犬吠埼観光ホテル☆ブログ -85ページ目

「星鎮祭(ほしづ(ず)めさい)」(香取市)

「星鎮祭(ほしづ(ず)めさい)」(香取市)


 本日ご案内するのは、となりまち「香取市」「香取神宮」で明日、1月16日(水)に開催されます「星鎮祭(ほしづ(ず)めさい)」です。

 「香取神宮」(2010年11月5日・6日のブログ参照)は、「香取市香取」に鎮座する「下総国一宮」「神宮」で、「御祭神」は「経津主大神(ふつぬしのおおかみ)」(またの「名」を「伊波比主命(いわいぬしのみこと)」)を祀っています。
 「経津主大神」は、「天照大神(あまてらすおおみかみ)」の「命令」を受け、「天孫降臨(てんそんこうりん)」に先だち、「武甕槌大神(たけみかづちのおおかみ)」(「鹿島神宮」(2010年11月8日・9日・10日のブログ参照)の「御祭神」)とともに「出雲(いずも)国」(島根県)に降(くだ)り、「大国主神(おおくにぬしのかみ)」と「国譲り」を交渉されたと「神話」に語られる「神様」で、「神武天皇」「即位」ののち、現在の地に奉斎されたと「伝承」されています。
 また「香取神宮」は、「武神」としての「経津主大神」が、「朝廷」の「東国経営」にあたって、奉斎されたと考えられています。

 「香取神宮」ですが、「新抄格勅符抄」806年(大同元年)の「牒(ちょう)」に「神封70戸」とみえ、812年(弘仁3年)以降、「住吉(すみよし)社」・「鹿島社」とともに、20年に一度の「式年遷宮」の「制度」が定められ、882年(元慶6年)「下総国」(千葉県北部・茨城県南西部)「神税(しんぜい)」の「稲」5855把余をもって、当時すでに「正一位」「勲一等」とされていた「香取神宮」の「雑舎料」にあてられ、以後20年ごとの「例」とされました。
 「香取神宮」は、「延喜(えんぎ)」の「制」で「名神(みょうじん)大社」となり、「祈年(きねん)」・「月次(つきなみ)」・「新嘗(にいなめ)」の「奉幣」を受けています。
 また「香取神宮」では、毎年2月と6月に「藤原氏」1人を「派遣」、「祭儀」を行われ、「香取郡」を「神郡」として寄せられたそうです。

 古くより「中臣(なかとみ)氏」、「藤原氏」が「崇敬」奉仕しましたが、中世になり、「源頼朝」が崇敬して「神領」を寄進、以後「東国」の「武家」も「崇敬」寄進し、近世に入って「徳川家康」が「朱印領」1000石を寄進、1700年(元禄13年)「将軍」「徳川綱吉」が現「本殿」、「楼門」、「神楽殿(かぐらでん)」などを造営しました。
 「関東・東北方面」に「本社」勧請(かんじょう)の「社」が多いのは「庶民」の「信仰」の「表れ」とみられています。

 「香取神宮」は、「明治の制」で「官幣大社」、「例祭」(2012年4月13日のブログ参照)は4月14日で、翌15日に「旧8ヶ町村」の「氏子」が出ての「神幸祭」(2012年4月13日のブログ参照)があり、ことに「午年(うまどし)」ごとの「式年大祭」の「神幸」は盛大で、「甲冑姿」の「氏子」数千人が供奉(ぐぶ)し、「神輿」を「利根川」(2011年10月9日のブログ参照)の「御座船」に移しての「船上祭」となるそうです。
 「香取神宮」では、ほかにも4月第1週の土・日曜日の「御田植祭(おたうえまつり)」(2012年4月6日のブログ参照)には、一般に「かとりまち」とよばれる「儀」があり、土曜日に「拝殿」「前庭」で「耕田式」が、日曜日に「田植式」が、多くの「早乙女(さおとめ)」たちの「手」で行われています。
 また「香取神宮」では、11月30日「夜」の「大饗祭(たいきょうさい)」(2012年11月24日のブログ参照)、12月1日の「賀詞祭(がしさい)」(2012年11月30日のブログ参照)、12月4日の「内陣神楽」など、ほかにも「特殊神事」が多いそうです。

 「香取神宮」には、社蔵の「海獣葡萄鏡(かいじゅうぶどうきょう)」(国宝)、「小瀬戸黄釉狛犬(こせとおうゆうこまいぬ)」一対、久安(きゅうあん)5年(1149年)在銘の「双竜文鏡(そうりゅうもんきょう)」は「国の重要文化財」に指定されています。
 ほかにも「香取神宮」には、「国」・「県指定」の「文化財」だけでも200点余を「所蔵」・「所有」しています。

 「星鎮祭」は、「香取神宮」「新春恒例」の「神事」で、「香取神宮」「弓道場」に設けられた「大星的」を射ぬき、「邪気」を祓う「祭事」です。
 「星鎮祭」は、「星」の「運行」を乱し、「世」の「混乱」を起こす「天香香背男(アメノカカセオ)」(香香背男)という「神」を「香取の神」(経津主大神)が「弓」で射落とし、「星塚」に鎮めたとする「神事」です。

 「香取神宮」の「御祭神」・「経津主大神」が「国」を平定した際、最後まで抵抗した「星の神」を名乗る「天香香背男」(香香背男)の「神」を「武力」で討伐したという「言い伝え」から由来しています。
 「星鎮祭」は、「経津主大神」の「功績」をたたえるとともに、「天香香背男」(香香背男)の「神の霊」を鎮めるために毎年行われてきました。

 「星鎮祭」当日は、「香取神宮」「本殿」で「祭典」が行われた後、「烏帽子(えぼし)」に「直垂姿(ひたたれすがた)」の「香取弓道会」の「代表」(4人)が「弓道場」で、厳(おごそ)かな「雰囲気」の中、「大星的」をめがけて「矢」を2本ずつ放ち「星塚」(小さな「砂山」)の「四方」に「竹ぐし」を刺して「星の神」「天香香背男」(香香背男)の「霊」を鎮めるそうです。

 なお、「星鎮祭」は、どなたでも「見学」が出来ますが、「神事」ですので、「静粛(せいしゅく)」に「拝観(はいかん)」下さいとのことです。

 「新春」に「香取神宮」で行われる「恒例」の「神事」「星鎮祭」。
 この機会に「香取市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「星鎮祭」詳細

 開催日時 1月16日(水) 10時~

 開催会場 香取神宮 香取市香取1697

 問合わせ 香取神宮 0478-57-3211

 備考
 「香香背男」(「天香香背男」)は、「天津甕星(あまつみかぼし)」という「日本神話」に登場する「星の神」の「別名」です。
 「茨城県」にある「大甕倭文神社」で「天津甕星」の「荒魂」を封じ込めた「石」・「宿魂石」が「境内」にあります。













「稲生神社のひげなで三杯」(匝瑳市)

「稲生神社のひげなで三杯」(匝瑳市)


 本日二つ目にご案内するのは、近隣市「匝瑳市」「今泉・稲生(いなおい)神社」で明日、1月15日(火)に開催されます「ひげなで三杯」です。

 「今泉・稲生神社」は、「匝瑳市」「野田地区」にある「神社」です。
 「匝瑳市」には、「市域」に「稲生神社」が数多く存在しており、「ひげなで三杯」が行われるのは、「今泉」の「稲生神社」となっています。

 「匝瑳市」「野田地区」ですが、「匝瑳市」「南部」、旧「野栄町」の「東部」に位置する旧「野田村」にあります。
 「野田地区今泉」にある「稲生神社」では、1月15日に今年一年の「家内安全」・「五穀豊穣」などを祈願して「ひげなで三杯」が行われています。

 「ひげなで三杯」は、「今泉」の「16集落」の「当番区」が、昔からの「しきたり」により、「裃(かみしも)」、「袴姿(はかますがた)」の「座奉行」(「小学校」入学前後の「子ども」)二人が「東西」に分かれて、他の「集落」の「氏子」を「小椀」、「中椀」、「大椀」の「順」で「杯」を接待したあと、「酒豪」二人づつが「東西」に分かれて「酒」を競って飲む「行事」だそうです。

 競い合う「杯」ですが、「大椀」(約1.5合)と「小椀」(約0.7合)の二つがあり、「対戦相手」の「了解」のもとで「どちら」で競い合うかが決められ、「髭(ひげ)を撫(な)でる」と「三杯飲み干す」という「ユニーク」な「ならわし」です。

 なお「ひげなで三杯」の「勝敗」ですが、「杯」を一気に飲み干すたびに、その「豪快さ」から見ている「方々」から「オーッ」という「歓声」や大きな「拍手」、「ため息」に包まれるそうです。

 「今泉・稲生神社」で行われる「ユニーク」な「行事」「ひげなで三杯」。
 この機会に「匝瑳市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「ひげなで三杯」詳細

 開催日  1月15日(火)

 開催会場 今泉・稲生神社 匝瑳市今泉

 問合わせ 匝瑳市教育委員会生涯学習課生涯学習室 0479-67-1266

 備考
 「ひげなで三杯」では、「行事」の最後に「当番」の「引き継ぎ」があるそうです。
 なお、「来年」の「当番」の「人」は「鳥居」をくぐるまで振り向いてはいけないそうです。

「正月例祭」「神的行事」(旭市)

「正月例祭」「神的行事」(旭市)


 本日ご案内するのは、となりまち「旭市」「玉崎神社」で明日、1月15日(火)に開催されます「正月例祭」・「神的行事」です。

 「玉崎神社」(2012年1月1日のブログ参照)は、「旭市」「飯岡」(「下総国」「海上郡」)にある「神社」で、「下総国二宮」(論社)、「旧社格」は「郷社」です。
 「玉崎神社」の「御祭神」ですが、「主祭神」は「玉依姫尊(たまよりひめのみこと)」で、「日本武尊(やまとたけるのみこと)」を配祀しています。

 「玉崎神社」の「由緒」ですが、「社伝」によりますと「景行天皇」40年の「創建」とされています。
 「日本武尊」が「東征」の折、「相模」より「上総」に渡ろうとして「海難」に遭った際、「弟橘媛(おとたちばなひめ)」が
 「これは海神の御心に違いない」
 といって入水したので、無事「上総国」に着くことができ、「葦浦」(「鴨川市」「吉浦」)を廻り「玉の浦」(「九十九里浜」())に渡ることができたそうです。
 そこで「日本武尊」は、その「霊異」を畏(かしこ)み、「海上平安」、「夷賊鎮定」のために、「玉の浦」の「東端」「玉ヶ崎」に、「海神」の「娘」であり「神武天皇」の「母」である「玉依姫尊」を祀ったと伝えられています。
 後世「玉ヶ崎」を「竜王岬」と言うようになったのは、「海神」を「竜宮の神」に付会して「竜王の鎮まり坐す崎」としたためといわれています。

 「正月例祭」・「神的行事」では、「祈年祭」「流鏑祭」として「神庭」に「斎場」を設け、「弓矢」で「的」を射るとともに、「元朝」の「筒粥の神事」とあわせて、一年の「吉凶」を「卜占(ぼくせん)」するそうです。
 「玉崎神社」「筒粥の神事」は、毎年1月7日に「宮司(ぐうじ)」・「禰宜(ねぎ)」にのみ厳粛(げんしゅく)に行われ、「一般非公開」なのだそうです。

 「東総」の「古社」「玉崎神社」で行われる「新春恒例」の「神事」「正月例祭」・「神的行事」。
 この機会に「旭市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「正月例祭」・「神的行事」詳細

 開催日時 1月15日(火) 9時半頃~

 開催会場 玉崎神社 旭市飯岡2126

 問合わせ 玉崎神社 0479-57-2278

 備考
 「玉崎神社」境内には、「昭和天皇御製碑」があり、「御製碑」には「あめつちの 神にぞいのる 朝なぎの 海のごとくに 波たたぬ世を」とあります。
 この「御歌」は、「昭和天皇」が昭和8年の「お歌会始」で、「天地の神様」に「世界の平和」を祈られて「お詠み」になった「御歌」だそうです。
 「玉崎神社」では、「この歌」に「作曲」・「作舞」した「祭祀舞」である「浦安の舞」と「玉崎神社」独自の「祭祀舞」である「磐楠の舞」を、厳かな「雅楽」の「演奏」のもと、「三大祭」(1月15日・5月5日・10月15日)ごとに「神前」に奉納しているそうです。