犬吠埼観光ホテル☆ブログ -11ページ目

「輪くぐり」・「献灯祭」(旭市)

「輪くぐり」・「献灯祭」(旭市)


 本日ご案内するのは、となりまち「旭市」「玉崎神社」で7月30日(火)に開催されます「輪くぐり」・「献灯祭」です。

 「玉崎神社」(2012年1月1日のブログ参照)は、「旭市」「飯岡」(下総国海上郡)にあり「神社」で「下総国二宮」(論社)で、「旧社格」は「郷社」です。
 「玉崎神社」の「御祭神」ですが、「玉依姫尊(たまよりひめのみこと)」(玉依毘売命)を「主祭神」として「日本武尊(やまとたけるのみこと)」を配祀しています。
 「玉崎神社」ですが、「社伝」によりますと、景行天皇40年の「創建」とされています。

 「玉崎神社」の「由緒」ですが、以下のように伝えられています。

 「日本武尊」が「東征」の折、「相模」より「上総」に渡ろうとして「海難」に遭った際、「弟橘媛(おとたちばなひめ)」が

 「これは海神の御心に違いない」

 と言って入水されたことで、無事「上総国」に着くことができ、更に「海路」「葦浦」(現「鴨川市吉浦」)を廻り「下総」「玉の浦」(現「九十九里浜」(2012年5月11日のブログ参照))に渡ることができたそうです。
 そこで「日本武尊」は、その「霊異」を畏(かしこ)み、「海上平安」、「夷賊鎮定」のために、「玉の浦」の「東端」「玉ヶ崎」に、「海神」の「娘」であり「神武天皇」の「母」である「玉依姫尊」(玉依毘売命)を祀ったと伝えられています。
 後世「玉ヶ崎」を「竜王岬」と言うようになったのは、「海神」を「竜宮の神」に付会して

 「竜王の鎮まり坐す崎」

 としたためといわれています。

 「茅の輪」ですが、「正月」から「半年間」の「罪穢(けが)れ」を祓う「夏越しの大祓」で執り行われ、「茅草」で作られた「大きな輪」をくぐると「疫病」や「罪」が祓われるとされています。
 「茅の輪」は、「神社」にもよりますが、6月から7月にかけて行われています。
 「具体的」な「茅の輪」の「方法」ですが、「この輪」を「左回り」、「右回り」、「左回り」の「順」で「∞」の「字」を描くように「3回」くぐり抜けて参拝します。
 これらは「素戔鳴尊(すさのおのみこと)」にまつわる「故事」に由来する「行事」です。
 「茅輪神事」は、「ちのわしんじ」と読んで、他に「輪越祭」「茅の輪くぐり」とも言われています。
 「茅(ち=かや)」とは、「茅萱(ちがや)」、「菅(すげ)」、「薄(すすき)」などの「総称」で、この「輪」をくぐり越えて「罪」や「穢れ」を取り除き、「心身」が「清らか」になるようにお祈りするものなのだそうです。

 「輪くぐり」・「献灯祭」ですが、7月30日(火)に「玉崎神社」で行われる「神事」です。
 「輪くぐり」は、「玉崎神社」「境内」に設けられた「茅の輪」をくぐり「半年」の「罪穢れ」を祓う「行事」「夏越しの祓」です。
 「夏越しの祓」ですが、本来は「旧暦」6月30日に行われ、「人形」の「御神札」で「からだ」をぬぐい、「息」を吹きかけ「神前」に納めます。
 「献灯祭」では、「玉崎神社」「境内」に「短歌」・「俳句」・「書」・「絵」の貼られた「燈籠」がともり、「玉崎神社」は、ほのかな「光」に彩られるそうです。
 また「玉崎神社」では、17時からは「子ども神輿」や「バザール」も開催されるそうです。

 「旭市」「飯岡」に鎮座する「下総国二宮」「玉崎神社」で開催される「神事」「輪くぐり」・「献灯祭」。
 この機会に「旭市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「輪くぐり」・「献灯祭」詳細

 開催日時 7月30日(火) 18時~

 開催会場 玉崎神社 旭市飯岡2126

 問合わせ 玉崎神社 0479-57-2278



 備考
 「玉崎神社」の「本殿」は昭和48年(1973年)3月2日、「拝殿」は平成17年(2005年)3月29日に「千葉県」の「県有形文化財」に指定され、「社宝」の「古瀬戸狛犬」一対は、その「形状」「面貌」等「特色」ある「品」であることから平成3年(1991年)3月18日、同じく「県有形文化財」に指定されています。

「麻賀多神社祭礼」(成田市)

「麻賀多神社祭礼」(成田市)


 本日二つ目にご案内するのは、近隣市「成田市」「麻賀多神社(まかたじんじゃ)」で7月28日(日)に開催されます「麻賀多神社祭礼」です。

 「麻賀多神社」は、「成田市」「台方」にある「神社」です。
 「麻賀多神社」は「式内社」で、「旧社格」は「郷社」、「印旛郡市」にある18社ある「麻賀多十八社」の「惣社(そうじゃ、そうしゃ、すべやしろ)」です。
 「麻賀多神社」の「御祭神」は、「和久産巣日神(ワクムスビノカミ)」と「稚日霊命(ワカヒルメノミコト)」(奥宮)です。
 ちなみに「麻賀多神社」の「御祭神」は、「五穀の神様」で「産業を司る神」として知られています。
 また「麻賀多神社」の「神社」の「社紋」が「麻の葉」であることから「安産」や「子供の守り神」でもあるそうです。

 「麻賀多神社」「本堂」の「奥」にある「大杉」は、「御神木」として「樹齢」1300年あまりと推定されており、「東日本一」の「大杉」といわれています。
 古来より「御神木」には「神霊」が宿るといわれ、「延命」・「長寿」の授かることでも「有名」で、昭和10年(1935年)に「千葉県」の「記念樹」「第1号」に指定されています。
 また、1944年(昭和19年)6月10日に「日月神示(ひつきしんじ)」が降ろされた場所としても知られています。

 「麻賀多神社」の「歴史」ですが、「社殿」によりますと、「景行天皇」42年6月晦日、「東征中」の「日本武尊(ヤマトタケルノミコト)」が「当地」を訪れ、「杉」の「幹」に「鏡」を懸け

 「この鏡をインバノクニタマオキツガミと崇めて祀れば、五穀豊穣になる」

 と言い、「伊勢の大神」を「遥拝」したのが、「麻賀多神社」の「起源」であるといわれています。

 応神天皇20年、「神八井耳命(カムヤイミノミコト)」の「8世」の「子孫」である「印旛国造」・「伊都許利命(イツコリノミコト)」が現在の「成田市」「船形」に「社殿」を造営し、その「鏡」を「御神体」として「稚日霊命」を祀りました。
 また「伊都許利命」は、「杉の木」の下から「7つの玉」を掘り出し、それを「御神体」として「和久産巣日神」を併せ祀りました。
 この「2神」は「真賀多真(勾玉(まがたま))の大神」と呼ばれたそうです。

 推古天皇16年、「伊都許利命」の「8世」の「子孫」の「広鋤手黒彦命(ヒロスキテクロヒコノミコト)」が、「神命」により現在の「成田市」「台方」に「和久産巣日神」を遷座し、それまでの「社殿」を「奥宮」としました。
 「延喜式神名帳」に「記載」の際、「真賀多真」が「三種の神器」の「ひとつ」と「同名」であるとして、「一字」取って「真賀多神社」と改称し、後に「一帯」が「麻の産地」であることから「麻賀多神社」に「社名」を改めたそうです。

 また「麻賀多神社」という「神社」は、上記のように「印旛郡市」に「台方」をはじめ、「成田市」に1社、「佐倉市」に11社、「酒々井町」2社、「八千代市」1社の計18社を数え、「全国的」に見ても珍しい「名前」の「神社」で、「印旛沼」(2011年2月23日のブログ参照)の「東側」から「南」にかけてにのみ存在する「神社」です。

 「麻賀多神社祭礼」(祇園祭)は、「麻賀多神社」「本殿」で行われる「例大祭」を皮切りに、「神官」・「榊(さかき)」・「神輿」・「太鼓」・「山車(だし)」などの「一行」が、「印旛沼畔」の「鳥居河岸」に向けて練り歩きます。
 また「麻賀多神社祭礼」(祇園祭)「鳥居側」「神楽舞台」では、「ヒョットコ踊り」や「獅子舞」が披露されます。
 ちなみに「麻賀多神社祭礼」で披露される「獅子舞」は、「成田市」の「市指定無形文化財」に指定されています。

 「印旛郡市」にある「麻賀多十八社」の「惣社」「麻賀多神社」で行われる「祭礼」「麻賀多神社祭礼」(祇園祭)。
 この機会に「成田市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「麻賀多神社祭礼」詳細

 開催日  7月28日(日)

 開催会場 麻賀多神社 成田市台方1

 問合わせ 麻賀多神社 0476-28-5736 備考
 「麻賀多神社祭礼」(祇園祭)は、平成19年より、7月「最終日曜日」開催となっています。
 また「麻賀多神社」の「社号」の「麻賀多」ですが、「麻の産地」・「麻縣」によるものという「説」、掘り出した「勾玉」を「霊代」としている「説」、「印旛沼」の「潟」から「真潟」という「説」、「豊城入彦命下毛野君弟真若君」から「真若田」という「説」、「御祭神」・「稚日霊命」から「真若」であるともいわれており、「諸説」あります。

「延方相撲」(潮来市)

「延方相撲」(潮来市)


 本日ご案内するのは、近隣市「潮来市」「鹿嶋吉田神社」で7月28日(日)に開催されます「延方相撲」です。

 「潮来市」は、古くから「水運陸路」の「要所」として栄え、「大化の改新」のころ「国府」(現在の「石岡市」)から「鹿島神宮」(2010年11月8日・9日・10日のブログ参照)へ通じる「駅路」「板来の駅」を設けたのが「まち」の「始まり」だと伝えられています。
 その昔は、「地名」を「伊多古」「伊多久」と称し、また「常陸国風土記」(2012年6月3日のブログ参照)には「板来」と書かれていたのを、元禄年間に「徳川光圀」公が「鹿島の潮宮」にあやかって「潮来」と書き改め、今日(こんにち)に至っていると云われています。

 近世になると、「奥州諸藩」の「物産」を集めて「江戸」に向かう「千石船」が「銚子河口」から「利根川」(2011年10月9日のブログ参照)にて「潮来」に至り、「潮来」で1~2反帆の「高瀬舟」に「積み荷」の「積み替え」を行い、「前川」(2012年5月26日のブログ参照)は行き交う「大小」の「船」で賑わい、「荷」の「揚げ降ろし」の「船付場」(河岸)が続き「中継港」として大いに「繁栄」をしました。
 しかし、「潮来」が大いに「繁栄」したのは、この江戸時代中期ころまでであり、元文年代(1736~1740年)の「大洪水」で「利根川」の「本流」が「佐原地方」に移ると、「中継港」としての「機能」を失ってしまったそうです。

 さらに、明治に入って「常磐線」が開通し、「陸運」が盛んになってからは、「水運」は一挙に衰退し、それに「歩調」を合わせるかのようにして「潮来」も寂れてしまいました。
 それ以来、この地方では「産業」らしき「産業」もなかったことから、「地元」の「若い娘」の「収入源」として、「観光客」の「」案内を兼ねて「サッパ」を操ったところ「観光客」に「好評」を博したことから「娘船頭さん」として知られるようになりました。
 昭和30年3月には、「美空ひばり」さんの「むすめせんどうさん」の「ロケ」が「水郷潮来」で行われたのが「きっかけ」となり、「その名」は「全国的」に知られるようになりました。
 この「地方」は、「周囲」を「水」に囲まれた「水郷地帯」であったことから、この「地域一体」には「水路」(江間)が「縦横」に張りめぐらされ、「嫁入り」する際に「花嫁」や「嫁入り道具」を運搬するときにも「サッパ舟」が使われており、昭和30年前半ごろまでは「日常的」に行われていました。
 この「嫁入り舟」(2012年6月1日のブログ参照)が、「全国的」に知られるようになったのは、昭和31年10月に「松竹映画」「花嫁募集中」と「タイアップ」し「ミス花嫁」を「募集」したことが「きっかけ」となり、「花村菊江」さんが歌った「潮来花嫁さん」の「大ヒット」によりさらに「全国的」に知られるようになりました。

 「鹿嶋吉田神社」は、「潮来市」にある「神社」で、「延方相撲」(2012年7月27日のブログ参照)が行われることで「有名」な「神社」です。
 「鹿嶋吉田神社」の「御祭神」ですが、「武甕槌命(たけみかずちのみこと)」と「日本武尊(やまとたけるのみこと)」を祀っています。
 「鹿嶋吉田神社」は、「延方村」と「島崎村」(現・「潮来市」「延方地区」)の「鎮守」で、また「鹿嶋吉田神社」は「参道」の「桜」が美しいことでも知られています。

 「延方相撲」の「はじまり」ですが、1672年「外浪逆浦(そとなさかうら)」(2011年1月30日のブログ参照)の「三角州」を巡って長い間、「延方」と「下幡木」(神栖市)の「利権争い」が絶えないとき、「幕府」の「評定」により「延方有利」に解決した事から1673年、「感謝」を表す為に、「鹿嶋吉田神社」に「相撲」を奉納されるようになったそうです。

 「延方相撲」の「由来」ですが、以下の通りです。

 江戸時代初期「徳島」一帯(地区)では「漁場」をめぐる「紛争」や、また「農耕地」の「利権論争」、「耕作権」の「問題」など「紛争」が絶えませんでしたが、寛文12年(1672年)7月27日この「紛争」に対して「江戸幕府」より「御評定」があり

 「この地は水戸南領に属す。」

 という「採決」がありました。
 「村人」はこれを喜び合い寛文13年(1673年)「相撲祭」を「延方村鎮守」「鹿嶋吉田神社」に奉納して感謝したことにはじまり、「江戸勧進相撲」の「格式」をもって今日(こんにち)に伝えられています。

 「相撲祭」は、「祭礼」までの約1ヶ月前から種々の「行事」が始められ、「当番地区」においては「見届け行事」に始まり、「神前会議」、「当番誥家開き」、「衣装揃え」、「地取り祭」まで「地区」総がかりで行われるそうです。
 「祭礼」の「当日」、「早朝」より「当番地区」から「神社」までは「宮行司」、「警護」、「世話人」、「総代」、「花相撲」と古式床しい「行列」によって出されます。
 「相撲」は「鹿嶋吉田神社」「境内」「本殿」前に築かれた「土俵」で、「二番勝負」「一番勝負」「新手二人がかり」「小三番」「大三番」など「古式」の「取り組み」48番が取り納められます。

 「延方相撲」「祭礼当日」の「流れ」ですが、「当番地区」から「神社」への「古式」豊かな「行列」が繰り出され、「神事」のあと、3歳から7歳の「小児」による「花相撲」によって「奉納相撲」が開始、その後「古式」に則った「48番」が「奉納」となります。

 「延方地区」の「鎮守」「鹿嶋吉田神社」で奉納される「神事」「延方相撲」。
 この機会に「鹿嶋市」に訪れてみてはいかがでしょうか?

 「延方相撲」詳細

 開催日  7月28日(日)

 開催会場 鹿嶋吉田神社 茨城県潮来市新宮1885

 問合わせ 潮来市役所観光商工課 0299-63-1111


 備考
 「鹿嶋吉田神社」「延方相撲」は、昭和39年(1964年)7月31日に「茨城県」の「県指定無形民俗文化財」に指定されています。