在宅思い出描撮(1997年:中国・上海) | ロドさんの繪ブログ「一期一繪」

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団塊の世代のラストランナー。想い出深い海外駐在当時も振り返りながら「日本再発見」ということで国内あちこちのスケッチを織り交ぜて気ままに、「人生はFESTINA LENTE(ゆっくり急ごう)」

 

米国の次の駐在地は、中国だ。

 

(中国4千年の歴史故?、今日は少し長いかもしれませんがご容赦下さい)

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香港の中国返還合意が署名された1984年に香港に駐在、そして、奇しくも1997年7月の香港返還の翌月、米国(LA )から太平洋を一っ飛びして、既に英国領ではなく中国の特別行政区となった香港を経由して上海に移動した。

 

香港時代にゴルフで数十回と行った広東省(シンセン、珠海)だけだった中国大陸(Red China)。今度は、中国全土を相手にビジネスとして駐在するのだから、期待と不安で気が引き締まる。

 

飛行機

 

香港から2時間余りで、CX機は揚子江デルタに広がる田圃の上を覆うスモッグの中、古い虹橋国際機場に到着した。

 

前任者と同僚の出迎えを受けて、借上社宅で荷物を解く。

 

ロサンジェルスやアリゾナとは全く違う風景だ。

 

(虹橋のマンションからの夕陽)

 

今と違って、1997年当時は、まだ中国は「発展途上国」を自負?していたが、20年ほど前からの「改革開放政策」で上海中心部は、香港、シンガポール等の華僑資本による開発ラッシュが始まった頃だったと思う。

 

(浦東地区の民家解体と高層住宅建設)

 

中心部では、昔ながらの古い住宅の中にまるで筍のよう新しい高層オフィスビルやショッピングセンターが伸びて来ていた。

 

(お客様の事務所から南京西路)

 

折しも、2001年の上海APECを控え、上海市内は高架式高速道路の建設真っ最中。主要道路脇の古い建物は大看板が急遽全部目隠しされたものだ。

 

とは言え、特に、開発を免れた歴史的建造物の多い外灘周辺から旧租界エリアにはレトロな建物が残されていて、なかなか良い感じで、日本や欧米の駐在員も好んだエリアだったと思う。

 

(蘇州河から浦東方向)

(左端が「上海大廈」)

 

(1921年中国共産党設立会議が行われた建物)

 

(プラタナスの街路樹が美しい典型的な租界エリア)

 

(里弄<リーロン>と呼ばれる古い住宅区)

 

芸術的なものは少ないようだったが、さすが中国、雑技団のアクロバットはお見事。

 

(上海雑技団)

 

丁度、2000年1月1日のミレミアムも上海だった。

外灘での記念花火は数百万人?の人出。

それにしても、中国は花火が好きなようだ。

 

 

上海近郊には歴史ある町が多いが、一番通ったのは水の都「蘇州」

 

皇帝が花見に利用したと言われた北京と杭州を結ぶ「京杭運河」沿いにある美しい町だ。世界遺産の庭園で有名。

 

 

もちろん北京にも何度も出張した。

香港にいた頃10年前(1989年)の悲劇の舞台の天安門広場は何も無かったかのよう。まあ、厳しい規制もあるが。

 

 

北京からほど近い(万里の)「長城」は、ユネスコの「世界遺産」、そして新・世界の七不思議だそうだ。

 

四季それぞれに趣があるが、冬はモンゴルからの風で滅茶苦茶寒い!

 

「万里の長城」(八達嶺)

 

揚子江を上って「三峡ダム」も視察したが、とにかくデカイ!

 

あの「武漢」から少し上流にあるが、この辺りでも揚子江の河幅は1.5km以上。

 

世界最大の重力型水力発電ダム。

 

これで「ダムカレー」を作るとどうなるんだむ?

 

(三峡ダム本体部分)

 

10,000トンの船が、600km上流の重慶まで行けるように、巨大な閘門と船舶用エレベーターがあるのには驚いた。

 

(三峡ダム閘門)

 

 

 

駐在中に訪れた主な都市は、北京、天津、大連、重慶、成都、武漢、広州、福州、義烏、杭州、蘇州、無錫、香港かな。

 

とにかく中国は広過ぎた。

 

上海は、2003年4月に帰任の予定だったが、あの「SARS」のおかげで、半年後の2003年9月、23年振りの東京本社勤務となったのだが、、、、。

 

再見

 

 

 

<オマケ>

 

中国のスケッチ一挙大公開!(年代順)