」な「鹿島立ち」の「神事」なのだそうです。
「白馬祭」当日は、時間になりますと「鹿島神宮」「楼門」のほうから「拝殿」のほう(「馬」のいる「稲荷社」のほう)に「神職」が「馬」を迎えに行き、「鹿島神宮」に「馬」(白馬)が入場します。
「馬」(白馬)が入場すると「拝殿」前の「広場」にて、「宮司」が「祝詞(のりと)」を読み上げ、「広場」では、「馬」がぐるぐると歩くそうです。
「馬」(白馬)をみることで、1年の「邪気」が祓われるという「鹿島神宮」「行事」「白馬祭」。
この機会に「鹿嶋市」に訪れてみてはいかがでしょうか?
「白馬祭」詳細
開催日時 1月7日(月) 18時~
開催会場 鹿島神宮 茨城県鹿嶋市宮中2306-1
問合わせ 鹿島神宮 0299-82-1209
備考
「白馬祭」では、「馬」(白馬)が歩くところに「ハンカチ」等を置き、「馬」(白馬)に踏ませるそうです。
「白馬祭」の「馬」(白馬)に踏まれた「ハンカチ」を持つと「心願」が叶うとされています。
「鹿島神宮」(2010年11月8日・9日・10日のブログ参照)は、「茨城県」「鹿嶋市」「宮中」に鎮座する「神社」で、「武甕槌大神(たけみかづちのおおかみ)」を祀っています。
「武甕槌大神」は、「天照大神(あまてらすおおかみ)」の「命令」を受けて、「経津主神(ふつぬしのかみ)」(香取神宮の御祭神)とともに、「天孫降臨(てんそんこうりん)」に先立ち、「高天原(たかまがはら)」より「出雲(いずも)国」(島根県)に降(くだ)り、「大国主神(おおくにぬしのかみ)」と「国譲り」の「交渉」をしたと「神話」で語られる「神様」で、「神武(じんむ)天皇」の「大和(やまと)国」(奈良県)入国にも「天皇」を「守護」したと伝えられていますが、その「神武天皇」が「即位」ののち、「神恩感謝」のため「当地」「鹿島の地」に祀らせたのが「鹿島神宮」の「起源」と「伝承」されています。
「常陸国風土紀(ひたちのくにふどき)」に、そのあと「崇神(すじん)天皇」の「代」になり、「大阪山」に「大神」が現れ、「中臣神聞勝命(なかとみのかむききかつのみこと)」の代になり、「大阪山」に神託し、それにより「天皇」は「大刀(たち)」、「鉾(ほこ)」、「鉄弓」など多くの「幣物」を奉ったと記し、さらに「日本武尊(やまとたけるのみこと)」のとき、「神示」により「舟」3隻を奉納したと記されています。
このことから「大和朝廷」の「東方経営」とともに、「武神」としての「鹿島神宮」が創建されたのであろうと推察されます。
古くより、「鹿島神宮」は、「中臣氏」が奉仕しておりますが、「風土記」に「神戸65烟」と記していますが、「新抄格勅符抄」に、786年(延暦5年)に「神封105戸」と記されています。
奈良時代、「九州防備」に赴(おもむ)く「東国」の「防人(さきもり)」が、まず「鹿島神宮」に詣(もう)でて出発したことより「鹿島立(だ)ち」の「語」が生じ、それが広く「旅立ち」の「意」に用いられたのは、「鹿島神宮」が古くより知られていたためとみられています。
「白馬祭」は、「鹿島神宮」で行われる「神事」です。
「白馬祭」は、「新年」に「白馬」を見ると「一年間」の「邪気」を祓うといわれる「信仰」と、「皇祖」以下「祖霊」や「諸神」をまつる「祭儀」です。
「白馬祭」では、「鹿島神宮」「境内」を「神馬」が疾走し、「勇壮」な「鹿島立ち」の「神事」なのだそうです。
「白馬祭」当日は、時間になりますと「鹿島神宮」「楼門」のほうから「拝殿」のほう(「馬」のいる「稲荷社」のほう)に「神職」が「馬」を迎えに行き、「鹿島神宮」に「馬」(白馬)が入場します。
「馬」(白馬)が入場すると「拝殿」前の「広場」にて、「宮司」が「祝詞(のりと)」を読み上げ、「広場」では、「馬」がぐるぐると歩くそうです。
「馬」(白馬)をみることで、1年の「邪気」が祓われるという「鹿島神宮」「行事」「白馬祭」。
この機会に「鹿嶋市」に訪れてみてはいかがでしょうか?
「白馬祭」詳細
開催日時 1月7日(月) 18時~
開催会場 鹿島神宮 茨城県鹿嶋市宮中2306-1
問合わせ 鹿島神宮 0299-82-1209
備考
「白馬祭」では、「馬」(白馬)が歩くところに「ハンカチ」等を置き、「馬」(白馬)に踏ませるそうです。
「白馬祭」の「馬」(白馬)に踏まれた「ハンカチ」を持つと「心願」が叶うとされています。