「長禅寺」と「長禅寺」の「文化財」(旭市)
本日ご案内するのは、となりまち「旭市」「長禅寺」と「長禅寺」の「文化財」です。
「長禅寺」は、「旭市野中」にある「真言宗智山派」の寺院。
「山号」は「金剛山」、「本尊」は「愛染明王」。
応永8年(1401年)9月に創建されました。
「長禅寺」は、山城国宇治郡醍醐山金剛王院の「大僧正」「実賢」6代の法孫、「長範」和尚が開基しました。
1565年には「正木時忠」らの軍勢によって、「本尊」はじめ「堂塔」が焼失。
1568年に再建し、翌年には「本堂」が完成しましたが、1789年再び火災、「本尊」は避難しましたが、「本堂」が焼けてしまったそうです。
そして1799年、「本堂」が完成し、現在に至っています。
立派な屋根が特徴で、築200年以上のその姿は正に壮観です。
「長禅寺」本尊の「愛染明王像」は伝統的技法を忠実に伝えた仏像で木造寄木造りの座像です。
「愛染明王像」は男女の縁結びの仏様といわれ、胎内から「墨書銘文」が発見され「京仏師小河浄慶」の作です。
永禄12年(1569年)に完成したことも「墨書銘文」に記されています。
この「愛染明王像」は明王であるので念怒形を示していますが、内心は慈悲深く衆生を憐れんで血の涙を流しているそうです。
また「愛染明王像」全体が赤いのはその為だといわれています。
「愛染明王像」は旭市の「指定文化財」に指定されています。
(昭和45年(1970年)9月19日指定)
また「本堂欄間彫刻」も同じく指定を受けています。
(平成11年(1999年)4月10日指定)
「長禅寺」は、東総地方の「新四国88か所」「第1番」の寺として、春の「遍路巡礼」でも賑わっています。
男女の縁結びの「仏様」といわれる「愛染明王」を本尊とする「旭市」の古刹「長禅寺」。
新緑の季節にお出かけしてみませんか?
「長禅寺」詳細
所在地 旭市野中2042
問合わせ 旭市生涯学習課 0479-55-5728
備考
「長禅寺」には、2つの「伝説(伝承)」が伝えられています。
また「長禅寺」には、「新四国88か所霊場」を縮小した霊場も設置され、境内いっぱいに八十八個の「石仏」が、「讃岐・阿波・土佐・伊予」の四国に分けられて勧請されています。
「長禅寺」は、「旭市野中」にある「真言宗智山派」の寺院。
「山号」は「金剛山」、「本尊」は「愛染明王」。
応永8年(1401年)9月に創建されました。
「長禅寺」は、山城国宇治郡醍醐山金剛王院の「大僧正」「実賢」6代の法孫、「長範」和尚が開基しました。
1565年には「正木時忠」らの軍勢によって、「本尊」はじめ「堂塔」が焼失。
1568年に再建し、翌年には「本堂」が完成しましたが、1789年再び火災、「本尊」は避難しましたが、「本堂」が焼けてしまったそうです。
そして1799年、「本堂」が完成し、現在に至っています。
立派な屋根が特徴で、築200年以上のその姿は正に壮観です。
「長禅寺」本尊の「愛染明王像」は伝統的技法を忠実に伝えた仏像で木造寄木造りの座像です。
「愛染明王像」は男女の縁結びの仏様といわれ、胎内から「墨書銘文」が発見され「京仏師小河浄慶」の作です。
永禄12年(1569年)に完成したことも「墨書銘文」に記されています。
この「愛染明王像」は明王であるので念怒形を示していますが、内心は慈悲深く衆生を憐れんで血の涙を流しているそうです。
また「愛染明王像」全体が赤いのはその為だといわれています。
「愛染明王像」は旭市の「指定文化財」に指定されています。
(昭和45年(1970年)9月19日指定)
また「本堂欄間彫刻」も同じく指定を受けています。
(平成11年(1999年)4月10日指定)
「長禅寺」は、東総地方の「新四国88か所」「第1番」の寺として、春の「遍路巡礼」でも賑わっています。
男女の縁結びの「仏様」といわれる「愛染明王」を本尊とする「旭市」の古刹「長禅寺」。
新緑の季節にお出かけしてみませんか?
「長禅寺」詳細
所在地 旭市野中2042
問合わせ 旭市生涯学習課 0479-55-5728
備考
「長禅寺」には、2つの「伝説(伝承)」が伝えられています。
また「長禅寺」には、「新四国88か所霊場」を縮小した霊場も設置され、境内いっぱいに八十八個の「石仏」が、「讃岐・阿波・土佐・伊予」の四国に分けられて勧請されています。
「汗かき地蔵」(旭市)
本日ご紹介するのは、となりまち「旭市」に伝わる「汗かき地蔵」です。
「汗かき地蔵」は、むかし「延寿寺」の井戸から発見されたものが部落の中心に建てられ「汗かき地蔵」といわれてきたものです。 (「延寿寺」で出土したという説もあります。)
「延寿寺」には、光輝く井戸から「本尊」の「延命地蔵菩薩」が出現したという「縁起」があり、このことから「井戸野」という地名の由来になったとされています。
「水生岩」(通称「飯岡石」)の高さ95cm、幅35cmの「板碑」に線刻で「地蔵尊」と周囲に「梵字」で「地蔵菩薩」と刻まれています。
「汗かき地蔵」ですが、村の異変を汗で知らせるという伝承があります。
言い伝えでは「板碑」の上部に汗をかくと「井戸野」の上通りに異変があり、中央部に汗をかくと中央通りが異変があり、下部に汗をかくと下通りに異変があると伝えられていたようです。
村の異変を汗で知らせる珍しい「地蔵像」「汗かき地蔵」は、昭和56年(1981年)11月13日に「旭市」の「市指定有形文化財」に指定されています。
「旭市」「井戸野」に伝わる村の異変を汗で知らせる「汗かき地蔵」。
現在も「井戸野」の地で村の異変を知らせているようです。
「汗かき地蔵」詳細
所在地 旭市井戸野地先
問合わせ 旭市生涯学習課 0479-55-5728
備考
「汗かき地蔵」は現在、小さな「覆い」の中にひっそりと立っているそうです。
近隣の人たちにより、野花が飾られています。
「汗かき地蔵」は、むかし「延寿寺」の井戸から発見されたものが部落の中心に建てられ「汗かき地蔵」といわれてきたものです。 (「延寿寺」で出土したという説もあります。)
「延寿寺」には、光輝く井戸から「本尊」の「延命地蔵菩薩」が出現したという「縁起」があり、このことから「井戸野」という地名の由来になったとされています。
「水生岩」(通称「飯岡石」)の高さ95cm、幅35cmの「板碑」に線刻で「地蔵尊」と周囲に「梵字」で「地蔵菩薩」と刻まれています。
「汗かき地蔵」ですが、村の異変を汗で知らせるという伝承があります。
言い伝えでは「板碑」の上部に汗をかくと「井戸野」の上通りに異変があり、中央部に汗をかくと中央通りが異変があり、下部に汗をかくと下通りに異変があると伝えられていたようです。
村の異変を汗で知らせる珍しい「地蔵像」「汗かき地蔵」は、昭和56年(1981年)11月13日に「旭市」の「市指定有形文化財」に指定されています。
「旭市」「井戸野」に伝わる村の異変を汗で知らせる「汗かき地蔵」。
現在も「井戸野」の地で村の異変を知らせているようです。
「汗かき地蔵」詳細
所在地 旭市井戸野地先
問合わせ 旭市生涯学習課 0479-55-5728
備考
「汗かき地蔵」は現在、小さな「覆い」の中にひっそりと立っているそうです。
近隣の人たちにより、野花が飾られています。
「銚子電鉄」「各駅見処紹介」その4「本銚子駅(もとちょうしえき)」(銚子市)
本日ご紹介するのは、地元「銚子市」の「銚子電鉄」「各駅見処紹介」その4「本銚子駅(もとちょうしえき)」です。
「本銚子駅」は、銚子市清水町にある「銚子電鉄」の「駅」です。
「本銚子駅」は「単式ホーム」1面1線を有する「地上駅」で「無人駅」です。
「駅」全体が「切り通し」の中にあり、周辺は林となっています。
「駅舎」は「木造平屋建て」で、簡易な「駅務室」と、「待合室」が併設されています。
また「駅舎」に隣接し「車止め」を兼ねた「改札用」の「柵」が設置されています。
2007年12月まで小学生の通勤時間帯のみ「駅員」を配置していましたが、合理化により、2008年以降「海鹿島駅(あしかじまえき)」共々「完全無人化」されました。
(「本銚子駅」近くには「市立清水小学校」、「観音駅」との中間辺りに「市立飯沼小学校」があります。)
「本銚子駅」は、「駅名」の通り、「駅」の北側は「銚子市街」の元々の中心部に当たります。
小学校(「市立清水小学校」)と隣接している為、 「小学生」が主要な利用客となっています。
「本銚子駅」を跨(また)ぐように架かる「清愛橋」は、「銚子電鉄」の「電車」の「撮影名所」として、多くの「鉄道ファン」に知られています。
この「清愛橋」からのフォトスポットは「本銚子駅」の見処のひとつです。
また「受験生」や「企業向け」に「本銚子駅」と「銚子駅」との「往復記念御利益切符」があり、一部「東京都内」の「書店」等で販売されているそうです。
「本銚子駅」の見処ですが、先程の「清愛橋」からの「フォトスポット」と「紫陽花(アジサイ)」の「駅」が挙げられます。
「本銚子駅」は「紫陽花」の「駅」として市内外に知られていて、「開花シーズン」はホームの反対側の「植え込み」から、隣駅の「笠上黒生駅」間にかけて「紫陽花」の「花」で綺麗に彩られます。
また「本銚子駅」西側の坂道途中にある「浅間神社(せんげんじんじゃ)」も見処のひとつです。
通称「浅間様(せんげんさま)」といわれ親しまれている「本銚子駅」西側の丘に鎮座する神社です。
「浅間神社」の「御祭神」は「木花乃佐久夜毘売命(コノハナヤクヤヒメノミコト)」。
(「富士山」を「神体山」としている「富士山本宮浅間大社」と、配下の国内1300社の「浅間神社」に祀られている「水の神様」、「安産」や「子育て」の「神様」として知られています。)
「浅間神社」「境内」からは「太平洋」と「利根川」、「銚子市内」は もとより対岸の「茨城県」まで一望できます。
毎年7月第3土曜日に行われる「浅間様」の「祭」で有名で、当日は多くの露店(夜店)が出て大いに賑わいます。
また銚子の風習で「初山」があり、「浅間様」に朝、お参りに行った子は元気に育つと言われており、早朝から多くの参拝客で賑わいます。
「本銚子駅」は緑に囲まれた林の中にあり、「銚子電鉄」の車窓からの眺めも長閑(のどか)な風景に変わっていきます。
「街中」の喧騒を抜けていよいよ「キャベツ畑」が広がる「銚子」ならではの風景が広がるエリアに移っていきます。
ちなみに次の「駅」の「笠上黒生駅」は、「銚子電鉄」の正にターニングポイントとなっている「停車駅」です。
「銚子電鉄」の「小旅行」もいよいよ真ん中の駅へと向かいます。
備考
「本銚子駅」は、「日本テレビ」で放映されていました「竹野内豊」さんが主演していた「人気ドラマ」「世紀末の詩」(1998年10月~12月放映)の「第8話」のロケ地として使われていました。
「本銚子駅」は、銚子市清水町にある「銚子電鉄」の「駅」です。
「本銚子駅」は「単式ホーム」1面1線を有する「地上駅」で「無人駅」です。
「駅」全体が「切り通し」の中にあり、周辺は林となっています。
「駅舎」は「木造平屋建て」で、簡易な「駅務室」と、「待合室」が併設されています。
また「駅舎」に隣接し「車止め」を兼ねた「改札用」の「柵」が設置されています。
2007年12月まで小学生の通勤時間帯のみ「駅員」を配置していましたが、合理化により、2008年以降「海鹿島駅(あしかじまえき)」共々「完全無人化」されました。
(「本銚子駅」近くには「市立清水小学校」、「観音駅」との中間辺りに「市立飯沼小学校」があります。)
「本銚子駅」は、「駅名」の通り、「駅」の北側は「銚子市街」の元々の中心部に当たります。
小学校(「市立清水小学校」)と隣接している為、 「小学生」が主要な利用客となっています。
「本銚子駅」を跨(また)ぐように架かる「清愛橋」は、「銚子電鉄」の「電車」の「撮影名所」として、多くの「鉄道ファン」に知られています。
この「清愛橋」からのフォトスポットは「本銚子駅」の見処のひとつです。
また「受験生」や「企業向け」に「本銚子駅」と「銚子駅」との「往復記念御利益切符」があり、一部「東京都内」の「書店」等で販売されているそうです。
「本銚子駅」の見処ですが、先程の「清愛橋」からの「フォトスポット」と「紫陽花(アジサイ)」の「駅」が挙げられます。
「本銚子駅」は「紫陽花」の「駅」として市内外に知られていて、「開花シーズン」はホームの反対側の「植え込み」から、隣駅の「笠上黒生駅」間にかけて「紫陽花」の「花」で綺麗に彩られます。
また「本銚子駅」西側の坂道途中にある「浅間神社(せんげんじんじゃ)」も見処のひとつです。
通称「浅間様(せんげんさま)」といわれ親しまれている「本銚子駅」西側の丘に鎮座する神社です。
「浅間神社」の「御祭神」は「木花乃佐久夜毘売命(コノハナヤクヤヒメノミコト)」。
(「富士山」を「神体山」としている「富士山本宮浅間大社」と、配下の国内1300社の「浅間神社」に祀られている「水の神様」、「安産」や「子育て」の「神様」として知られています。)
「浅間神社」「境内」からは「太平洋」と「利根川」、「銚子市内」は もとより対岸の「茨城県」まで一望できます。
毎年7月第3土曜日に行われる「浅間様」の「祭」で有名で、当日は多くの露店(夜店)が出て大いに賑わいます。
また銚子の風習で「初山」があり、「浅間様」に朝、お参りに行った子は元気に育つと言われており、早朝から多くの参拝客で賑わいます。
「本銚子駅」は緑に囲まれた林の中にあり、「銚子電鉄」の車窓からの眺めも長閑(のどか)な風景に変わっていきます。
「街中」の喧騒を抜けていよいよ「キャベツ畑」が広がる「銚子」ならではの風景が広がるエリアに移っていきます。
ちなみに次の「駅」の「笠上黒生駅」は、「銚子電鉄」の正にターニングポイントとなっている「停車駅」です。
「銚子電鉄」の「小旅行」もいよいよ真ん中の駅へと向かいます。
備考
「本銚子駅」は、「日本テレビ」で放映されていました「竹野内豊」さんが主演していた「人気ドラマ」「世紀末の詩」(1998年10月~12月放映)の「第8話」のロケ地として使われていました。









