「ブータン写真展」「写真家関健作氏」(銚子市)
本日ご紹介するのは、地元「銚子市」「地球が丸く見える丘展望館」で2月1日(金)~11日(祝・月)の期間開催されています「ブータン写真展」「写真家関健作氏」です。
「地球が丸く見える丘展望館」(2010年8月30日のブログ参照)は、「下総台地」(北総台地)(2012年7月10日のブログ参照)の「高所」(標高73.6m)である「愛宕山」の「頂上」にある「観光スポット」です。
「地球が丸く見える丘展望館」からは、「北」は「鹿島灘(かしまなだ)」(2012年6月16日のブログ参照)から「筑波山」を望み、「東」と「南」は一望千里に「太平洋」の「大海原」を、「西」は「屏風ヶ浦(びょうぶがうら)」(2012年5月20日のブログ参照)から「九十九里浜」(2012年5月11日のブログ参照)まで見渡せます。
「地球が丸く見える丘展望館」では、「標高」約90mの「展望スペース」からは360度の「大パノラマ」が広がり緩やかに「弧」を描いた「水平線」によって、「地球の丸さ」が実感できるそうです。
「ブータン」(正式名称「ブータン王国」)は、「南アジア」にある「国家」で、「インド」と「中国」にはさまれている、「世界」で唯一「チベット仏教」(ドゥク・カギュ派)を「国教」とする「国家」です。
「ブータン」の「民族」ですが、「チベット系」8割、「ネパール系」2割で、「公用語」は「ゾンガ語」、「首都」は「ティンプー」です。
「ブータン」の「国旗」はかなり複雑なもののひとつで、「竜」の「うろこ」が細かく書かれています。
「ブータン」の「国花」は「メコノプシス」=「ホリドゥラ」、「国樹」は「イトスギ」、「国獣」は「ターキン」、「国鳥」は「ワタリガラス」です。
なお「ブータン」は「幸福度指数世界一」としても知られています。
「ブータン」の「正式名称」の「ラテン文字表記」は「CIA WORLD FACT BOOK」によりますと「Druk Gyalkhap」、「Druk Yul(ドゥク・ユル)」(竜の国)という「略称」が使用されることが多いです。
「ブータン」の「公式」の「英語表記」は「kingdom of Bhutan」(通称、Bhutan)で、「日本語」の「表記」は「ブータン王国」(通称ブータン)、「中国語」では「不丹」と表記し、「不」と略します。
「ブータン」の「地域行政区分」ですが、20の「県」(ゾンカク)に分かれており、「各県」の「県庁」には基本的に「ゾン」(城砦)があり、「聖俗」両方の「中心地」(行政機構、司法機構及び僧院)として機能しています。
「ゾンカク」(県)は「ドゥンカク」(郡、Dungkhag)と「ゲオク」(村、Gewog)という「行政単位」によって構成されています。
2002年時点で、「ブータン」「全国」に16の「ドゥンカク」、201の「ゲオク」があるそうです。
「関健作」氏は、「幸せの国」「ブータン・チベット文化圏」で活動する「写真家」です。
「関健作」氏は、1983年「千葉県」「横芝光町」に生まれ、2006年「順天堂大学」・「スポーツ健康科学部」を卒業、在学中、4年間「陸上競技部」に所属し「インターカレッジ」「総合優勝」、「中学校高等学校」の「保健体育第一種教員免許」、「特別支援第一種教員免許」を取得し、「憧れ」であった「チベット高原」・「ネパール」を「自転車」で横断、約3ヶ月「チベット文化圏」を旅しながら「人々」と交流し「写真」を撮影。
旅から帰国後、「世界」で一番「幸せな国」と言われる「ブータン」と関わるような「仕事」に携わるようになっていったそうです。
「関健作」氏は、2007年「ブータン」に「体育教師」として赴任、「体育普及活動」を行いながら「現地」の「人々」を撮影することに「力」を注ぎ、「撮影」をしながら「ブータン人」の「笑顔」や「生き方」に魅了され、2010年に帰国後、「小学校」の「教員」をしながら「写真展」を開催。
2011年から本格的に「ブータン写真家」の「活動」を始め、数々の「写真展」、「講演会」を行っており、現在に至っています。
「ブータン写真展」「写真家関健作氏」ですが、「地球が丸く見える丘展望館」の「企画展」として行われます。
開催期間は上記の通り、2月1日(金)~2月11日(祝・月)で「地球が丸く見える丘展望館」「2階イベントホール」にて開催されます。
「ブータン写真展」「写真家関健作氏」の主な「展示作品」ですが、以下の通りとなっています。
「笑顔の力」
「スマイル・フロム・ブータン」
「ミルキーウェイ」
「路上で」
「峠で店を出す親子」
「政府の役人さん」
「シャボン玉」
「夕暮れ」
「いいね、その歯、その笑顔」
「下校」
「妹と」
「クラスPPの男の子」
「授業中」
「稲刈り」
「収穫」
「少年僧」
「青空の下」
「スクールキャプテン・ティレー」
「和笑」
「ラマ僧・シンゲ・ワンチュク」
「女神の山・ジョモラリ」
「祭りの道化師・アツァラ」
「横断」
「父さんと」
「朝の光とお母さん」
「キレーの笑み」
「雲漏れ日」
「タクツァン僧院と風に舞うルンタ」
「毎日仏塔を参拝するおじいちゃん」
となっています。
なお「ブータン写真展」「写真家関健作氏」の「最終日」の2月11日(祝・月)には、「関健作」氏もいらっしゃるそうです。
「ブータン人」の「笑顔」・「生き方」に魅了された「写真家」「関健作氏」の「作品」が見れる「企画展」「ブータン写真展」「写真家関健作氏」。
この機会に「地球が丸く見える丘展望館」に訪れてみてはいかがでしょうか?
「ブータン写真展」「写真家関健作氏」詳細
開催期間 2月1日(金)~11日(祝・月)
開催会場 地球が丸く見える丘展望館 銚子市天王台1421-1
営業時間 9時~17時 (入館は~16時半)
入館料 大人 350円 65歳以上 300円 小中学生 200円
問合わせ 地球が丸く見える丘展望館 0479-25-0930
備考
「ブータン」の「国名」の「起源」ですが、様々な「説」があり、「サンスクリット語」で「高地」を意味する「ブーウッタン」説や、「インド側」からの「呼称」で、「インド」からみて「ブータン」が「標高」の高いところに位置していることから呼ばれています。
ちなみに「ブータン」の「人々」は「自国」を「ドュック・ユル」と呼んでおり、これは13世紀以降、「仏教」の「カギュ派」に属する「ドュック派」を「国教」としてきたので、「自分たち」を「ドゥクパ」(カギュ派の中のドゥク派)、「自国」を「ドゥクパの国」(雷龍の国)と呼んでいます
「地球が丸く見える丘展望館」(2010年8月30日のブログ参照)は、「下総台地」(北総台地)(2012年7月10日のブログ参照)の「高所」(標高73.6m)である「愛宕山」の「頂上」にある「観光スポット」です。
「地球が丸く見える丘展望館」からは、「北」は「鹿島灘(かしまなだ)」(2012年6月16日のブログ参照)から「筑波山」を望み、「東」と「南」は一望千里に「太平洋」の「大海原」を、「西」は「屏風ヶ浦(びょうぶがうら)」(2012年5月20日のブログ参照)から「九十九里浜」(2012年5月11日のブログ参照)まで見渡せます。
「地球が丸く見える丘展望館」では、「標高」約90mの「展望スペース」からは360度の「大パノラマ」が広がり緩やかに「弧」を描いた「水平線」によって、「地球の丸さ」が実感できるそうです。
「ブータン」(正式名称「ブータン王国」)は、「南アジア」にある「国家」で、「インド」と「中国」にはさまれている、「世界」で唯一「チベット仏教」(ドゥク・カギュ派)を「国教」とする「国家」です。
「ブータン」の「民族」ですが、「チベット系」8割、「ネパール系」2割で、「公用語」は「ゾンガ語」、「首都」は「ティンプー」です。
「ブータン」の「国旗」はかなり複雑なもののひとつで、「竜」の「うろこ」が細かく書かれています。
「ブータン」の「国花」は「メコノプシス」=「ホリドゥラ」、「国樹」は「イトスギ」、「国獣」は「ターキン」、「国鳥」は「ワタリガラス」です。
なお「ブータン」は「幸福度指数世界一」としても知られています。
「ブータン」の「正式名称」の「ラテン文字表記」は「CIA WORLD FACT BOOK」によりますと「Druk Gyalkhap」、「Druk Yul(ドゥク・ユル)」(竜の国)という「略称」が使用されることが多いです。
「ブータン」の「公式」の「英語表記」は「kingdom of Bhutan」(通称、Bhutan)で、「日本語」の「表記」は「ブータン王国」(通称ブータン)、「中国語」では「不丹」と表記し、「不」と略します。
「ブータン」の「地域行政区分」ですが、20の「県」(ゾンカク)に分かれており、「各県」の「県庁」には基本的に「ゾン」(城砦)があり、「聖俗」両方の「中心地」(行政機構、司法機構及び僧院)として機能しています。
「ゾンカク」(県)は「ドゥンカク」(郡、Dungkhag)と「ゲオク」(村、Gewog)という「行政単位」によって構成されています。
2002年時点で、「ブータン」「全国」に16の「ドゥンカク」、201の「ゲオク」があるそうです。
「関健作」氏は、「幸せの国」「ブータン・チベット文化圏」で活動する「写真家」です。
「関健作」氏は、1983年「千葉県」「横芝光町」に生まれ、2006年「順天堂大学」・「スポーツ健康科学部」を卒業、在学中、4年間「陸上競技部」に所属し「インターカレッジ」「総合優勝」、「中学校高等学校」の「保健体育第一種教員免許」、「特別支援第一種教員免許」を取得し、「憧れ」であった「チベット高原」・「ネパール」を「自転車」で横断、約3ヶ月「チベット文化圏」を旅しながら「人々」と交流し「写真」を撮影。
旅から帰国後、「世界」で一番「幸せな国」と言われる「ブータン」と関わるような「仕事」に携わるようになっていったそうです。
「関健作」氏は、2007年「ブータン」に「体育教師」として赴任、「体育普及活動」を行いながら「現地」の「人々」を撮影することに「力」を注ぎ、「撮影」をしながら「ブータン人」の「笑顔」や「生き方」に魅了され、2010年に帰国後、「小学校」の「教員」をしながら「写真展」を開催。
2011年から本格的に「ブータン写真家」の「活動」を始め、数々の「写真展」、「講演会」を行っており、現在に至っています。
「ブータン写真展」「写真家関健作氏」ですが、「地球が丸く見える丘展望館」の「企画展」として行われます。
開催期間は上記の通り、2月1日(金)~2月11日(祝・月)で「地球が丸く見える丘展望館」「2階イベントホール」にて開催されます。
「ブータン写真展」「写真家関健作氏」の主な「展示作品」ですが、以下の通りとなっています。
「笑顔の力」
「スマイル・フロム・ブータン」
「ミルキーウェイ」
「路上で」
「峠で店を出す親子」
「政府の役人さん」
「シャボン玉」
「夕暮れ」
「いいね、その歯、その笑顔」
「下校」
「妹と」
「クラスPPの男の子」
「授業中」
「稲刈り」
「収穫」
「少年僧」
「青空の下」
「スクールキャプテン・ティレー」
「和笑」
「ラマ僧・シンゲ・ワンチュク」
「女神の山・ジョモラリ」
「祭りの道化師・アツァラ」
「横断」
「父さんと」
「朝の光とお母さん」
「キレーの笑み」
「雲漏れ日」
「タクツァン僧院と風に舞うルンタ」
「毎日仏塔を参拝するおじいちゃん」
となっています。
なお「ブータン写真展」「写真家関健作氏」の「最終日」の2月11日(祝・月)には、「関健作」氏もいらっしゃるそうです。
「ブータン人」の「笑顔」・「生き方」に魅了された「写真家」「関健作氏」の「作品」が見れる「企画展」「ブータン写真展」「写真家関健作氏」。
この機会に「地球が丸く見える丘展望館」に訪れてみてはいかがでしょうか?
「ブータン写真展」「写真家関健作氏」詳細
開催期間 2月1日(金)~11日(祝・月)
開催会場 地球が丸く見える丘展望館 銚子市天王台1421-1
営業時間 9時~17時 (入館は~16時半)
入館料 大人 350円 65歳以上 300円 小中学生 200円
問合わせ 地球が丸く見える丘展望館 0479-25-0930
備考
「ブータン」の「国名」の「起源」ですが、様々な「説」があり、「サンスクリット語」で「高地」を意味する「ブーウッタン」説や、「インド側」からの「呼称」で、「インド」からみて「ブータン」が「標高」の高いところに位置していることから呼ばれています。
ちなみに「ブータン」の「人々」は「自国」を「ドュック・ユル」と呼んでおり、これは13世紀以降、「仏教」の「カギュ派」に属する「ドュック派」を「国教」としてきたので、「自分たち」を「ドゥクパ」(カギュ派の中のドゥク派)、「自国」を「ドゥクパの国」(雷龍の国)と呼んでいます
「香取神宮」「節分祭」(香取市)
本日ご案内するのは、となりまち「香取市」「香取神宮」で明日、2月3日(日)に開催されます「節分祭」です。
「香取神宮」(2010年11月5日・6日のブログ参照)は、「日本書紀」の「国譲り神話」に登場する「経津主大神(ふつぬしのおおかみ)」を「御祭神」に祀り、明治以前に「伊勢」・「鹿島」と並んで「神宮」を「称号」を与えられていた「日本屈指」の「名社」です。
「香取神宮」「本殿」・「中殿」・「拝殿」が連なる「権現造」の「社殿」は、「鹿皮」のような「色」をした「桧皮葺」の「屋根」に「黒漆(くろうるし)」を基調とした「姿」が美しく、「老杉」や「桜」・「カエデ」の「木々」がうっそうと茂り荘厳な「雰囲気」が漂う「境内」は、「パワースポット」てして注目を集めています。
「香取神宮」「境内」には、「地中」の「大鯰(おおなまず)」をおさえ、「地震」を防ぐと伝えられる「要石(かなめいし)」や「樹齢」1000年以上の「御神木」の「杉」など、見所満載の「神宮」です。
「要石」は「表」に出ている「部分」は「直径」30cmほどですが、それは「氷山の一角」で「要石」は「地下」に深く深く刺さっていると説明されており、「御神木」ですが、「樹齢」1000年を越える「杉」で、長い「香取神宮」の「歴史」を見守ってきた「不思議」な「パワー」を感じる「スポット」で、「禍」や「厄災」を招くものが簡単に行き来できないように、「結界」として「注連縄(しめなわ)」が貼られ、「禁足地」となっています。
「節分」とは「季節を分ける」ことを「意味」し、本来は「立春」・「立夏」・「立秋」・「立冬」の「前日」のことですが、狭義では、「立春」の「前日」を指し、2月3日頃をいい、「雑節」のひとつです。
「節分」の「風習」ですが、「豆まき」、「豆を食べる」、「イワシの頭とヒイラギを戸口に挿す」、「恵方巻きを食べる」等となっています。
「豆まき」ですが、「季節の変わり目」には「邪気」が入りやすいと考えられており、その「邪気」を払うために行い、通常「鬼は外、福は内」といいながら「豆」をまきます。
「豆を食べる」ですが、1年の「厄除け」を願い「豆」を食べます。
自分の「年の数」のひとつ多く食べると、体が丈夫になり、「風邪」を引かないとも言われており、「地域」によっては「大豆」ではなく、「落花生」(ピーナッツ)の場合もあるそうです。
「イワシの頭とヒイラギを戸口に挿す」ですが、焼いた「イワシ」の「頭」の「悪臭」と、「ヒイラギ」の「棘」で「鬼」を追い払うという「魔除け」の「風習」だそうです。
「恵方巻きを食べる」ですが、「恵方」(幸運を招く方法)を向いて「太巻」をまるかぶりする「関西」の「風習」で、食べ終わるまでは「口」を利いてはいけないそうです。
この「風習」には「福を巻き込む」という「意味」があり、また「包丁」を入れないで食べるのは「縁を切らない」という「意味」が込められているそうです。
「節分」の「由来」ですが、「中国」から伝わり、709年から「宮中」で行われた「追儺(ついな)」の「儀式」が「由来」なのだそうです。
「鬼」に扮した「人」を、「矢」などで「追い払うもの」でしたが、それが次第に広がり、現在の「形」になったそうです。
「豆」の「理由」ですが、「魔」+「目」で「悪魔の目に投げる」、「魔」+「滅」で「悪魔を滅する」という「説」があります。
また「別の説」では、「穀物」には「邪気」を払う「性質」があると考えられたともされています。
「香取神宮」「節分祭」ですが、「香取神宮」「節分」恒例の「行事」で毎年多くの「地元客」「観光客」で賑わいます。
「香取神宮」「節分追儺式」では、「御祓い」、「祝詞(のりと)奏上」の後、「剣」を「手」に舞う「神人追儺の儀」、「鬼」が嫌うとされる「弓の弦」の「音」を鳴り響かせる「名弦の儀」、そして「音」に驚いて出てきた「赤鬼青鬼」を「福娘」が「豆」をまいて「拝殿」の外に追い出す「福娘追儺の儀」が行われます。
「香取神宮」「節分祭」では、その後の「豆まき」は「年男年女」や「大相撲」の「力士ら」が並び、待ち構える「参拝客」に「福豆」・「福銭」がまかれるそうです。
「日本屈指」の「名社」「香取神宮」で開催される「恒例行事」「節分祭」。
この機会に「香取市」に訪れてみてはいかがでしょうか?
「香取神宮」「節分祭」詳細
開催日時 2月3日(日) 13時半~
開催会場 香取神宮 香取市香取1697
問合わせ 香取神宮 0478-57-3211
備考
「香取神宮」では、平成26年4月に斎行されます「式年大祭」に向けて、「本殿」(国指定重要文化財)、「拝殿」(登録文化財)の「屋根」の「葺き替え」、「極彩色漆塗り補修工事」を実施しています。
「香取神宮」(2010年11月5日・6日のブログ参照)は、「日本書紀」の「国譲り神話」に登場する「経津主大神(ふつぬしのおおかみ)」を「御祭神」に祀り、明治以前に「伊勢」・「鹿島」と並んで「神宮」を「称号」を与えられていた「日本屈指」の「名社」です。
「香取神宮」「本殿」・「中殿」・「拝殿」が連なる「権現造」の「社殿」は、「鹿皮」のような「色」をした「桧皮葺」の「屋根」に「黒漆(くろうるし)」を基調とした「姿」が美しく、「老杉」や「桜」・「カエデ」の「木々」がうっそうと茂り荘厳な「雰囲気」が漂う「境内」は、「パワースポット」てして注目を集めています。
「香取神宮」「境内」には、「地中」の「大鯰(おおなまず)」をおさえ、「地震」を防ぐと伝えられる「要石(かなめいし)」や「樹齢」1000年以上の「御神木」の「杉」など、見所満載の「神宮」です。
「要石」は「表」に出ている「部分」は「直径」30cmほどですが、それは「氷山の一角」で「要石」は「地下」に深く深く刺さっていると説明されており、「御神木」ですが、「樹齢」1000年を越える「杉」で、長い「香取神宮」の「歴史」を見守ってきた「不思議」な「パワー」を感じる「スポット」で、「禍」や「厄災」を招くものが簡単に行き来できないように、「結界」として「注連縄(しめなわ)」が貼られ、「禁足地」となっています。
「節分」とは「季節を分ける」ことを「意味」し、本来は「立春」・「立夏」・「立秋」・「立冬」の「前日」のことですが、狭義では、「立春」の「前日」を指し、2月3日頃をいい、「雑節」のひとつです。
「節分」の「風習」ですが、「豆まき」、「豆を食べる」、「イワシの頭とヒイラギを戸口に挿す」、「恵方巻きを食べる」等となっています。
「豆まき」ですが、「季節の変わり目」には「邪気」が入りやすいと考えられており、その「邪気」を払うために行い、通常「鬼は外、福は内」といいながら「豆」をまきます。
「豆を食べる」ですが、1年の「厄除け」を願い「豆」を食べます。
自分の「年の数」のひとつ多く食べると、体が丈夫になり、「風邪」を引かないとも言われており、「地域」によっては「大豆」ではなく、「落花生」(ピーナッツ)の場合もあるそうです。
「イワシの頭とヒイラギを戸口に挿す」ですが、焼いた「イワシ」の「頭」の「悪臭」と、「ヒイラギ」の「棘」で「鬼」を追い払うという「魔除け」の「風習」だそうです。
「恵方巻きを食べる」ですが、「恵方」(幸運を招く方法)を向いて「太巻」をまるかぶりする「関西」の「風習」で、食べ終わるまでは「口」を利いてはいけないそうです。
この「風習」には「福を巻き込む」という「意味」があり、また「包丁」を入れないで食べるのは「縁を切らない」という「意味」が込められているそうです。
「節分」の「由来」ですが、「中国」から伝わり、709年から「宮中」で行われた「追儺(ついな)」の「儀式」が「由来」なのだそうです。
「鬼」に扮した「人」を、「矢」などで「追い払うもの」でしたが、それが次第に広がり、現在の「形」になったそうです。
「豆」の「理由」ですが、「魔」+「目」で「悪魔の目に投げる」、「魔」+「滅」で「悪魔を滅する」という「説」があります。
また「別の説」では、「穀物」には「邪気」を払う「性質」があると考えられたともされています。
「香取神宮」「節分祭」ですが、「香取神宮」「節分」恒例の「行事」で毎年多くの「地元客」「観光客」で賑わいます。
「香取神宮」「節分追儺式」では、「御祓い」、「祝詞(のりと)奏上」の後、「剣」を「手」に舞う「神人追儺の儀」、「鬼」が嫌うとされる「弓の弦」の「音」を鳴り響かせる「名弦の儀」、そして「音」に驚いて出てきた「赤鬼青鬼」を「福娘」が「豆」をまいて「拝殿」の外に追い出す「福娘追儺の儀」が行われます。
「香取神宮」「節分祭」では、その後の「豆まき」は「年男年女」や「大相撲」の「力士ら」が並び、待ち構える「参拝客」に「福豆」・「福銭」がまかれるそうです。
「日本屈指」の「名社」「香取神宮」で開催される「恒例行事」「節分祭」。
この機会に「香取市」に訪れてみてはいかがでしょうか?
「香取神宮」「節分祭」詳細
開催日時 2月3日(日) 13時半~
開催会場 香取神宮 香取市香取1697
問合わせ 香取神宮 0478-57-3211
備考
「香取神宮」では、平成26年4月に斎行されます「式年大祭」に向けて、「本殿」(国指定重要文化財)、「拝殿」(登録文化財)の「屋根」の「葺き替え」、「極彩色漆塗り補修工事」を実施しています。
「新春寄席」(芝山町)
本日二つ目にご紹介するのは、近隣市「芝山町」「芝山文化センター」で明日、2月3日(日)に開催されます「新春寄席」です。
「芝山町」は、「千葉県」の「北東部」「北総台地」(下総台地)(2012年7月10日のブログ詳細)のほぼ中央に位置し、「山武郡」の「最北端」、「首都」「東京」60km圏の地点にあり、「東」は「多古町」、「南」は「横芝光町」と「山武市」、「南西」に「富里市」、「北」は「成田市」、「成田国際空港」(2012年12月10日のブログ参照)に接しています。
「芝山町」は「東西」8.4km、「南北」10.5km、「面積」43.47平方km、おおむね平坦で「東」に「高谷川」、「西」に「木戸川」が流れ、この「流域」は「畑作地帯」になっており、また「西北部」の「丘陵地」では「畑作」がさかんにおこなわれています。
「芝山町」の「名称」ですが、昭和30年7月、「二川村」と「千代田村」が合併したとき、「議会」において「知名度」と「信仰的」に名高い「芝山仁王尊」「観音教寺」(2011年4月25日のブログ参照)、「歴史」に残る明治2年に設置された「柴山藩」のことなどを考慮して「芝山町」と称したそうです。
「春風亭昇太」さん(本名・田ノ下雄二さん)は、1959年12月9日生まれ、「静岡県」「静岡市」「清水区」(旧「清水市」)出身の「落語家」です。
「春風亭昇太」さんは、「5代目春風亭柳昇」師匠の「弟子」で、「大師匠」は「春風亭の先生」こと「6代目春風亭柳橋」師匠で、「前座名」は「春風亭昇八」、「愛称」は「ちび師匠」、「落語芸術協会」に所属し、現在「同協会」「理事」を務められています。
「春風亭昇太」さんの「前座名」の「昇八」は、「柳昇」師匠の「8番弟子」であることから付けられており、「師匠」が「新作落語」の「名手」と謳われた「柳昇」師匠ということもあり、同じく「新作落語」を「活動」の中心に置き、「悲しみてやんでい」など「型破り」な「新作落語」で「人気」を得て、1989年に「NHK新人演芸コンクール」「優秀賞」受賞、1992人に7人抜きで「真打」に昇進しました。
その後、2000年の「独演会」「古典とわたし」など独自の「解釈」を加えた「古典落語」にも挑戦し、同年「国立演芸場花形演芸大賞」、「文化庁芸術祭」「大賞」受賞しています。
その後、「春風亭昇太」さんは、2006年5月より、「日本テレビ」「笑天」の「大喜利」メンバーに加入し、活躍されています。
「新春寄席」では、「春風亭昇太」さん(落語)、「三遊亭王楽」さん(落語)、「江戸屋猫八」さん(ものまね)、「昭和のいるこいる」さん(漫才)、「マギー隆司」(マジック)さんが出演され「芸」を披露するそうです。
「新春寄席」の「料金」ですが、「S席」3000円、「A席」1500円となっています。
毎年「新春恒例」の「芝山町」の「催し」「新春寄席」。
この機会に「芝山町」に訪れてみてはいかがでしょうか?
「新春寄席」詳細
開催日時 2月3日(日) 13時半開場 14時開演
開催会場 芝山文化センター 山武郡芝山町小池973
問合わせ 芝山町教育委員会 0479-77-1861
備考
「新春寄席」に出演される「春風亭昇太」さんの「出囃子」は「デイビー・クロケット(The Ballad of Davy Crockett)」で、「定紋」は「五瓜に唐花」または「クラゲ」だそうです。
「芝山町」は、「千葉県」の「北東部」「北総台地」(下総台地)(2012年7月10日のブログ詳細)のほぼ中央に位置し、「山武郡」の「最北端」、「首都」「東京」60km圏の地点にあり、「東」は「多古町」、「南」は「横芝光町」と「山武市」、「南西」に「富里市」、「北」は「成田市」、「成田国際空港」(2012年12月10日のブログ参照)に接しています。
「芝山町」は「東西」8.4km、「南北」10.5km、「面積」43.47平方km、おおむね平坦で「東」に「高谷川」、「西」に「木戸川」が流れ、この「流域」は「畑作地帯」になっており、また「西北部」の「丘陵地」では「畑作」がさかんにおこなわれています。
「芝山町」の「名称」ですが、昭和30年7月、「二川村」と「千代田村」が合併したとき、「議会」において「知名度」と「信仰的」に名高い「芝山仁王尊」「観音教寺」(2011年4月25日のブログ参照)、「歴史」に残る明治2年に設置された「柴山藩」のことなどを考慮して「芝山町」と称したそうです。
「春風亭昇太」さん(本名・田ノ下雄二さん)は、1959年12月9日生まれ、「静岡県」「静岡市」「清水区」(旧「清水市」)出身の「落語家」です。
「春風亭昇太」さんは、「5代目春風亭柳昇」師匠の「弟子」で、「大師匠」は「春風亭の先生」こと「6代目春風亭柳橋」師匠で、「前座名」は「春風亭昇八」、「愛称」は「ちび師匠」、「落語芸術協会」に所属し、現在「同協会」「理事」を務められています。
「春風亭昇太」さんの「前座名」の「昇八」は、「柳昇」師匠の「8番弟子」であることから付けられており、「師匠」が「新作落語」の「名手」と謳われた「柳昇」師匠ということもあり、同じく「新作落語」を「活動」の中心に置き、「悲しみてやんでい」など「型破り」な「新作落語」で「人気」を得て、1989年に「NHK新人演芸コンクール」「優秀賞」受賞、1992人に7人抜きで「真打」に昇進しました。
その後、2000年の「独演会」「古典とわたし」など独自の「解釈」を加えた「古典落語」にも挑戦し、同年「国立演芸場花形演芸大賞」、「文化庁芸術祭」「大賞」受賞しています。
その後、「春風亭昇太」さんは、2006年5月より、「日本テレビ」「笑天」の「大喜利」メンバーに加入し、活躍されています。
「新春寄席」では、「春風亭昇太」さん(落語)、「三遊亭王楽」さん(落語)、「江戸屋猫八」さん(ものまね)、「昭和のいるこいる」さん(漫才)、「マギー隆司」(マジック)さんが出演され「芸」を披露するそうです。
「新春寄席」の「料金」ですが、「S席」3000円、「A席」1500円となっています。
毎年「新春恒例」の「芝山町」の「催し」「新春寄席」。
この機会に「芝山町」に訪れてみてはいかがでしょうか?
「新春寄席」詳細
開催日時 2月3日(日) 13時半開場 14時開演
開催会場 芝山文化センター 山武郡芝山町小池973
問合わせ 芝山町教育委員会 0479-77-1861
備考
「新春寄席」に出演される「春風亭昇太」さんの「出囃子」は「デイビー・クロケット(The Ballad of Davy Crockett)」で、「定紋」は「五瓜に唐花」または「クラゲ」だそうです。