ポツダム宣言 条約シリーズ(第一弾) | 国際法と国際政治から読み解く現在

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アメリカ在住。国際法が専門分野。話題の政治ニュースを分かりやすく解説。国際政治、憲法、哲学、地域、国際関係学幅広く対応。

この度、条約シリーズを設けることにしました。

主に1.日本は戦後に成立させたもの、

      2.現在も国際政治、外交問題の論点となっているもの

をピックアップしていきます。

 

第一弾は、ポツダム宣言です。


ポツダム宣言は、米・英・中の3カ国が日本に占領方針を示し、無条件降伏を迫ったものです。

ポツダム宣言条文はこちら

 

ポツダム宣言の内容 (全13項目)

・軍国主義勢力の排除

・連合国による日本占領

・カイロ宣言の履行

・日本の主権を本州・北海道・九州・四国および連合国が決める諸小島に制限すること

・軍隊の武装解除

・戦争犯罪人の処罰

・民主主義・基本的人権の確保

 

ポツダム宣言と原爆
1945年7月26日に出されたポツダム宣言に対して、28日に鈴木貫太郎首相は記者会見で、「我が国政府は、この宣言を何ら価値のあるものだとは認めない。したがって、ただ黙殺するのみである」と返答しました。この声明をもってアメリカはこれをignoreと翻訳し、日本に降伏する意思がないものと判断し、その結果として原爆投下が決定されたという通説があります。

 

日本側が黙殺した理由には、日ソ中立条約を結んでいたソベエトを挟んで戦後の交渉を行いたいという思惑がありました。

当時の、東郷茂徳外務大臣は「連合国の宣言に日本は回答せず、ただ和平の仲介を交渉中のソ連の意図を確かめる必要がある」と指摘し、日本に降伏する心積もりがあったことが裏付けられます。

 

実際のところ、日本の当時の判断に関わらず、アメリカ軍は早々と原爆投下に着手し何らかの形で核兵器の初の使用を成し遂げようとしていたことが後に明らかになっています。

日本への原爆の投下は核兵器実験へのモメンタムになり、ソ連など、アメリカの外交戦略的な意味を持っていました。

 

上記の説は、「アメリカが日本に原爆をおとしたから戦争が終わった」という説とはことなり、少数派によるものでしたが、最近ではアメリカ人の間でもだんだん広がってきています。

 

領土について問題

 

ポツダム宣言の8条には、

「カイロ」宣言ノ条項ハ履行セラルヘク又日本国ノ主権ハ本州、北海道、九州及四国並ニ吾等ノ決定スル諸小島ニ局限セラルヘシ

 

カイロ宣言の条項は履行さるべきものとし、日本の主権は本州、北海道、九州、四国及びわれわれの決定する周辺小諸島に限定するものとするとしています。

 

カイロ宣言とは、第二次世界大戦中の1943年に開かれたカイロ会談を経て示された宣言で、連合国の対日方針などが定められており当時の日本は

 

カイロ宣言(領土に関する部分)

第一次世界戦争ノ開始以後ニ於テ日本国カ奪取シ又ハ占領シタル太平洋ニ於ケル一切ノ島嶼ヲ剥奪スルコト並ニ満洲、台湾及澎湖島ノ如キ日本国カ清国人ヨリ盗取シタル一切ノ地域ヲ中華民国ニ返還スルコトニ在リ

「同盟国の目的は、1914年の第一次世界戦争の開始以後に日本国が奪取し又は占領した太平洋におけるすべての島を日本国からはく奪すること、並びに満洲、台湾及び澎湖島のような日本国が清国人から盗取したすべての地域を中華民国に返還することにある」とする内容です。

 

日本国は1931年の満州事変以降の領土が不当に他国から盗んだものであり(侵略)、それ以前はリーガル(国際法上)に手に入れてきたものだと認識していたが、カイロ宣言では第一次世界大戦以降から確保してきた領土がすべてイリーガルに占領したものだとされました。

 

また、当時は尖閣諸島の議論はまったくなされていませんでした。尖閣諸島の重要性は、両国は(特に中国)気づいていなかったといえます。