実習でのはなし その2
虎さんと一緒に過ごして一週間が経った。
虎さんとは会話が難しいものの、午前中に面会に来る虎さんの奥さんから虎さんの話をたくさん聞けた。
50歳くらいのとき屋根から落ちて大ケガして一年以上入院してたこと、孫が生まれてからは教育テレビの“お母さんといっしょ”ばっかり見るようになったこと。
自分も病気があるから虎さんが心配なこと、虎さんとのナレソメなんかも…
今も虎さんのこと大好きなんだって、真剣に虎さんへの愛を語るおばあちゃんにこっちが照れてしまいそうになる。
『家にいたときは普通のご飯を食べていたんだけど、今は何も食べられないしねぇ…、毎日コーヒー飲んでたんだよ。』
寂しそうにつぶやく奥さん。
いつも午前中の2時間ほど面会に来ては名残惜しそうに帰っていく。
虎さんに向かって奥さんは 『バイバイ』 と手を振るが虎さんはいつも眠そうだ。
多くの男性は高齢になると “前立腺肥大症” になりやすくて夜間は頻尿になりやすい。夜眠れないから昼間眠くなる。
昼に寝るから夜眠くない。昼夜逆転のスパイラルにはまってしまうことがよくある。
虎さんも典型的な昼夜逆転だ。
なんとか虎さんの乱れた生活リズムを整えたい。
せめて奥さんの居るときだけでも起きててほしい。
ただ寝てるのを起こせば良いってもんじゃない。起きてることが虎さんの負担になったら意味ないから。
車椅子で散歩してみたり、大好きなエロDVDを見たり…
間違えた。
水戸黄門のDVDを見たり。新聞を読んでもらったり、髭剃りをしてもらったり(1時間くらいかけて丁寧に剃ってる)
あの手この手でイロイロ試してみる、車椅子で散歩したあとは疲れて余計に眠くなってしまうけどちょっと寝たあとエロ黄門…
水戸黄門見てるときはしっかり起きてたり。
虎さんの負担にならないように、少しづつ覚醒を促してみた。
さらに一週間が経つとずいぶん日中に起きている時間が長くなってきた虎さん。
幸か不幸か虎さんは入院してからほとんど尿意がない。オムツに排泄してて夜中も目が覚めることなくぐっすり眠れるらしい。 それが日中の覚醒につながったんだろう。
ある日、虎さんが起きているときに歯磨きしてたんだ。
歯っていうか虎さんの場合歯がないからガーゼとか綿棒を水で湿らせて口の中を拭くんだけど拭くたびに虎さんは一生懸命ツバを飲み込んでる。
ずっと何も食べてないからガーゼについた少しの水分でも虎さんは飲みたいと思ったのかもしれない。
ガーゼに少し多めに水をつけて口の中を濡らしてやると虎さんはその少しの水をムセずに飲み込んでる。
ふと奥さんの言葉を思い出した、
『毎日コーヒー飲んでたんだよ』
ガーゼにコーヒーをつけて口の中に塗ってあげたい。少しづつなら飲めるかもしれない。
そんなことを思った。
つづく
実習でのはなし その1
ちょっと嬉しい報告があったので久しぶりに実習の話を。
2年生になってから実習ばっかりで病棟に手術室に外来にまた病棟と、いろんな診療科を転々としております。
ほんで今回の話はGW明けの5月から一ヶ月ほどあった慢性期実習でのこと。
この実習は4週間続けて一人の患者さんを受け持つもの。
4週間も一緒にいたらやっぱり離れるのも寂しいしその後も少しは気になるもんです…
患者さんの名前は 虎田 猫之助(とらだ ねこのすけ) 虎さん。 88歳 男性。
疾患名: 大腿部頸部骨折 誤嚥性肺炎 認知症 前立腺肥大症 貧血 etc…
まず受け持ちが決まってカルテを見るんだけどカルテからの印象は話をすることはちょっと難しそうな感じ。
しばらくカルテとにらめっこしたあと患者さんに挨拶しに行く。
指導者の看護師と一緒に部屋に入ると虎さんは寝てた。
肺炎でご飯を食べれないのかな、布団から出た細い腕には点滴の管がつながれてる。
顔は痩せてしわしわだけど優しそうな顔をしてる。
看護師が肩を叩きながら虎さんに声をかける。
『虎さ~ん、今日は学生さんが来ましたよー』
虎さんは目を開けてこちらを見るとゆっくりお辞儀をしてくれた。
『はじめまして、山口と言います。』
『たぶん聴こえないよ、コレ使ってみ』
看護師が僕の言葉を遮って何かを差し出してきた。
長さ50センチくらいの赤いジャバラみたいなもの(正式名:もしもしフォン)。
コレをメガホンみたいにして使うらしい。
僕はもしもしフォンの先っちょを虎さんの耳に当てできるだけ低めの声でゆっくり話す。
『山口と言います』 『よろしくお願いしますね』
虎さんの反応を見ながらゆっくりと言葉を切って話をする。
虎さんは頷いたり『よろしく』と言って頭を下げたりするけど痰が絡んでてうまく声にならない。
呼吸をするたびにのどがゴロゴロなっている。痰をうまく出せないんだ。
看護師がチューブを使って痰を吸引する。
のどにチューブを突っ込まれてる虎さんはちょっと苦しそうだ。
ここで虎さんの病気 “誤嚥性肺炎” についてちょっと説明
虎さんは食べ物を飲み込む力が弱くなってて、食べ物を食べると胃じゃなくて気管の方に食べ物やツバなんかが入ってしまう。(誤嚥)
元気な人なら咳をしてすぐに出すことができるんだけど高齢になると ※そういう反射 も鈍くなって肺に食べかすとか細菌とかが入るようになっちゃう。
※鼻から牛乳を噴出しそうになる反射
肺に細菌がいるとそこで感染して 肺炎 になる。
虎さんは骨折のため入院して、すぐ肺炎になり一旦は良くなったんだけどご飯食べたらまた肺炎になっちゃったからずっと点滴だけしかしてない。
というわけで肺炎になるリスクが高い虎さんはなかなかご飯を食べられないでいる。
ご飯を食べれない人の場合、『お腹に穴を開けてチューブで栄養』をとるなんて方法もあるんだけど虎さんもその家族もそんなのは望んでいない。
ちなみに鼻からチューブを入れて栄養をとる方法は虎さんが寝ぼけてチューブを抜いてしまうらしいのでできない。
家では歩いて生活していたんだけど転んで足を骨折、入院してすぐに肺炎となりずっとご飯を食べてない。
虎さんは一ヶ月以上一日1000mlの点滴(400キロカロリー)で生活している。もちろんベットのずっと上だけで。
初めのうちは食べる訓練とかしていたんだけど虎さんは食べてる途中で寝ちゃうことが多くて危ないから今は訓練してないらしい。
延命的な治療や本人の苦痛となることをできるだけしないで、安らかに最後を迎えられるようにしているらしい。
いわゆる ターミナルケア ってやつだ。
つづく
めっちゃ長い日記 ナラティブ
こないだ 『ナラティブ』 っていう考え方を知ったんだ。
自分の人生を一つの物語として捉える。
自分の人生であったひとつの出来事、それが他の出来事と結びつきさらに他の出来事と結びつく。
それらの結びつきは一つの物語となる…
物語として語ることでその出来事を意味づけることができる。
意味づけによってその出来事を受け入れることができる。
まあ、自分でもあんまりよくわかってないんだけど(笑)
ようするに自分の人生を振り返って自分に影響を与えたであろう“出来事”を“物語”として客観的に見ることでその出来事に意味を持たせる。
そしたら現在の自分の生活を見つめなおすことができる。
みたいな感じで僕は『ナラティブ』を捉えてみた。
現在看護師を目指している僕ですからやはり看護師を目指したいと思ったきっかけとなった“出来事”についてナラ(ナラティブ)ってみたいと思う。
大学を卒業して一年は岐阜で働いた。
『福祉の仕事をするつもりだけどその前に一般企業を経験しておきたい。』
甘ったれた自分を厳しい環境に置きたくて新卒で入った会社は『引越し会社』。初めて現場でダンボールを持ったとき、一つづづ運んだら先輩から「2個づつ持てよ!!」って怒鳴られた。マジかよ、と思いながらその先輩を見ると先輩は3個づつダンボールを持ってて顔が見えなくなってた…
現場では朝から晩まで汗だくになって怒鳴られまくった。
同期の新卒は2週間で3分の1が辞めていった。初めはゴミのように扱われたけど仕事を覚えるにつれて人間らしい扱いをしてもらえるようになった。
このときに“有言不実行”は嫌われる。“不言実行”は信頼してもらえるんだってことがよくわかった。
仕事は黙って早く終わらせることがデキル証拠だ。作業のスピードを速くするにはなんでも効率良くしなくちゃいけない。そんなことを思った。
男ばっかりの超タテ社会で1年みっちり働いた僕はダンボールを1個しか持たない後輩を怒鳴りつけるようになっていたし仕事もずいぶん速くなった。
身体だってやたら筋肉がついてアスリートみたいになってた。
初めは毎日辛くて1ヶ月続けれるか悩んでいた仕事でけどこの頃にはすっかり仕事が楽しくなっていた。
石の上にも3年。嫌でも3年は続けようと思っていた会社だったけど仕事が楽しくなってきたら急に自分がそこに居る意味がなくなってしまった。
『3年続けようと思えば簡単に続けられそうだ。だけど3年もここに居て何になる??』
自分がやりたいのは引越しじゃなくて福祉(ふっくしとは読まないで)だろうが。
そんな風に考えたらすぐに会社を辞めた。3月の引越し屋にはクソ忙しい繁忙期にも関わらず退職して金沢に帰ってきて4月からはいよいよ介護士として働きだした。
自分には続けられないと思っていた仕事だったけどその仕事がいつの間にか楽しくなった。“なせば成る”ってことがわかった社会人1年目だった。
介護の現場は驚きの連続だった。
それは所属した部署が重度の認知症専門病棟だったということもある。初出勤の日、主任に連れられてエレベーターでフロアへ向かう。目的のフロアに着いてエレベーターのドアが開くと一人のジイさんが迎えてくれた。というかドアの前に立っていた。
『おはようございます、今日からこ
「ぅおおおーーーい!!!ヤマダー!!出てこーい!」
僕はジイさんに挨拶をしたんだけどそのジイさんは僕を無視してヤマダさんを探していたんだ。廊下の床に向かって。
こないだテレビで芸人が床に向かって『ブラジルの人、聴こえますかー!?』って叫んでたけどちょうどそんな感じでジイさんは床を叩きながら大きな声でヤマダさんを探しててなんだか笑っていいのか真面目に対応しなきゃいけないのかけっこう真剣に考えたのを覚えてる。
病棟には40人の方が入所されていてそれぞれ認知症を患って在宅での生活が困難になった人ばかりだ。
一日中廊下を徘徊してる人、床に落ちてるホコリを必死に集めてそれを口に運んでいる人、壁に向かってづっと笑顔で語りかけている人、いろんな人がいる。ズボンの中に手を入れてる人がズボンから手を出すとその手にはびっちりウンコが着いていてその人はそれを丁寧に机に塗っていた。まるでデコレーションケーキをつくるみたいに…
働いてしばらくは毎日驚くことばかりで働いている人はみんな『仕事はキツい』とか『辞めていく人が多い』とか言ってたが引越し屋のそれに比べたらキツいと思うようなことはまったくなかった。
認知症病棟は出口に鍵がかかっていて入居者は自分の意思で外に出ることができないところだった。
その言い訳は入所者が一人で外に出たら迷子になるし事故に遭ったら大変だという理由だ。入所者は一年のほとんどを同じ空間で同じ人たちと過ごす、毎日同じ理由で同じ人と喧嘩し同じ人と同じ話題で話をする。笑うポイントもほとんど変わらない。ルーチン化された毎日。いつもと少しだけ違うのは毎日の献立と確実に衰えていく能力。それと新しいトラブル。
紙オムツをちぎって食べているジイさんを慌てて制止する、隣をみるとテーブルにウンコを塗るバアさん。その片付けをしている間に車椅子から立ち上がって転んでいるバアさん、その横には床に向かってヤマダさんを探すジイさん。転んでるバアさんに向かって大声を出すからまた喧嘩になる。対応に追われる。
スタッフの人数が足りなくて入所者一人ひとりと関わる時間は自然と少なくなる、自分達の仕事は効率化のためにルーチン化されていく。
業務的にしか関わらずそこには人間同士の関わりが希薄になる、次第に認知症高齢者を介護しようとすることからずれて、認知症高齢者をうまくコントロールしようとしている介護士としての自分がいた。
極端に閉鎖的な空間でおこる非日常的な日常。
“入所者の安全を守る”という大義名分を掲げても当時の僕にはそこが本当の意味での『おばすてやま』に見えてしかたなかった。
介護を始めて1年目の俺はいかに効率良く業務をこなすか、誰よりも早く業務を終わらせることができることが仕事のデキル男だと思っていた。引越しも介護も仕事は一緒。早くやれば他のスタッフに認めてもらえる。今考えれば早く終わって喜ぶのは風俗嬢くらいなんだろうけど当時は真剣に仕事の速さばかり考えてた。
そんなときにあの“出来事”があった。
介護を始めて10ヶ月くらい経った頃だ。
その日は夜勤だった。仕事に慣れ、その日も変わらず効率良くルーチンワークをこなしていた。
が、思い通りに行かない。
あるジイさんが夕食を食べなかった、その人は数日前から調子が悪く食事を食べる量も少なかった。何回か食べるように促してみるが一口も食べようとしない。困ったな。食事介助にあまり時間をかけてるヒマもない。
俺がスプーンを持って少し強引にスプーンに乗せた食べ物をジイさんの口に入れようとするとジイさんは怒ってしまった。
『いらんって言ってるやろ!!あっち行け!!』
そう言ってジイさんは食事の乗っているトレイをひっくり返してしまった。
うまくルーチンワークをこなせないイライラとジイさんの乱暴な態度にこっちも怒ってしまった。
『なんてことするん!?ほんならもうご飯あげんから!!食べたくないなら食べんとけばいいよ!!!』
それがジイさんとの最後の会話になるなんて…
そのジイさんには『んふ、んふ、んふ』と声を出しながら鼻息を荒くする癖があった。
夜勤では1時間に1度ほど各部屋を見回る。ジイさんの部屋からはときどき『んふ、んふ、んふ』とジイさんの鼻息が聞こえてきたから直接顔を見に行くことはしなかった。
オムツ交換の為に部屋を訪れたときだ。ジイさんは寝ているようだったから起こさないようにそっとオムツを替える。男性の場合は陰茎に巻いてある尿取りパットを交換するだけなので比較的すぐに終わる。
交換を終えてジイさんの顔を見ると薄っすら目が開いていた。
黒目が目の上の方でピクピク動いてた。明らかにおかしい。手首を触って脈をみる。弱い。呼吸は、かろうじてしているようだが普通ではないことがわかった。すぐに看護師を呼ぶ、その看護師はジイさんを見るなり他のスタッフにも応援を求めジイさんの心臓マッサージを始めた。
二人の看護師が走ってきて慌ただしく動いている。
俺は何もできないでその場に立ち尽くしていると看護師にアンビューバックを渡されジイさんの口に空気を送るように支持された、心臓マッサージを続ける看護師の指示を仰ぎながら自分が送る空気でジイさんの胸が膨らむのを見ていると何が起こっているのか理解できなかった。
しばらくして看護師が心臓マッサージを止めたのでジイさんは助かったんだと思った。血圧を測るよう指示されて測ろうとしたが何度やってもうまくいかない。脈もない、ジイさんはもう呼吸をしていない。
再び心臓マッサージが始まる。アンビューバックで空気を送るとジイさんの胸は空気が入って膨らむし呼吸しているように見える。
訳がわからなかった。
じいさん死んだのか??
さっきしゃべってたじゃないか!?
喧嘩したまま死ぬなんてそんなのアリかよ…
そのあと主治医がきて『大動脈瘤破裂』っていう死亡診断書を書いていった。
ヒトってこんなにあっさり死んじゃうんだとわかった。
そのあとは後悔しかなかった。どうして怒ってしまったんだろう、どうして作業の効率ばかり考えてしまったんだろう、どうして、どうして…
死んでしまうとき苦しむのは入所者だけどそのあとに苦しんだのは自分だった。
それから自分の介護についてすごく考えるようになった。皮肉だけどジイさんが死んでなかったらたぶん気が付いてなかっただろう。作業の早さなんかどうでもいい。
それまでの自分の考えを全部否定した。
自分が後悔しないように、もう2度と同じことはしたくない。誰もがいつ死んでしまうかわからないから常にベストを尽くしたい。入所者との関わりでイライラしてしまうことがあっても『これが最後かもしれない…』と思うと不思議とイライラは消えていった。
作業することをやめて介護をするようになった。
介護は管理することではなくてその人の福祉(幸福)のために行うものだ。自然とコントロールしようとすることはなくなった。『人権』というものをすごく意識するようになった。介護についての勉強もよくするようになった。介護について知れば知るほどわからないことも多くなる。薬のことや病気のことで苦しんでるバアさんに俺は『辛いんやね…』としか言ってあげられない。
病気の名前を聞いてもそれについてどんな介護をしたら良いのかわからない。
それがもどかしくてしょうがない。
看護師になれば少しは病気の苦しみとかそれに対する介護(看護)がわかるかな、少なくとも今よりは良いな。看護師になりたい。思ったらもう我慢できなくなるんだよな、いつも。
このあとにもさまざまな場面で『看護師になりたい』って思うことがあったんだけど一番はやはりこの出来事。
このときの教訓っていうかあのジイさんが俺に教えてくれたことは准看護師になった今でも自分の中で一番大切にしていることで忘れちゃいけないことだと思ってる。常に自分のできるベストを尽くしてあとで自分が後悔しないような行動をとる。
久しぶりにかなり長い日記になった。
こうして振り返ってみると27歳で学生(30歳まで学生の予定)やってる僕の選択してきたこと、経験してきたことってどれも無駄なことだと思えなくてどれも意味深いもの思えてくる。
すっかりナラティブできました。
ナラティブで彼女ができない理由を考えたら意味深いものになるかもしれない。(←ならないね)
おわり。