2000年から最高峰クラスで活躍を続けるバレンティーノ・ロッシ。過去を振り返ってみて最もチャンピオンを「獲りやすかった」年を考えて見ます。勝手な順序付けですが、
①2002年☆ ライバル不在・500ccと混走
②2003年☆ ライバル不在
③2006年 ライバル不在
④2005年☆ ライバル不在
⑤2001年☆ 500cc2年目
⑥2008年☆ 新世代躍進・ワンメイクタイヤ
⑦2007年 800cc・ドカティ&ブリヂストン&ストーナー
⑧2004年☆ ヤマハ移籍1年目
⑨2000年 500cc1年目
☆がチャンピオン獲得年です。ほんと勝手な事書きますが。で、2006年です。2005年が終わった時点で最高峰クラス6連覇にリーチ。いや6連覇どころかアゴスチーニの7連覇超えを想像していたファンも少なくなかったと思います。実際この時点でもロッシを脅かすライバルは見当たらず、結果を振り返ってみても年間最多勝はロッシとなっています。ではチャンピオンを獲れなかった理由とは。
ずばり!カピロッシと書かせてもらいます。
序盤戦でのエリアスとの接触など不運もありましたが、実際は不運だけでは無く単独の転倒もありました。また、ライバル不在とは書きましたが、この年のカピロッシは序盤から好調、途中ハードクラッシュをするまではポイントリーダーでもあったぐらいでした。この年のロッシのコメントはエリアスなどの若手に対しては厳しい態度であったのに対して、カピロッシには敬意を表するようであったり、レースを楽しんでいるような緩いコメントが目立ちました。ロッシは王者であることを自覚した上でそのうような振る舞いをしたのだとは思うのですが、現実的にはそんな余裕をかましている状況では無く、マシン的にもタイヤ的にもライバル的にも徐々に差が縮まりつつあった時期だったのです。
相手になるとすればカピロッシぐらいしかいない。そのカピロッシもクラッシュで離脱。どこかに油断があったのでは無いでしょうか?
振り返ってみると2006年はドラマティックなシーズンでした。残り2戦の時点で
・ヘイデン236ポイント
・ロッシ224ポイント
全レース着実にポイントを積み重ねリーダーに立ったヘイデン。最後の最後、じわじわとポイントを詰めてくる王者ロッシ。残り2戦でロッシに自力優勝はありません。しかしながら第16戦ポルトガルGP。ヘイデン→ペドロサと連なって上位を疾走する2台のレプソルホンダ。信じられない光景が・・・。コーナー入り口ヘイデンのインに無理やり突っ込むペドロサが転倒、当然OUT側のヘイデンも。今まで観たGPの転倒でこれほど悲しい転倒シーンは1998年250ccの原田&カピロッシぐらいです。
ドラマであればこれで終わりでしょう。しかしながら現実というのはやはり筋書きが分からないものです。このレースを制したのはロッシでは無くエリアスでした。エリアス凄い走りでした。それは間違いないのですが、実際本気の本気を出せばロッシはねじ伏せていたようにも思います。ただヘイデンの状況、これまでの2006年の自分を振り返った時にリスクを考えたと思うんです。それにしてもエリアス凄かった。空気嫁、と思った人も多かったと思うんですが(実際自分もロッシに勝って欲しかったですが)。マシンメーカーもタイヤメーカーも国籍も違います。遠慮など必要ありませんでした。2位となりロッシが取りこぼしたのは(取れなかったのは)5ポイントでした。
最終戦前
・ロッシ244ポイント
・ヘイデン236ポイント
ロッシ6連覇の条件はヘイデンの前を走るだけです。後ろを走っても順位によってはポイントを守れます。逆にヘイデンの自力優勝は消滅しています。結果は・・・。ロッシが転倒で万事休すとなりました。転倒後走り続けたロッシは3ポイントを獲得しましたが、チャンピオンシップまではシーズン合計ポイントで「5ポイント」足りなかったのです。
あの時ペドロサが突っ込まなければ・・・
あの時ロッシがエリアスをねじ伏せていたら・・・
あの時ロッシが転倒しなければ・・・
いろんなたらればが思い浮かびますがおそらく結果は変わらなかったでしょう。2006年、ヘイデンは自分の力でチャンピオンを掴み取りました。2006年、ロッシは何かが足りなかったのです。
今回のインディアナポリスでロッシは転倒しました。転倒するには理由があるのです。城ワイン的な見方ではありますが今回の転倒は前向きに捉えています。ロッシはロレンソを追って転倒しています。追わなければいけない
相手だったんです。すでにここまでロッシはロレンソに対して定位置確保など狙っていません。ロレンソもです。戦うべき相手に対して自分の力を見せ付け続ける。両者とも力の勝負を望んでいるのです。最終的に2009年は凄まじいポイント争いとなる予感がしますし、そうあって欲しい!あとから振り返って2009年のたらればを語るときに、全ての転倒はお互い、前へ出る為のチャレンジだったと、そう思える気がします。