「これはあくまで現実の一部。ずっとこの現実に人生が縛られているわけ
ではないのだから。」
という思いで明日を迎えたいのです。
私は、ひとつのことに向かうとき、とにかく目の前の「すべきこと」を
終わらせて安心したいという思いが強いあまりに、周囲のこと(目には
見えていても)が心に入ってこない傾向があります。
仕事もそう。
今の仕事の形に生涯を捧げる覚悟も自信も持てない(自分がいずれ上司たち
の立場になって会社にいる姿が想像できない)のに、それなのに、一日会社
にいると、今日の続きでやってくる明日のことを想像し、明後日のことを想像
しているうちに、会社にいる自分の延長でしか明日の姿が想像できないように
なっているのです。
そして、明日を無事に乗り切ることに全ての心を砕くので、他のことに目を
向ける余裕をもつことが、疲れた心には重荷にすら感じられてしまいます。
でも、この循環から抜け出さなくては何も楽になんてならないということは
分かっています。毎晩のように見る夢のほとんどが、何かを探す夢だったり、
道に迷いながらもどこかに向かっている夢なのも、現実から抜け出したいと
いう切なる思いの現れだと確信しています。
どこへ向かうのか、「行きたい場所」「なりたい姿」が具体的に描けるため
にすべきことは、凝り固まった自分の価値観ではなく、他人の価値観や思想
といった刺激を受けることだと思います。
・ブログを書いて自分の心と正直に向き合う時間をもつこと。
・Yahoo知恵袋で自分の考えを表現すること。
今やってるのはこれぐらいですが、10年同じ会社の同じ風景に身を置いて
得られる新しい刺激は、仕事上の役割が変わっていくことに他なりません。
そこには、顧客や上司や同僚といった他人の中でなるべく目立たずにいたい
と願う自分がいるので、自分の本音が出せません。愛想でその場その場を
かわし、自分を隠し、抱え込む環境では、本音で他人の価値観と触れあう
ことなんてできませんから。