「銚子電鉄」「各駅見処紹介」その2「仲ノ町駅(なかのちょうえき)」(銚子市)
本日ご紹介するのは、地元「銚子市」の「銚子電鉄」「各駅見処紹介」その2「仲ノ町駅(なかのちょうえき)」です。
「仲ノ町駅」は、銚子市新生町2丁目にある「銚子電気鉄道」の「駅」。
「単式ホーム」1面1線を有する「地上駅」です。
「側線」および「車庫」を有し、列車の行き違いが可能な配線ではあるが、「仲ノ町駅」で行き違う設定はされていません。
かつて構内にあった「変電所」は「銚子電鉄」「笠上黒生駅」へと移転し、その跡地に名物「銚電のぬれ煎餅」の製造工場が建てられています。
また「仲ノ町駅」ホームの「観音駅」寄りに人気ゲーム「桃太郎電鉄」シリーズの協賛企画「しあわせ三像」のうち「貧乏が去る」像があります。
「仲ノ町駅」「駅舎」は「銚子遊覧鉄道時代」から建つ「木造平屋建て」で、「銚子電気鉄道」の「本社」も同居しています。
「仲ノ町駅」「待合室」は「ぬれ煎餅」の通販申し込みが集中すると、急遽「発送場所」とされ、室内が「段ボール」で埋め尽くされてしまうこともあるそうです。
「ぬれ煎餅」、「各種記念切符」、「硬券入場券」(図柄が二種類あり窓口で選べる)・「乗車券」、「各種鉄道グッズ」などが購入可能になっています。
「仲ノ町駅」の近くには「ヤマサ醤油工場」があります。
先(2010年12月6日)のブログでアップしたように「ヤマサ醤油工場」では「工場見学」が出来、「仲ノ町駅」下車の見処になっています。
また「ヤマサ醤油」では「工場見学」と共に「お土産売場」も充実しており、ここでしか手に入らないお土産や「ご当地スイーツ」「しょうゆソフトクリーム」の販売しています。
(通常のバニラのソフトクリームも販売しています。)
「仲ノ町駅」から「ヤマサ醤油工場」脇(双葉小学校裏)を「利根川」方面にてくてく歩くと、「ヤマサのレンガ蔵」があります。
「ヤマサ醤油」の広大な「本社・工場」の北西に位置する「レンガ蔵」は、1915年(大正4年)から1923年(大正12年)にかけて「仕込蔵」の増設時に造られたもので、歴史的に貴重な建物として大切にされています。
更に進むと幹線道路沿いに「旧公正市民会館」(1月2日のブログ参照)や「公立図書館」があり、その先の路地を進むと「黒潮よさこい祭り」などの会場の一部になっている「ココロード(旧銀座通り)」と言う「通り」にぶつかります。
「ココロード」は「飯沼観音」の門前通りになっていて「老舗店舗」が多く残り、昔から「銚子銀座」として市民に親しまれた「商店街」のある通りです。
「ココロード」「商店街」の中に「藤村ベーカリー」という銚子では有名なパン屋さんがあります。
名物「あんぱん」をはじめ、毎日焼きたての「自家製パン」が大人気な名店です。
「藤村ベーカリー」は元々は「和菓子店」であったため、「餡(あん)もの」が得意であるそうです。
ちなみに「藤村ベーカリー」は創業80年にもなる老舗です。
「銚子駅」から「仲ノ町駅」までの距離は0.5kmと短く、次の駅「観音駅」まで0.6kmとなっていて1kmちょっとの間に3つの駅があります。
「銚子駅」から「観音駅」までの車窓からは「工場」や「住宅街」が広がり、市街地を縫うようなコースとなっています。
「銚子電鉄」は、歴史ある「ヤマサ醤油工場」をぬけ、いよいよ「飯沼観音」で有名な「円福寺」のある「観音駅」に向かいます。
次回ブログにて「観音駅」見処についてお伝えします。
備考
「仲ノ町駅」は1913年(大正2年)12月28日に開業しました。
当時は「銚子遊覧鉄道」の駅として開業しましたが、1917年(大正6年)11月21日に「銚子遊覧鉄道」の「廃線」と共に「駅」も廃止となりました。
しかし1923年(大正12年)7月5日「銚子遊覧鉄道」時代の施設を利用し、「銚子鉄道」の「駅」として再び開業しま
「仲ノ町駅」は、銚子市新生町2丁目にある「銚子電気鉄道」の「駅」。
「単式ホーム」1面1線を有する「地上駅」です。
「側線」および「車庫」を有し、列車の行き違いが可能な配線ではあるが、「仲ノ町駅」で行き違う設定はされていません。
かつて構内にあった「変電所」は「銚子電鉄」「笠上黒生駅」へと移転し、その跡地に名物「銚電のぬれ煎餅」の製造工場が建てられています。
また「仲ノ町駅」ホームの「観音駅」寄りに人気ゲーム「桃太郎電鉄」シリーズの協賛企画「しあわせ三像」のうち「貧乏が去る」像があります。
「仲ノ町駅」「駅舎」は「銚子遊覧鉄道時代」から建つ「木造平屋建て」で、「銚子電気鉄道」の「本社」も同居しています。
「仲ノ町駅」「待合室」は「ぬれ煎餅」の通販申し込みが集中すると、急遽「発送場所」とされ、室内が「段ボール」で埋め尽くされてしまうこともあるそうです。
「ぬれ煎餅」、「各種記念切符」、「硬券入場券」(図柄が二種類あり窓口で選べる)・「乗車券」、「各種鉄道グッズ」などが購入可能になっています。
「仲ノ町駅」の近くには「ヤマサ醤油工場」があります。
先(2010年12月6日)のブログでアップしたように「ヤマサ醤油工場」では「工場見学」が出来、「仲ノ町駅」下車の見処になっています。
また「ヤマサ醤油」では「工場見学」と共に「お土産売場」も充実しており、ここでしか手に入らないお土産や「ご当地スイーツ」「しょうゆソフトクリーム」の販売しています。
(通常のバニラのソフトクリームも販売しています。)
「仲ノ町駅」から「ヤマサ醤油工場」脇(双葉小学校裏)を「利根川」方面にてくてく歩くと、「ヤマサのレンガ蔵」があります。
「ヤマサ醤油」の広大な「本社・工場」の北西に位置する「レンガ蔵」は、1915年(大正4年)から1923年(大正12年)にかけて「仕込蔵」の増設時に造られたもので、歴史的に貴重な建物として大切にされています。
更に進むと幹線道路沿いに「旧公正市民会館」(1月2日のブログ参照)や「公立図書館」があり、その先の路地を進むと「黒潮よさこい祭り」などの会場の一部になっている「ココロード(旧銀座通り)」と言う「通り」にぶつかります。
「ココロード」は「飯沼観音」の門前通りになっていて「老舗店舗」が多く残り、昔から「銚子銀座」として市民に親しまれた「商店街」のある通りです。
「ココロード」「商店街」の中に「藤村ベーカリー」という銚子では有名なパン屋さんがあります。
名物「あんぱん」をはじめ、毎日焼きたての「自家製パン」が大人気な名店です。
「藤村ベーカリー」は元々は「和菓子店」であったため、「餡(あん)もの」が得意であるそうです。
ちなみに「藤村ベーカリー」は創業80年にもなる老舗です。
「銚子駅」から「仲ノ町駅」までの距離は0.5kmと短く、次の駅「観音駅」まで0.6kmとなっていて1kmちょっとの間に3つの駅があります。
「銚子駅」から「観音駅」までの車窓からは「工場」や「住宅街」が広がり、市街地を縫うようなコースとなっています。
「銚子電鉄」は、歴史ある「ヤマサ醤油工場」をぬけ、いよいよ「飯沼観音」で有名な「円福寺」のある「観音駅」に向かいます。
次回ブログにて「観音駅」見処についてお伝えします。
備考
「仲ノ町駅」は1913年(大正2年)12月28日に開業しました。
当時は「銚子遊覧鉄道」の駅として開業しましたが、1917年(大正6年)11月21日に「銚子遊覧鉄道」の「廃線」と共に「駅」も廃止となりました。
しかし1923年(大正12年)7月5日「銚子遊覧鉄道」時代の施設を利用し、「銚子鉄道」の「駅」として再び開業しま
「匝瑳市の伝説」「大寺の龍尾寺」(匝瑳市)
本日二つ目は、先だってブログでアップしました「龍尾寺」に伝わる「龍神伝説」をお伝えします。
「大寺の龍尾寺」(豊和地区大寺)
それは、それは遠い昔のお話じゃ。
下総(しもうさ)の国の印旛沼(いんばぬま)の地方では、雨が一粒も降らず、来る日も、来る日もお日様がギラギラと照りつけていたそうな。
「ああ、いつまで、この日照りは続くんじゃろう。このままでは、わしらの食い物をつきてしまうわ」
「あしたこそはなあ、雨が降んねえかなあ」
村人たちの願いもむなしく、日照りは続き、飢えで死んでしまう者も、出て来る始末じゃった。
このことを知った天皇は、釈明(しゃくめい)というお坊さんに雨乞(あまご)いの祭りをやって、雨を降らせるように命じたそうな。
早速、釈明は印旛沼に船を漕ぎ出して、沼の真ん中で、「海龍王経(かいりゅうたおうきょう)」などを読み続けて、「龍神様(りゅうじんさま)」に、お祈りをした。
それは、それは、命がけのお祈りだったそうな。
一日、二日、三日と、釈明の声は絶えることなく沼のあたりに響き渡ったそうな。
すると、どうでしょう。
三日目の夕方、ちょうどお日様が地面にかくれる頃のことじゃった。
「ザザザザーッ」ものすごい波の音とともに、沼の中から龍神様が現れたのじゃった。
やがて天に舞い上がり、暮れゆく空の中に姿を消したそうな。
と、その時じゃった。
突然、真っ黒な雲が地面から、もくもくと舞い上がって、いなずまと雷鳴の中で渦巻きが起こったそうな。
「ポツリ、ポツリ」天から大粒の雨が落ちてきましたと。
枯れ草同様の畑の作物も、生き返ったと。
「助かった。助かった。」
「ありがたいことだ。ありがたいことだ。」
村人たちは、天にも昇る思いで、手を合わせ、読経(どきょう)したそうな。
七日目。その日は特にすごい雷光(らいこう)と雷鳴(らいめい)の日じゃった。
「ぴかっ」
「ズズーン。バリバリバリッ」
天も地もふっ飛ぶような雷鳴が、とどろき渡ったそうな。
「ああっ。龍の体が・・・・・・・」
村人たちは、一瞬、凍りついたように立ちどまった。
三つに裂けた龍の姿を見たのじゃった。
私たちを救ってくれた龍・・・・・・・。
村人たちは三つに裂かれた龍の体を捜しに出かけたそうな。
すると、二本の角がついた頭は安食(あじき)に、腹は本埜(もとの)に、尾は大寺(おおでら)に落ちていたのが見つかった。
「おらたちの身代わりになってくれた龍よォー」
「わしらの神様じゃー」
変わり果てた龍を見つけた人々は、それぞれの地で供養することにしたのじゃった。
頭部は、石の唐櫃(からびつ)に納めて龍角寺(りゅうかくじ)の堂前に埋めた。
腹は、本埜の地蔵堂に納めた。
尾は、大寺の寺に納めたそうな。
「龍角寺(りゅうかくじ)」、「龍腹寺(りゅうふくじ)」、「龍尾寺(りゅうびじ)」とそれぞれ寺の名前になったと。
(原話 房総の民話、千葉県の歴史、北総誌史)
(「匝瑳市」HPより抜粋)
備考
「匝瑳市」の「龍尾寺」に伝わる同様の「縁起」が「大阪府」の「四條畷市(しじょうなわてし)」にある「曹洞宗」の「龍尾寺」にも伝えられています。
「大寺の龍尾寺」(豊和地区大寺)
それは、それは遠い昔のお話じゃ。
下総(しもうさ)の国の印旛沼(いんばぬま)の地方では、雨が一粒も降らず、来る日も、来る日もお日様がギラギラと照りつけていたそうな。
「ああ、いつまで、この日照りは続くんじゃろう。このままでは、わしらの食い物をつきてしまうわ」
「あしたこそはなあ、雨が降んねえかなあ」
村人たちの願いもむなしく、日照りは続き、飢えで死んでしまう者も、出て来る始末じゃった。
このことを知った天皇は、釈明(しゃくめい)というお坊さんに雨乞(あまご)いの祭りをやって、雨を降らせるように命じたそうな。
早速、釈明は印旛沼に船を漕ぎ出して、沼の真ん中で、「海龍王経(かいりゅうたおうきょう)」などを読み続けて、「龍神様(りゅうじんさま)」に、お祈りをした。
それは、それは、命がけのお祈りだったそうな。
一日、二日、三日と、釈明の声は絶えることなく沼のあたりに響き渡ったそうな。
すると、どうでしょう。
三日目の夕方、ちょうどお日様が地面にかくれる頃のことじゃった。
「ザザザザーッ」ものすごい波の音とともに、沼の中から龍神様が現れたのじゃった。
やがて天に舞い上がり、暮れゆく空の中に姿を消したそうな。
と、その時じゃった。
突然、真っ黒な雲が地面から、もくもくと舞い上がって、いなずまと雷鳴の中で渦巻きが起こったそうな。
「ポツリ、ポツリ」天から大粒の雨が落ちてきましたと。
枯れ草同様の畑の作物も、生き返ったと。
「助かった。助かった。」
「ありがたいことだ。ありがたいことだ。」
村人たちは、天にも昇る思いで、手を合わせ、読経(どきょう)したそうな。
七日目。その日は特にすごい雷光(らいこう)と雷鳴(らいめい)の日じゃった。
「ぴかっ」
「ズズーン。バリバリバリッ」
天も地もふっ飛ぶような雷鳴が、とどろき渡ったそうな。
「ああっ。龍の体が・・・・・・・」
村人たちは、一瞬、凍りついたように立ちどまった。
三つに裂けた龍の姿を見たのじゃった。
私たちを救ってくれた龍・・・・・・・。
村人たちは三つに裂かれた龍の体を捜しに出かけたそうな。
すると、二本の角がついた頭は安食(あじき)に、腹は本埜(もとの)に、尾は大寺(おおでら)に落ちていたのが見つかった。
「おらたちの身代わりになってくれた龍よォー」
「わしらの神様じゃー」
変わり果てた龍を見つけた人々は、それぞれの地で供養することにしたのじゃった。
頭部は、石の唐櫃(からびつ)に納めて龍角寺(りゅうかくじ)の堂前に埋めた。
腹は、本埜の地蔵堂に納めた。
尾は、大寺の寺に納めたそうな。
「龍角寺(りゅうかくじ)」、「龍腹寺(りゅうふくじ)」、「龍尾寺(りゅうびじ)」とそれぞれ寺の名前になったと。
(原話 房総の民話、千葉県の歴史、北総誌史)
(「匝瑳市」HPより抜粋)
備考
「匝瑳市」の「龍尾寺」に伝わる同様の「縁起」が「大阪府」の「四條畷市(しじょうなわてし)」にある「曹洞宗」の「龍尾寺」にも伝えられています。
「龍尾寺(りゅうびじ)」(匝瑳市)
本日ご案内するのは、近隣市「匝瑳市」の古刹「龍尾寺(りゅうびじ)」です。
「龍尾寺」は、「匝瑳市大寺」にある「真言宗智山派」の寺院です。
山号は「天竺山」。
御本尊は「釈迦如来」で、正式名は「天竺山尊蓮院龍尾寺」です。
「匝瑳市」で最も古い歴史を持つ寺院で、境内にある「薬師堂」の前に立っている「石灯籠」は、古くからの「龍神信仰」を伝えています。
言い伝えは次のとおりです。
天平4年(732年)、天下は干ばつに苦しめられ、「釈明上人」が「印旛沼」のほとりで「雨乞い」の「祈祷」を行いました。
「印旛沼」には小さな「龍」が住んでいて、願いを聞いた「沼」の「小龍」は「龍王」に殺されるのを覚悟で天に昇り、暮れゆく空の中に姿を消したそうです。
そして結願の日、「雷鳴」とともに雨が降りだしました。
その直後、天から3つに裂かれた「龍の遺骸」が落ちてきて、村人たちの目に入りました。
心優しい「小龍」は「龍王」の言い付けに逆らって村人のために雨を降らせたので、斬られて三つになって落ちたのでした。
「龍の遺骸」を葬り、寺を建てたのが、「龍角寺」(印旛郡栄町)、「龍腹寺」(印旛郡本埜村(もとのむら)、現在の「印西市」) 、「龍尾寺」(匝瑳市大寺)と伝わっています。
「匝瑳市」に伝わる「龍神信仰」「龍尾寺」。
新緑の「匝瑳市」の古刹にお出かけしてみませんか?
「龍尾寺」詳細
所在地 匝瑳市大寺2856
問合わせ 龍尾寺 0479-74-1379
備考
「龍尾寺」にある「龍尾寺板碑」は「匝瑳市」の「市指定有形文化財」になっています。
「龍尾寺」は、「匝瑳市大寺」にある「真言宗智山派」の寺院です。
山号は「天竺山」。
御本尊は「釈迦如来」で、正式名は「天竺山尊蓮院龍尾寺」です。
「匝瑳市」で最も古い歴史を持つ寺院で、境内にある「薬師堂」の前に立っている「石灯籠」は、古くからの「龍神信仰」を伝えています。
言い伝えは次のとおりです。
天平4年(732年)、天下は干ばつに苦しめられ、「釈明上人」が「印旛沼」のほとりで「雨乞い」の「祈祷」を行いました。
「印旛沼」には小さな「龍」が住んでいて、願いを聞いた「沼」の「小龍」は「龍王」に殺されるのを覚悟で天に昇り、暮れゆく空の中に姿を消したそうです。
そして結願の日、「雷鳴」とともに雨が降りだしました。
その直後、天から3つに裂かれた「龍の遺骸」が落ちてきて、村人たちの目に入りました。
心優しい「小龍」は「龍王」の言い付けに逆らって村人のために雨を降らせたので、斬られて三つになって落ちたのでした。
「龍の遺骸」を葬り、寺を建てたのが、「龍角寺」(印旛郡栄町)、「龍腹寺」(印旛郡本埜村(もとのむら)、現在の「印西市」) 、「龍尾寺」(匝瑳市大寺)と伝わっています。
「匝瑳市」に伝わる「龍神信仰」「龍尾寺」。
新緑の「匝瑳市」の古刹にお出かけしてみませんか?
「龍尾寺」詳細
所在地 匝瑳市大寺2856
問合わせ 龍尾寺 0479-74-1379
備考
「龍尾寺」にある「龍尾寺板碑」は「匝瑳市」の「市指定有形文化財」になっています。