「熊野神社神楽」(旭市)
本日ご案内するのは、となりまち「旭市」「熊野神社」で3月20日(祝・水)に開催されます「熊野神社神楽」です。
「熊野神社」は、「旭市」「清和乙」(「下総国」「香取郡」)にある「神社」で「旧社格」は「郷社」です。
「熊野神社」の「御祭神」ですが、「速玉之男命(はやたまのおのみこと)」・「伊邪那美命(いざなみのみこと)」・「事解之男命(ことさかのおのみこと)」を祀っています。
「熊野神社」の「歴史」ですが、「海上町」の「熊野大神三川浦御幸図」によりますと、大同元年(806年)「紀州」に坐す「熊野大神」の「御神託」により「海上郡三川浦」に「神霊」を勧請したのが、「熊野神社」の「創祀」とされ、天暦9年(955年)にも「御神託」があり「松沢荘」に遷座したといわれています。
「熊野神社」は古来より「松沢荘」の「総鎮守」として「豊年大漁開運安産」の「大神」として「霊験」著しく「氏子」はもとより、「朝廷」、「武門」の「崇敬」篤く、「千葉常胤」は「神殿」の「造営」を「源頼朝」に請い、「頼朝」は建久元年(1190年)「松沢荘」内の「6ヶ村」の「地」を寄進して「神領」とし、「正一位熊野大権現」の「神階」を授けられました。
なお、「東京国立博物館」所蔵の福徳2年(1491年)の「鰐口銘」に「松沢大権現」とみえます。
その後「熊野神社」は天正19年(1591年)には「徳川家康」より「朱印地」5石を寄進され、「東総」屈指の「社」であったそうです。
「熊野神社」は、明治6年(1873年)「郷社」に列し、昭和53年(1978年)「千葉県神社庁」より「規範神社」に指定されています。
「熊野神社」は、通称「権現様」と呼ばれ「地域」の人々に親しまれています。
「熊野神社」は、広い「敷地」(1777坪)をもつ「境内」には、「本殿」(銅板葺流造)、「幣殿」(銅板葺流造)、「拝殿」(銅板葺千鳥破風造)、「社務所」(瓦葺寄棟造)、「神輿庫」(銅板葺)、「神饌所・神楽殿」が立ち並びます。
「熊野神社」は、上記のように大同元年(806年)に「東国開発」の「守護神」として「紀の国」(和歌山県)に鎮座される「熊野」の「大神」の「分霊」が「三川浦熊野堆」(現「旭市」「三川」)に祀られ、その150年後、「三川村」の「長」「我留前」氏(小林家の先祖)へ「神のお告げ」があり、現在の「清和乙」に勧請された「神社」だそうです。
「熊野神社」の「行事」ですが、「正月」の「お目覚祭り」、「鎮火祭」、「神楽」を始め数ある「神事」の中、「熊野神社」がこの「地」に遷座した天暦9年が「卯年」であり「卯年」を記念して斉行される12年目毎の「三川浦」への「大神幸」は有名です。
また、「神楽」については、「太々神楽」の「形式」を良く残しかつ「地方色」豊かなものとして、昭和55年(1980年)に「千葉県」の「県指定無形民俗文化財」に指定されています。
従来は毎年3月21日、22日の「2日間」にわたり、「熊野神社」の「大御饌祭」、「太々講社祭」とともに行われていましたが、現在は「春分の日」(3月20日)に行われています。
「熊野神社神楽」は、「熊野神社」の「神楽殿」で演じられます。
かつては「社家」によって演じれましたが、明治以降は「氏子」によって行われるようになりました。
現在「熊野神社神楽」は、「保存会」を結成してその「伝承」につとめています。
「熊野神社神楽」は、当日「神楽殿」で「猿田彦」による「露払い」に始まり、「素盛男命」による「七五三切り」で終わる「13演目」の「舞」を奏でるそうです。
「熊野神社神楽」の「演目」ですが、「猿田彦」、「児屋根・太玉」、「乙女」、「手力男命」、「天宇受賣命」、「榊葉」、「恵比寿」、「稲荷」、「保食神」、「種蒔」、「素盛男命」(七五三切り)までの「13座」の他に「御稚児の舞」(「幣束」、「扇子」)もあり、最後に「拝殿」で「ひょうじょうがえし」が舞われます。
「熊野神社神楽」は、「十三座」のほか、上記のように「稚児の舞」も加わり、最後に「拝殿」で「ひょうじょうがえし」(素面)が行われます。
「熊野神社神楽」の「恵比寿」や「稲荷の舞」では、「鯛」や「餅」などがたくさん投げられるそうです。
「熊野神社神楽」は、「東総地区」では、最も古い「伝統」があるといわれ、上記のように従来は毎年3月21日、22日(各日午前11時30分ごろから午後5時(17時)ごろ)の「2日間」にわたり、「熊野神社」の「大御饌祭」、「太々講社祭」とともに行われていましたが、現在では「春分の日」に奉納されています。
「神楽」の「起源」は定かではありませんが、江戸時代以前からの「伝統行事」であったといわれています。
「熊野神社神楽」では、「神楽殿」の前面「庭」上に「斎場」を設け、「玉垣」で囲み、正面に「大榊」と「四隅」に「4神」(「玄武」・「青龍」・「朱雀」・「白虎」)の「置物」を飾るそうです。
「東総屈指」の「古社」のひとつ「熊野神社」で行われる「伝統行事」「熊野神社神楽」。
この機会に「旭市」に訪れてみてはいかがでしょうか?
「熊野神社神楽」詳細
開催日時 3月20日(祝・水) 12時~17時ころ
開催会場 熊野神社 旭市清和乙715
問合わせ 旭市教育委員会生涯学習課 0479-55-5728
備考
「熊野神社」「境内」には、「縁結び」の「女男石」、また「熊野神社」「入口」には「大杉」があります。
「熊野神社」「縁結び」の「女男石」は、「お酒」をかけてしみ込んだら「願い」(縁結び)が叶うといわれており、「旭市」の「市指定文化財」に指定されています。
また「熊野神社」「大杉」は「幹周り」3m、「樹高」30mあり、「旭市」の「市指定天然記念物」に指定されています。
「熊野神社」は、「旭市」「清和乙」(「下総国」「香取郡」)にある「神社」で「旧社格」は「郷社」です。
「熊野神社」の「御祭神」ですが、「速玉之男命(はやたまのおのみこと)」・「伊邪那美命(いざなみのみこと)」・「事解之男命(ことさかのおのみこと)」を祀っています。
「熊野神社」の「歴史」ですが、「海上町」の「熊野大神三川浦御幸図」によりますと、大同元年(806年)「紀州」に坐す「熊野大神」の「御神託」により「海上郡三川浦」に「神霊」を勧請したのが、「熊野神社」の「創祀」とされ、天暦9年(955年)にも「御神託」があり「松沢荘」に遷座したといわれています。
「熊野神社」は古来より「松沢荘」の「総鎮守」として「豊年大漁開運安産」の「大神」として「霊験」著しく「氏子」はもとより、「朝廷」、「武門」の「崇敬」篤く、「千葉常胤」は「神殿」の「造営」を「源頼朝」に請い、「頼朝」は建久元年(1190年)「松沢荘」内の「6ヶ村」の「地」を寄進して「神領」とし、「正一位熊野大権現」の「神階」を授けられました。
なお、「東京国立博物館」所蔵の福徳2年(1491年)の「鰐口銘」に「松沢大権現」とみえます。
その後「熊野神社」は天正19年(1591年)には「徳川家康」より「朱印地」5石を寄進され、「東総」屈指の「社」であったそうです。
「熊野神社」は、明治6年(1873年)「郷社」に列し、昭和53年(1978年)「千葉県神社庁」より「規範神社」に指定されています。
「熊野神社」は、通称「権現様」と呼ばれ「地域」の人々に親しまれています。
「熊野神社」は、広い「敷地」(1777坪)をもつ「境内」には、「本殿」(銅板葺流造)、「幣殿」(銅板葺流造)、「拝殿」(銅板葺千鳥破風造)、「社務所」(瓦葺寄棟造)、「神輿庫」(銅板葺)、「神饌所・神楽殿」が立ち並びます。
「熊野神社」は、上記のように大同元年(806年)に「東国開発」の「守護神」として「紀の国」(和歌山県)に鎮座される「熊野」の「大神」の「分霊」が「三川浦熊野堆」(現「旭市」「三川」)に祀られ、その150年後、「三川村」の「長」「我留前」氏(小林家の先祖)へ「神のお告げ」があり、現在の「清和乙」に勧請された「神社」だそうです。
「熊野神社」の「行事」ですが、「正月」の「お目覚祭り」、「鎮火祭」、「神楽」を始め数ある「神事」の中、「熊野神社」がこの「地」に遷座した天暦9年が「卯年」であり「卯年」を記念して斉行される12年目毎の「三川浦」への「大神幸」は有名です。
また、「神楽」については、「太々神楽」の「形式」を良く残しかつ「地方色」豊かなものとして、昭和55年(1980年)に「千葉県」の「県指定無形民俗文化財」に指定されています。
従来は毎年3月21日、22日の「2日間」にわたり、「熊野神社」の「大御饌祭」、「太々講社祭」とともに行われていましたが、現在は「春分の日」(3月20日)に行われています。
「熊野神社神楽」は、「熊野神社」の「神楽殿」で演じられます。
かつては「社家」によって演じれましたが、明治以降は「氏子」によって行われるようになりました。
現在「熊野神社神楽」は、「保存会」を結成してその「伝承」につとめています。
「熊野神社神楽」は、当日「神楽殿」で「猿田彦」による「露払い」に始まり、「素盛男命」による「七五三切り」で終わる「13演目」の「舞」を奏でるそうです。
「熊野神社神楽」の「演目」ですが、「猿田彦」、「児屋根・太玉」、「乙女」、「手力男命」、「天宇受賣命」、「榊葉」、「恵比寿」、「稲荷」、「保食神」、「種蒔」、「素盛男命」(七五三切り)までの「13座」の他に「御稚児の舞」(「幣束」、「扇子」)もあり、最後に「拝殿」で「ひょうじょうがえし」が舞われます。
「熊野神社神楽」は、「十三座」のほか、上記のように「稚児の舞」も加わり、最後に「拝殿」で「ひょうじょうがえし」(素面)が行われます。
「熊野神社神楽」の「恵比寿」や「稲荷の舞」では、「鯛」や「餅」などがたくさん投げられるそうです。
「熊野神社神楽」は、「東総地区」では、最も古い「伝統」があるといわれ、上記のように従来は毎年3月21日、22日(各日午前11時30分ごろから午後5時(17時)ごろ)の「2日間」にわたり、「熊野神社」の「大御饌祭」、「太々講社祭」とともに行われていましたが、現在では「春分の日」に奉納されています。
「神楽」の「起源」は定かではありませんが、江戸時代以前からの「伝統行事」であったといわれています。
「熊野神社神楽」では、「神楽殿」の前面「庭」上に「斎場」を設け、「玉垣」で囲み、正面に「大榊」と「四隅」に「4神」(「玄武」・「青龍」・「朱雀」・「白虎」)の「置物」を飾るそうです。
「東総屈指」の「古社」のひとつ「熊野神社」で行われる「伝統行事」「熊野神社神楽」。
この機会に「旭市」に訪れてみてはいかがでしょうか?
「熊野神社神楽」詳細
開催日時 3月20日(祝・水) 12時~17時ころ
開催会場 熊野神社 旭市清和乙715
問合わせ 旭市教育委員会生涯学習課 0479-55-5728
備考
「熊野神社」「境内」には、「縁結び」の「女男石」、また「熊野神社」「入口」には「大杉」があります。
「熊野神社」「縁結び」の「女男石」は、「お酒」をかけてしみ込んだら「願い」(縁結び)が叶うといわれており、「旭市」の「市指定文化財」に指定されています。
また「熊野神社」「大杉」は「幹周り」3m、「樹高」30mあり、「旭市」の「市指定天然記念物」に指定されています。
「二の午大祭」(多古町)
本日ご案内するのは、近隣市「多古町」「日蓮宗本山日本寺(にちれんしゅうほんざんにちほんじ)」で3月20日(祝・水)に開催されます「二の午大祭」です。
「日蓮宗本山日本寺」(2011年10月27日のブログ参照)は、「日蓮聖人」最大の「理解者」であった「富木日常上人」を「開基」とする「香取郡」「多古町」の「お寺」です。
「日蓮宗本山日本寺」は、その後「日本中」から「学僧」が集まる「中村壇林」が開かれ「関東三大壇林」のひとつとして栄えました。
「日蓮宗本山日本寺」は270年余に渡り、延べ10万人もの「僧侶たち」が巣立って行ったと言われています。
「日蓮宗本山日本寺」は、上記のように「日蓮聖人」最大の「理解・保護者」であり、「中山法華教寺」を開基した「富木日常上人」が晩年に隠棲した「地」に、元応元年(1319年)「法華教寺三世浄行院日祐上人」が「草庵」を結び、「日常上人」を「開祖」として「千葉」・「茨城」周辺の「布教」の「拠点」としたのが「始まり」だそうです。
天正十五年(1587年)「十三世日(にんべんに完)(にちごん)上人」が「北条氏政」より「寺領」の「寄進」を受け、現在の「地」に移転しました。
「日蓮聖人」は「日常上人」に対し「外護」の「恩義」を、「富木上人」は「日蓮聖人」に対し「得度教化」の「恩義」を思い、お互いに「相手」の「像」を刻んで「日蓮聖人」に「開眼」を乞い、「終世」お互いの「像」に相対し敬慕しあったと伝えられています。
当時の「姿」のまま「日本寺」に残るこの「一対」の「相互の御影(みたがいのみえい)」が、二人の「親交」と「絆」を「深さ」を今に伝えています。
かつて「日蓮宗本山日本寺」は「中村壇林」として、「飯高壇林」(2010年10月9日・2011年10月7日・4月22日のブログ参照)・「小西壇林」と並んで「関東三大壇林」のひとつに数えられ、「日蓮宗」の「根本道場」として「全国」から多くの「学僧」が集まり、巣立っていきました。
270年を超える「壇林」の「歴史」の中で、時には常時500人もの「学僧」が学び、「東谷」・「西谷」に分かれてそれぞれが「指南頭」を定め、互いに切磋琢磨(せっさたくま)したとされています。
「壇林」という高い「志(こころざし)」と「目的」に専心して「檀家」を持たず、明治8年(1875年)の「廃壇」後も「無断無縁」で乗り越え、現在に至っています。
慶長四年(1599年)「飯高壇林四世」の「慧雲院日円上人」が「十五世」を継承すると、「上人」の「学徳」を慕う「僧」が数多く集まってきたそうです。
そこで「壇林清規」が定められ、「全国」から「学僧」を招集する「体制」が整い、「中村壇林」が始まったそうです。
それから明治8年の「廃壇」までの「間」に十万人もの「学僧」がこの「地」に学び、その「教え」を「全国」に広がっていきました。
「二の午」ですが、2月の最初の「午の日」をいい、「稲荷」を祭る「行司」のことです。
この日は、「全国各地」の「稲荷神社」で「祭礼」が行われます。
(初午祭り)
特に「京都」「伏見」の「稲荷大社」では、「稲荷信仰」の中心で名高く、この日、「初午詣」の「人々」で大いににぎわうそうです。
(二の午、山の午と続ける地方もあります。)
もともと「稲荷」は「稲生(いなり)」の「意味」があるとされ、「農業神」であったそうです。
「稲荷」の「御祭神」は「宇迦之御魂(うがのみたま)」の「神」で、「五穀」をつかさどる「農業神」で、それが後世、「商工業」、「漁業」の「神」にもなっていきました。
現在、「初午の日」には、「正一位稲荷大明神」と書いた「赤い幟(のぼり)」を立て、「赤飯」や「油揚げ」を供えるのは「キツネ」が「稲荷神」の「使い」であると信じられているからだと言われています。
また「初午」は、江戸時代では「子ども」が「寺子屋」へ入門する日でもあったそうです。
「二の午大祭」は、「日蓮宗本山日本寺」「境内」にある「岡田稲荷」、「豊田稲荷」(別称「夫婦稲荷」)で行われる「祭礼」です。
「二の午大祭」は、毎年「旧暦」の2月の「二の午」の「日」に開催しているそうです。
「岡田稲荷」、「豊田稲荷」は、「夫婦円満」・「子孫繁栄」・「五穀豊穣」・「商売繁盛」の「守護神」として「関東一円」からの「参詣者」で賑わうそうです。
「二の午大祭」は、江戸時代から多くの「信仰」を集めた珍しい「夫婦稲荷様」の「大祭」で、上記のように「商売繁盛」、「夫婦円満」などに「霊験」あらたかと言われています。
なお「二の午大祭」の「お札希望者」は早めに「受付」をとのことです。
長い「歴史」に彩られた「多古町」の「名刹」「日蓮宗本山日本寺」「夫婦稲荷」の「祭礼」「二の午大祭」。
この機会に「多古町」に訪れてみてはいかがでしょうか?
「二の午大祭」詳細
開催日時 3月20日(祝・水) 9時~終日
開催会場 日蓮宗本山日本寺 香取郡多古町南中1820
問合わせ 日蓮宗本山日本寺 0479-76-3745
備考
「日蓮宗本山日本寺」は「紫陽花(あじさい)」が美しい「お寺」としても知られています。
「日蓮宗本山日本寺」(2011年10月27日のブログ参照)は、「日蓮聖人」最大の「理解者」であった「富木日常上人」を「開基」とする「香取郡」「多古町」の「お寺」です。
「日蓮宗本山日本寺」は、その後「日本中」から「学僧」が集まる「中村壇林」が開かれ「関東三大壇林」のひとつとして栄えました。
「日蓮宗本山日本寺」は270年余に渡り、延べ10万人もの「僧侶たち」が巣立って行ったと言われています。
「日蓮宗本山日本寺」は、上記のように「日蓮聖人」最大の「理解・保護者」であり、「中山法華教寺」を開基した「富木日常上人」が晩年に隠棲した「地」に、元応元年(1319年)「法華教寺三世浄行院日祐上人」が「草庵」を結び、「日常上人」を「開祖」として「千葉」・「茨城」周辺の「布教」の「拠点」としたのが「始まり」だそうです。
天正十五年(1587年)「十三世日(にんべんに完)(にちごん)上人」が「北条氏政」より「寺領」の「寄進」を受け、現在の「地」に移転しました。
「日蓮聖人」は「日常上人」に対し「外護」の「恩義」を、「富木上人」は「日蓮聖人」に対し「得度教化」の「恩義」を思い、お互いに「相手」の「像」を刻んで「日蓮聖人」に「開眼」を乞い、「終世」お互いの「像」に相対し敬慕しあったと伝えられています。
当時の「姿」のまま「日本寺」に残るこの「一対」の「相互の御影(みたがいのみえい)」が、二人の「親交」と「絆」を「深さ」を今に伝えています。
かつて「日蓮宗本山日本寺」は「中村壇林」として、「飯高壇林」(2010年10月9日・2011年10月7日・4月22日のブログ参照)・「小西壇林」と並んで「関東三大壇林」のひとつに数えられ、「日蓮宗」の「根本道場」として「全国」から多くの「学僧」が集まり、巣立っていきました。
270年を超える「壇林」の「歴史」の中で、時には常時500人もの「学僧」が学び、「東谷」・「西谷」に分かれてそれぞれが「指南頭」を定め、互いに切磋琢磨(せっさたくま)したとされています。
「壇林」という高い「志(こころざし)」と「目的」に専心して「檀家」を持たず、明治8年(1875年)の「廃壇」後も「無断無縁」で乗り越え、現在に至っています。
慶長四年(1599年)「飯高壇林四世」の「慧雲院日円上人」が「十五世」を継承すると、「上人」の「学徳」を慕う「僧」が数多く集まってきたそうです。
そこで「壇林清規」が定められ、「全国」から「学僧」を招集する「体制」が整い、「中村壇林」が始まったそうです。
それから明治8年の「廃壇」までの「間」に十万人もの「学僧」がこの「地」に学び、その「教え」を「全国」に広がっていきました。
「二の午」ですが、2月の最初の「午の日」をいい、「稲荷」を祭る「行司」のことです。
この日は、「全国各地」の「稲荷神社」で「祭礼」が行われます。
(初午祭り)
特に「京都」「伏見」の「稲荷大社」では、「稲荷信仰」の中心で名高く、この日、「初午詣」の「人々」で大いににぎわうそうです。
(二の午、山の午と続ける地方もあります。)
もともと「稲荷」は「稲生(いなり)」の「意味」があるとされ、「農業神」であったそうです。
「稲荷」の「御祭神」は「宇迦之御魂(うがのみたま)」の「神」で、「五穀」をつかさどる「農業神」で、それが後世、「商工業」、「漁業」の「神」にもなっていきました。
現在、「初午の日」には、「正一位稲荷大明神」と書いた「赤い幟(のぼり)」を立て、「赤飯」や「油揚げ」を供えるのは「キツネ」が「稲荷神」の「使い」であると信じられているからだと言われています。
また「初午」は、江戸時代では「子ども」が「寺子屋」へ入門する日でもあったそうです。
「二の午大祭」は、「日蓮宗本山日本寺」「境内」にある「岡田稲荷」、「豊田稲荷」(別称「夫婦稲荷」)で行われる「祭礼」です。
「二の午大祭」は、毎年「旧暦」の2月の「二の午」の「日」に開催しているそうです。
「岡田稲荷」、「豊田稲荷」は、「夫婦円満」・「子孫繁栄」・「五穀豊穣」・「商売繁盛」の「守護神」として「関東一円」からの「参詣者」で賑わうそうです。
「二の午大祭」は、江戸時代から多くの「信仰」を集めた珍しい「夫婦稲荷様」の「大祭」で、上記のように「商売繁盛」、「夫婦円満」などに「霊験」あらたかと言われています。
なお「二の午大祭」の「お札希望者」は早めに「受付」をとのことです。
長い「歴史」に彩られた「多古町」の「名刹」「日蓮宗本山日本寺」「夫婦稲荷」の「祭礼」「二の午大祭」。
この機会に「多古町」に訪れてみてはいかがでしょうか?
「二の午大祭」詳細
開催日時 3月20日(祝・水) 9時~終日
開催会場 日蓮宗本山日本寺 香取郡多古町南中1820
問合わせ 日蓮宗本山日本寺 0479-76-3745
備考
「日蓮宗本山日本寺」は「紫陽花(あじさい)」が美しい「お寺」としても知られています。
「第15回仁勇蔵祭り」(神崎町)
本日ご紹介するのは、近隣市「神崎町」「鍋店(なべだな)神崎酒造蔵」で3月17日(日)に開催されます「第15回仁勇蔵祭り」です。
「鍋店株式会社」(2011年3月10日のブログ参照)は、「神崎町」を代表する「酒蔵」のひとつです。
「鍋店株式会社」の「商号」である「なべだな」は古く江戸時代に遡(さかのぼ)り、「金座」や「銀座」、または「釜座」などのいわゆる「座」のひとつである「鍋座」に由来するそうです。
当時「鉄類」は「有事」の際には「武器製造」の「重要」な「材料」であったため、「幕府」はこの「鉄類」の「製造権利」を「信用」ある「地方」の「素封家」に与えていましたが、「鍋店株式会社」の「祖先」はその「鍋座」を「幕府」より預かり管理していたそうです。
一方、元禄2年(1689年)に「佐倉藩」より現在の「製造免許」にあたる「酒造株」(1050株)を戴き、「成田山門前」にて「醸造」を開始したそうです。
当時「老舗」のことを「お店(おたな)」と呼んでいましたが、「鍋座」の「鍋」と「おたな」の「店」が結びついて「鍋店(なべだな)」と呼ぶようになったと言い伝えられています。
「鍋店株式会社」は、上記のように元禄2年(1689年)「成田山新勝寺」(2010年11月14日・15日・16日のブログ参照)の「門前」に「蔵」を構え、「酒造り」を始めましたが、現在は「田園」の広がる「香取郡神崎町」に「酒蔵」を移し「仁勇・不動」を醸造しています。
「鍋店株式会社」の「酒造り」は、昔から「新潟杜氏」や「南部杜氏」に代表される「杜氏さん達」にお願いしてきたそうですが、「自分たちの力で個性のある酒」を目指し、平成9年より全て「自社スタッフ」による「酒造り」を開始したそうです。
「蒸米」・「麹」・「もろみ」に至る「酒造り」という「生まれ」から、「おり下げ」・「濾過(ろか)」・「火入れ」・「貯蔵」、そして「瓶詰め」に至る「育ち」まで、「全て」の「工程」を「自社スタッフ」で行い、各「工程」での「酒」の「品質状況」を常に把握することにより、多くの「お客様」から「おいしい」と感じて頂ける「製品」を出荷することを第一に考えているそうです。
「人」と「人」の「間」に「酒」があり、「心」と「心」の「間」に「酒」がある。
そんな「心」に響く「酒」を造ることが「私の使命」です。と「鍋店株式会社」「第19回蔵元」「大塚完」氏は語っています。
「神崎町」では、「町」をあげての「イベント」である「発酵の里こうざき酒蔵まつり」(2011年3月9日・2012年3月12日・2013年3月12日のブログ参照)が行われています。
現在の「神崎町」の「人口」は6558人で、「世帯数」は2364世帯(2013年3月1日現在)ですが、「発酵の里こうざき酒蔵まつり」には2万人以上の「人出」(動員)がある「人気」の「イベント」です。
「発酵の里こうざき酒蔵まつり」は、300年以上の「伝統」がある2軒の300年以上続く「酒蔵」「鍋店株式会社」(2011年3月10日のブログ参照)と「(株)寺田本家株式会社」(2011年4月10日のブログ参照)の「蔵まつり」を中心に行われ、「両蔵」と「歩行者天国」となった周辺の「国道」及び「町道」を「会場」に「まち」をあげての賑やかな「イベント」「酒蔵まつり」を開催しています。
「発酵の里こうざき酒蔵まつり」の「内容」ですが、「酒蔵見学」や「無料試飲」のほか、「当日限定酒」販売、「酒蔵敷地内」・「周辺街道」沿い「ミニステージ」で「祭囃子」と「踊り」の「競演」、「バンド活動」などが行われ、「沿道」には約200店の「地域物産」や「発酵食品」をはじめとした「露店」が並び、「商店街」も参加するそうです。
「鍋店株式会社」では
毎年3月に「仁勇蔵祭り」を開催しています。
「仁勇蔵祭り」は、「鍋店株式会社」の「メインブランド」である「仁勇(じんゆう)」、「不動(ふどう)」の「名前」を冠しており、今年(2013年)で「15回目」を数える「イベント」です。
「第15回仁勇蔵祭り」を迎えるにあたり、「鍋店株式会社」「第十九代蔵元」「大塚完」氏は、以下のように語っています。
「日本酒の造り方、造る場所、造っている人を、もっと多くの方に見て頂きたい。
そして、日本酒の素晴らしさを、もっと多くの方に知って頂きたい。
という想いから、平成十一年よりスタートした「仁勇蔵祭り」。
おかげさまで、ひとえにご来場頂いた多くのお客様のご支援と、お客様の笑顔のおかげです。
今年も、ご来場いただくお客様が楽しみ、喜んで頂ける「仁勇蔵祭り」となるよう社員一丸となって頑張ります。
是非、お誘い合わせの上ご来場くださいますようお願い申し上げます。」
(「鍋店株式会社」HP「第15回仁勇蔵祭り」の「ご案内」(裏)参照)
「第15回仁勇蔵祭り」当日の「催し」ですが、「仁勇蔵祭りご来場記念 ミニきき猪口プレゼント」、「蔵内見学」、「搾り方による味の違い体験」、「人気」の「不動バー」「開店」、「毎年好評」「蔵祭り限定酒販売」「無料試飲」、「各種おいしい模擬店」、「ステージイベント」となっています。
「仁勇蔵祭りご来場記念 ミニきき猪口プレゼント」は、「第15回仁勇蔵祭り」当日に「先着」10000名に「仁勇蔵祭りご来場記念ミニきき猪口」を「プレゼント」するというものです。
なお「仁勇蔵祭りご来場記念 ミニきき猪口プレゼント」は、「数」に限りがありますので、「数量」に達し次第「配布」は「終了」となるそうです。
「蔵内見学」ですが、当日は「鍋店株式会社」の「蔵内」を「予約無し」でご見学できます。
「普段召し上がっているお酒はどのように造られているの?」
「麹はどうやって作るの?」
「お酒の甘辛ってなに?」
など、「酒造り」に従事する「スタッフ」がご案内し、「お客様」からの「質問」にもしっかりお答えするそうです。
なお「蔵内見学」は、一度に入場頂ける「人数」に「制限」があるそうで、「時間帯」によっては、お待ちいただく場合もあるそうですので予(あらかじ)めご了承下さいとのことです。
「搾り方による味の違い体験」は、「行って知る」「催し」です。
「お酒」の「搾り方」には、「機械」で搾る「方法」と、「吊るし」で搾る「方法」があるそうです。
「搾り方による味の違い体験」では、「お酒」の「搾り方」による「味の違い」を「体験」できるそうです。
「人気」の「不動バー」「開店」ですが、「年」に「一度」、「蔵祭り」の「日」だけ「開店」する「人気」の「催し」です。
今年も「清酒カクテル」をご用意し「皆様」の「ご来店」をお待ちしているそうです。
「毎年大好評」「蔵祭り限定酒販売」「無料試飲」では、「お好み」の「清酒」を探せるそうです。
毎年大変「好評」を得ている「蔵祭り限定酒」が今年も用意されており、どんな「お酒」が用意されているのは「当日」までの「お楽しみ」だそうです。
なお「蔵祭り限定酒」は、「数」に限りがありますので、「品切れ」の際はご了承下さいとのことです。
また「第15回仁勇蔵祭り」では、「仁勇」・「不動」など、「鍋店」を代表する「お酒」も多数ご用意しています。
「鍋店株式会社」を代表する「清酒」や「リキュール」など20種類以上の「無料試飲」も用意しているので、「自分好み」の「お酒」を発見できる「企画」なのだそうです。
その他、「第15回仁勇蔵祭り」では各種「おいしい模擬店」の「出店」、「ステージイベント」が行われ、盛り沢山の「内容」で催行されます。
「第15回仁勇蔵祭り」では、「会場内」に「ペット」を連れての「入場」、「車」を運転される方の「飲酒」・「試飲」は、固くお断りしています。
また「第15回仁勇蔵祭り」当日は、「会場内」が大変混雑する「恐れ」があり、「時間帯」によっては「入場規制」を実施する場合がございますので、予(あらかじ)めご了承下さいとのことです。
「酒」を紡(つむ)ぎ、「人」を紡ぎ、「心」を紡ぐ「鍋店株式会社」が主催し、毎回多くの「人」が訪れる「イベント」「第15回仁勇蔵祭り」。
この機会に「神崎町」に訪れてみてはいかがでしょうか?
「第15回仁勇蔵祭り」詳細
開催日時 3月17日(日) 9時~16時(15時半入場最終)
開催会場 鍋店神崎酒造蔵 香取郡神崎町神崎本宿1916
問合わせ 鍋店株式会社 0478-72-2255 (当日)
備考
「第15回仁勇蔵祭り」は、「雨天決行」で行われます。
「第15回仁勇蔵祭り」で行われる「仁勇蔵祭りご来場記念ミニきき猪口プレゼント」ですが、「入場受付票」に記入いただいた20歳以上の方に限らせていただくそうです。
「鍋店株式会社」(2011年3月10日のブログ参照)は、「神崎町」を代表する「酒蔵」のひとつです。
「鍋店株式会社」の「商号」である「なべだな」は古く江戸時代に遡(さかのぼ)り、「金座」や「銀座」、または「釜座」などのいわゆる「座」のひとつである「鍋座」に由来するそうです。
当時「鉄類」は「有事」の際には「武器製造」の「重要」な「材料」であったため、「幕府」はこの「鉄類」の「製造権利」を「信用」ある「地方」の「素封家」に与えていましたが、「鍋店株式会社」の「祖先」はその「鍋座」を「幕府」より預かり管理していたそうです。
一方、元禄2年(1689年)に「佐倉藩」より現在の「製造免許」にあたる「酒造株」(1050株)を戴き、「成田山門前」にて「醸造」を開始したそうです。
当時「老舗」のことを「お店(おたな)」と呼んでいましたが、「鍋座」の「鍋」と「おたな」の「店」が結びついて「鍋店(なべだな)」と呼ぶようになったと言い伝えられています。
「鍋店株式会社」は、上記のように元禄2年(1689年)「成田山新勝寺」(2010年11月14日・15日・16日のブログ参照)の「門前」に「蔵」を構え、「酒造り」を始めましたが、現在は「田園」の広がる「香取郡神崎町」に「酒蔵」を移し「仁勇・不動」を醸造しています。
「鍋店株式会社」の「酒造り」は、昔から「新潟杜氏」や「南部杜氏」に代表される「杜氏さん達」にお願いしてきたそうですが、「自分たちの力で個性のある酒」を目指し、平成9年より全て「自社スタッフ」による「酒造り」を開始したそうです。
「蒸米」・「麹」・「もろみ」に至る「酒造り」という「生まれ」から、「おり下げ」・「濾過(ろか)」・「火入れ」・「貯蔵」、そして「瓶詰め」に至る「育ち」まで、「全て」の「工程」を「自社スタッフ」で行い、各「工程」での「酒」の「品質状況」を常に把握することにより、多くの「お客様」から「おいしい」と感じて頂ける「製品」を出荷することを第一に考えているそうです。
「人」と「人」の「間」に「酒」があり、「心」と「心」の「間」に「酒」がある。
そんな「心」に響く「酒」を造ることが「私の使命」です。と「鍋店株式会社」「第19回蔵元」「大塚完」氏は語っています。
「神崎町」では、「町」をあげての「イベント」である「発酵の里こうざき酒蔵まつり」(2011年3月9日・2012年3月12日・2013年3月12日のブログ参照)が行われています。
現在の「神崎町」の「人口」は6558人で、「世帯数」は2364世帯(2013年3月1日現在)ですが、「発酵の里こうざき酒蔵まつり」には2万人以上の「人出」(動員)がある「人気」の「イベント」です。
「発酵の里こうざき酒蔵まつり」は、300年以上の「伝統」がある2軒の300年以上続く「酒蔵」「鍋店株式会社」(2011年3月10日のブログ参照)と「(株)寺田本家株式会社」(2011年4月10日のブログ参照)の「蔵まつり」を中心に行われ、「両蔵」と「歩行者天国」となった周辺の「国道」及び「町道」を「会場」に「まち」をあげての賑やかな「イベント」「酒蔵まつり」を開催しています。
「発酵の里こうざき酒蔵まつり」の「内容」ですが、「酒蔵見学」や「無料試飲」のほか、「当日限定酒」販売、「酒蔵敷地内」・「周辺街道」沿い「ミニステージ」で「祭囃子」と「踊り」の「競演」、「バンド活動」などが行われ、「沿道」には約200店の「地域物産」や「発酵食品」をはじめとした「露店」が並び、「商店街」も参加するそうです。
「鍋店株式会社」では
毎年3月に「仁勇蔵祭り」を開催しています。
「仁勇蔵祭り」は、「鍋店株式会社」の「メインブランド」である「仁勇(じんゆう)」、「不動(ふどう)」の「名前」を冠しており、今年(2013年)で「15回目」を数える「イベント」です。
「第15回仁勇蔵祭り」を迎えるにあたり、「鍋店株式会社」「第十九代蔵元」「大塚完」氏は、以下のように語っています。
「日本酒の造り方、造る場所、造っている人を、もっと多くの方に見て頂きたい。
そして、日本酒の素晴らしさを、もっと多くの方に知って頂きたい。
という想いから、平成十一年よりスタートした「仁勇蔵祭り」。
おかげさまで、ひとえにご来場頂いた多くのお客様のご支援と、お客様の笑顔のおかげです。
今年も、ご来場いただくお客様が楽しみ、喜んで頂ける「仁勇蔵祭り」となるよう社員一丸となって頑張ります。
是非、お誘い合わせの上ご来場くださいますようお願い申し上げます。」
(「鍋店株式会社」HP「第15回仁勇蔵祭り」の「ご案内」(裏)参照)
「第15回仁勇蔵祭り」当日の「催し」ですが、「仁勇蔵祭りご来場記念 ミニきき猪口プレゼント」、「蔵内見学」、「搾り方による味の違い体験」、「人気」の「不動バー」「開店」、「毎年好評」「蔵祭り限定酒販売」「無料試飲」、「各種おいしい模擬店」、「ステージイベント」となっています。
「仁勇蔵祭りご来場記念 ミニきき猪口プレゼント」は、「第15回仁勇蔵祭り」当日に「先着」10000名に「仁勇蔵祭りご来場記念ミニきき猪口」を「プレゼント」するというものです。
なお「仁勇蔵祭りご来場記念 ミニきき猪口プレゼント」は、「数」に限りがありますので、「数量」に達し次第「配布」は「終了」となるそうです。
「蔵内見学」ですが、当日は「鍋店株式会社」の「蔵内」を「予約無し」でご見学できます。
「普段召し上がっているお酒はどのように造られているの?」
「麹はどうやって作るの?」
「お酒の甘辛ってなに?」
など、「酒造り」に従事する「スタッフ」がご案内し、「お客様」からの「質問」にもしっかりお答えするそうです。
なお「蔵内見学」は、一度に入場頂ける「人数」に「制限」があるそうで、「時間帯」によっては、お待ちいただく場合もあるそうですので予(あらかじ)めご了承下さいとのことです。
「搾り方による味の違い体験」は、「行って知る」「催し」です。
「お酒」の「搾り方」には、「機械」で搾る「方法」と、「吊るし」で搾る「方法」があるそうです。
「搾り方による味の違い体験」では、「お酒」の「搾り方」による「味の違い」を「体験」できるそうです。
「人気」の「不動バー」「開店」ですが、「年」に「一度」、「蔵祭り」の「日」だけ「開店」する「人気」の「催し」です。
今年も「清酒カクテル」をご用意し「皆様」の「ご来店」をお待ちしているそうです。
「毎年大好評」「蔵祭り限定酒販売」「無料試飲」では、「お好み」の「清酒」を探せるそうです。
毎年大変「好評」を得ている「蔵祭り限定酒」が今年も用意されており、どんな「お酒」が用意されているのは「当日」までの「お楽しみ」だそうです。
なお「蔵祭り限定酒」は、「数」に限りがありますので、「品切れ」の際はご了承下さいとのことです。
また「第15回仁勇蔵祭り」では、「仁勇」・「不動」など、「鍋店」を代表する「お酒」も多数ご用意しています。
「鍋店株式会社」を代表する「清酒」や「リキュール」など20種類以上の「無料試飲」も用意しているので、「自分好み」の「お酒」を発見できる「企画」なのだそうです。
その他、「第15回仁勇蔵祭り」では各種「おいしい模擬店」の「出店」、「ステージイベント」が行われ、盛り沢山の「内容」で催行されます。
「第15回仁勇蔵祭り」では、「会場内」に「ペット」を連れての「入場」、「車」を運転される方の「飲酒」・「試飲」は、固くお断りしています。
また「第15回仁勇蔵祭り」当日は、「会場内」が大変混雑する「恐れ」があり、「時間帯」によっては「入場規制」を実施する場合がございますので、予(あらかじ)めご了承下さいとのことです。
「酒」を紡(つむ)ぎ、「人」を紡ぎ、「心」を紡ぐ「鍋店株式会社」が主催し、毎回多くの「人」が訪れる「イベント」「第15回仁勇蔵祭り」。
この機会に「神崎町」に訪れてみてはいかがでしょうか?
「第15回仁勇蔵祭り」詳細
開催日時 3月17日(日) 9時~16時(15時半入場最終)
開催会場 鍋店神崎酒造蔵 香取郡神崎町神崎本宿1916
問合わせ 鍋店株式会社 0478-72-2255 (当日)
備考
「第15回仁勇蔵祭り」は、「雨天決行」で行われます。
「第15回仁勇蔵祭り」で行われる「仁勇蔵祭りご来場記念ミニきき猪口プレゼント」ですが、「入場受付票」に記入いただいた20歳以上の方に限らせていただくそうです。