長い外/外移動が終わって、2003年に23年振りに上海から帰任した「上海帰りのロド」だったが、3年の係留の後の次の(最後の)赴任地はシンガポールだった。
2006年4月、着任。
1980-83年に勤務したインドネシア・アチェ特別州とマラッカ海峡を挟むマレー半島の最南端にある小さい島(淡路島程度)だが、世界的にもユニークな近代的都市国家だ。
アチェ当時は、日本への出張・休暇時には、ほとんどここを経由していたので、初赴任だが馴染み深い街だ。
世界でも有数の巨大なチャンギ国際空港(国内空港は無い)とダウンタウンの行き来にはこの「マリナベイエリア」を通るのでいつも「マーライオン像」(シンガポール河口の右岸)が出迎えてくれるのだ。
この高速道路の一帯(Marina Bay)は、大型カジノで様変わりしているようだが「マーライオン像」だけは変わっていないはずだ。
さてシンガポールでの住まいだが、幾つか見た中で気に入ったのがここ。
床までガラス窓の高層ビル21階は怖かったのだが、緑も多く、「オーチャード通り」までも徒歩圏内だし、下には屋台村(ホーカーセンター)、バス通りの向かいにはショッピングセンターがあるのが理由。
(アパートから見たダウンタウンの日の出)
部屋に入って最初に驚いたのが、居間のの隅のあるのでワードローブかと思った「シェルター」。金庫のような鉄のドアの中は1畳程度。有事を想定している国家危機管理能力に平和ボケ「ジャパニーズビジネスマン」は驚愕!
(夕方のダウンタウン風景)
上の写真の右上奥の事務所までは、日本では喜んでの徒歩圏内(約40分)の通勤距離だったが、何しろ赤道直下の常夏の島、通勤は専らバスだった。(今では地下鉄も近くまで延長されてるのだろうな)
このエリアは通称「リバーバレー」で、河沿いには住宅、商店も多い。香港でもよく見た物干し竿が懐かしい。
シンガポール河沿いの道は絶好の散歩道だった。河口のマーライオン像までは往復1時間半(7km)程度。
当然なのだが、シンガポールでは太陽光パネルはほぼ真上を向いていたのには驚いた。
戦前からの倉庫と思われる建物も。
夜はこの辺りはバーが多いので、散歩は夜が多かった?
それにしても、なんとも派手な橋だこと。
シンガポールは、素晴らしい街(Fine City)であるが、よく罰金(Fine)の街と皮肉られる。
他には、ガム、喫煙、唾吐き、ゴミポイ捨て、花摘み、鳥への餌やり、水道栓閉め忘れ、水栓流し忘れ、立小便、電車内飲食、ドリアン、私有地内での蚊の発生、ナドナド。
罰金の殆どが1,000シンガポールドル(約8万円)
高すぎる、NOT FINEだよ。
確か、男性の長髪も禁止だったと思う。
そのため、オカリナ、シンセサイザーで有名な「喜多郎」は空港到着後引き返して公演がキャンセルされたという話も。
とにかく規制が多い一党独裁、世襲国家(リー親子)なので、「明るい北朝鮮」とも揶揄されていたな。
ダウンタウンの一部に残された公園(Fort Canning Park)などでは英国領時代の名残を見ることが出来る。
(今では海は見えない砲台)
(標識灯)
(信号旗)
(Hotel Fort Canning)
都心のビルに埋れたこの公園はまるでジャングルのよう。
贅沢で貴重な緑のオアシスだ。
やや下った河口に近いBoat Quayにある「UOBビル」からの眺め。
ダウンタウンに多く残っている商家の屋根の瓦がいい感じ。
オアシスといえば
この国は、1965年にマレーシアから独立した若干55歳の若い国だが、元々は英国領だったので、独立したとは言え、英連邦に属しており、その伝統は守られていると言っていい。
英国のメンバーシップの伝統を重んじる立派な4コースからなる1891年設立のゴルフ場「Singapore Island Counry Club(SICC)」はアジア屈指と言われる名門コースだ。
生きた恐竜と言われる「コモドオオトカゲ」も代々メンバーだと思うが、これは「コドモ」だろうな。(アチェでは2mのコモドオオトカゲを見たことがる)
北朝鮮とも国交もあるシンガポールは、地理的、外交的にもニュートラル。
ちょうど2年前の2018年6月12日には史上初の米朝会談がシンガポールのセントサ島で行われ、その後の米中関係改善に大きく寄与するに違いないと期待されたが、「トランプ占いに過ぎなかった」と言われないようにしてほしいものだ。
今、ジョーカーは中国が握っている!
以上で、緊急事態宣言解除と同時に「在宅思い出描撮」シリーズも、7カ国全てをカバーして無事終了。
<おまけ>
シンガポールで描いたスケッチ
<おまけのおまけ>
シンガポールから高速艇で行けるインドネシア領ビンタン島は、ゴルフ場もあるシンガポーリアンの手近なリゾート。