ナースキャップはかぶりません -5ページ目

授業中。ほら、黙ってるとふくらむぞ。(前編)

今は小児看護学の授業中である。離乳についてだとか、3歳の子どもの食事がどうのだとか全く興味がわかない……

つまらなすぎて、ひよこクラブでも読んだ方が面白いんじゃないかと思ったりする。読んだことないけど。


学校の先生は人前で話をすることが仕事だが、先生の中でもあまりに話さない人がいればずっと話し続ける人もいる。


この先生もよくしゃべる、仮にA先生とする。A先生はまるまると太った体型でダウンタウンの藤原マネージャーみたい顔をしている。浜田、アウトー。の人だ。

背は高くなくて、手足も長くない。それでいて存在感があるのは横幅のせいと、生徒に対する高圧的で理不尽な物言いのためだろう思っている。



A先生は話が長い、非常に長い。いや、異常に長い。一回の説教で同じ話を何度もするし、息継ぎをいつしているのかと思うくらい話すのが速い。それを2時間近く続けるのだからゆっくりしか話せないし、話しをするのが苦手な僕には到底真似のできないことであるし、凄いことなんだろう。
だからと言ってA先生に1%も憧れないし、反面教師としか思っていない。

少々愚痴っぽくなったが、要するにA先生の話しはつまらないし眠くなる。



つづく…

天国と地獄

地獄にはご馳走たくさんはあり、長い箸が用意されている。それは長すぎて自分の口にいれられない。

だから亡者たちは目の前にご馳走があるのに飢えて争う、これが地獄だ。


天国は地獄の隣にある。天国にもご馳走がたくさんあって、長い箸が用意されている。




実は天国も地獄も変わらない。



天国では長い箸を使って他の人に食べさせてあげる、そして他の人から食べさせてもらう。だから誰も飢えずにご馳走を食べ、幸せな気持ちになる。

地獄にいる人は自分の事しか考えないから飢えて苦しむ。

天国も地獄も変わらない、違うのはそこにいる人の考え方なのだ。それに気が付かない人はずっと地獄にいることになる。


天国はすぐそこにあるのに。





どんなに苦しくて辛いて思っても、それは自分の事しか考えていないから。少し視点を帰るだけで意外とそこは天国かもしれない。

一杯の牛丼

久しぶりに吉野家で牛丼を食べた。



大盛?特盛?

いやいや、並で十分。つゆだくね、それとみそ汁。




大学生の頃、住んでたアパートの近くに吉野家があったのでよく通っていたのを思い出す。


当事はほとんど毎回特盛で、お金のないときは大盛を食べていたように思う。

並盛は絶対に頼まなかった、それはただ並盛ではお腹がいっぱいにならないからだと思っていたけどそれ以外にも『“並”で満足したくない』という10代特有のギラギラした気持ちがあったからなのかもしれない。





いつからだろ、並で満足できるようになったは……


食べる量が減っただけではなくて、それ以外の部分も年齢を重ねている事を感じる。

これが大人になったということなんだろうけれど。

牛丼で妙にセンチメンタルになってしまったな……