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インテルメッツォ日記〜その後

京王線仙川にあった小さなオーセンティックバーの元マスターが振り返るちょっと粋な日々

バーだから独りで来られる見知らぬお客さま同士が共通の話題で意気投合することがよくある。

昨夜もipodなどのコンピュータオーディオの音質についてお客さま同士が話をしていた。
そのうちヘッドホンで音が変わるよという話になり、「私、家が近いのでちょっともってきますよ」と片方の男性が言い、10分後オーストリア製のAKGというえらくごついヘッドホンを自宅から持ってきた(地元のバーっぽいでしょ)。
私ももう一人のお客さまもヘッドホンで音が変わると言ってもたかが知れていると思っていました。実際私が家で映画を観る時に使っている日本製の高スペックなヘッドホンもどこかヘッドホン特有の平面的なわざとらしさが残りますし。
お客さまがそのごついヘッドホンを装着し、iPhoneの中に入っているラフマニノフのピアノコンチェルト(なぜかこの方、この曲が大好きでこればかり聴いている)を流した途端、表情が変わったのを私は見逃しませんでした。その後、私も貸してもらいましたが、違いは明らかでした。ヘッドホンをしているはずなのにそこにはあたかもひとつの空間が存在しているかのような空気感があったのです。それはクラシックの専用ホールの正面S席にすわった時の空気。なにがどう違うというのか。カタログ上のスペックだけなら私の持っているヘッドホンの方が遥かにいいはずでしたが、出てくる音は歴然と違います。

「結局、人の手、最後は職人技なんですよ。これ、説明しろって言われてもできないでしょ」
「・・・確かに」
無数の因子の組み合わせを感性で積み上げていく作業はまさに職人のセンス。そういえばウィスキーのブレンドの技術もそうだなと思いました。
音楽の都ウィーンのヘッドホンはクラシック音楽を知り尽くした人の手が確かに介在していました。




インテルメッツォの尾形です。エリーちゃんはついに玉山の頭にチューですか・・・(-_-)zzz。
さて今週の「マッサン」は「内助の功」というタイトルなので、いとしのエリーちゃん(リタ夫人)のことについてお話します。

それにしても今週のマッサンは大変でしたね。ついに株主に反対されウィスキーを造れなくなってしまいました。
実際、竹鶴(マッサン)も摂津酒造(住吉酒造)でウィスキーを造れなくなって会社を辞めました。その理由はワインの爆発の影響ではなく、1921年から23年の大不況によ...り摂津酒造が経営危機に陥ったからです。不況は第一次大戦の軍需好景気の反動によるものです。※マッサンはこの景気のいい時代に留学させてもらいました。他社は次々と倒産、摂津酒造もウィスキーを造るどころではなくなりました。
この危機的状況でウィスキー造りに反対したのは一部の株主ではなく社内の全ての重役でした。阿部社長(田中社長=西川きよし)だけは、役員会で全重役を前に「竹鶴になんとかやらせてみたい」と理解を求めるのですが、結局「社長は竹鶴に甘すぎる」の一言で却下、高給をもらっていた竹鶴は摂津酒造を後にすることになります。それが1922年(大正11年)のことです。
竹鶴は最後の最後まで自分の夢の後押しをしてくれた阿部社長のことを生涯「一番の恩人」と考えていました。後にニッカを創業し、最初にウィスキーの原酒が出来上がった時も摂津酒造に「もしウイスキーをお造りになるのでしたらこの原酒を使ってください」と持ち掛けています(実現はしませんでしたが)。
ところで、西川きよし(田中社長)は最後に「娘の優子と結婚させるつもりで・・・」などと未練たらたら言っておりましたが、実際の阿部社長は竹鶴が帰国する前に自身もスコットランドに渡り、リタと竹鶴の結婚にお墨付きを与えた人物。ドラマでは日本的でウェットな部分が幾分強調されています。

さてウィスキーを造れなくなったマッサンは憔悴します。でも竹鶴は後に自著「ウィスキーと私」でこうも振り返っています。「私のただひとつの救いは、日本に来たばかりで西も東もわからない妻のリタが、そのことを知っても悲しまず、相変わらず明るいことであった」と。
竹鶴はリタがいたから後のさまざまな困難も克服できたのです。

竹鶴リタは1896年スコットランドに生まれました。長身で美人、亡き父親は田舎の町医者で当時としては大変な豪邸に住んでいたお嬢さまでした(家はその後町の市庁舎になりました)。竹鶴も造り酒屋の三男で相当裕福に育っているから通じるところも多かったのだと思います。※2人は生涯経済的に困ることはありませんでした。また父親が「親日家」だった影響で、リタ自身も日本人に対する感情が元々良かったはずです。
竹鶴は最初の留学先のグラスゴー大学のウィリアム教授に最初はスペイン人だと思われました。本人曰くその大きな鷲鼻のおかげのようですが、いずれにせよ竹鶴の顔は東洋人離れした豪快な顔、性格も真っ直ぐで情熱的、一方でロマンチスト。リタでなくても惚れる人はたくさんいたことでしょう。
異国の地でひとり勉強に励む竹鶴を見て最初は「可哀想に思った」とリタは竹鶴に打ち明けますが、その後リタの愛は生涯大きく竹鶴を包みました。
リタの竹鶴に対する愛こそニッカウヰスキーの隠れたエッセンスであることはもはや疑うべくもありません。

来週から1ヶ月くらいドラマは脚本家の創作全開になります(つまり実話ではありません)。まさにインテルメッツォ(音楽用語で「間奏曲」=ちょっと一服)です。次回は「梅ちゃん先生」のことでも書こうかと(^^;)。いやいやウィスキーの話にします(^_^;)。


マッサンとリタ夫人
インテルメッツォの尾形です。マッサン、いよいよ面白くなってきましたね。エリーちゃんも相変わらずかわいいス(玉山はハグやめよう)。
さて今日はドラマに出てくる「太陽ワイン」についてお話します。

「太陽ワイン」は1907年に鴨居(鳥井信治郎)が開発した「赤玉ポートワイン」のことです(今は「サントリー赤玉スィートワイン」という名前で売られています)。鳥井商店は1899年の設立ですが、ポートワイン発売前にも「向獅子印甘味葡萄酒」という葡萄酒を売っていました。
では、「向獅子」とポー...トワインは何が違うかというと、味もさることながら斬新なネーミングや販売手法でした。
その頃の葡萄酒業界では東京の「蜂印香鼠葡萄酒」が圧倒的な売れ行きを示していました。向獅子印といい蜂印といいどれも勇ましい名前が当たり前の中にあって「赤玉ポートワイン」とはいかに斬新で洒落た名前だったことか。ドラマの中で鴨居はエリーちゃんに香水の瓶を前に「この中でどっちが好きや」と訊くシーンがありますが、鳥井は最新の流行やデザインにとても敏感でした。ラベルの大きな赤玉もスペインワインのラベルの小さな赤玉を参考に、日の丸、太陽と葡萄酒の赤を大胆にデザインしたもので、当時は画期的なものでした。大胆かつ繊細、鳥井は経営者として卓越したセンスを持っていました。
「向獅子」は主に中国人に売られていましたが、新商品は日本人向けとして全国的に売っていきたいという鳥井の野望がありました。だから宣伝を積極的にやる必要がありました。発売時に新聞広告を出したのも当時としては画期的、後に「滋養になる一番よき天然甘味薬用葡萄酒!!赤玉ポートワイン」と謳い、医者の有効証明を付けて宣伝したりもしました。今では考えられませんけどね。
そして極めつけがドラマにも出てきた日本初のヌードポスターです。
時代は大正、ヌードポスターなど考えられない時代の中にあってこの芸術性!これはドイツで開かれた「世界ポスター展」で1等になった伝説の企業広告なのです。その後各社が真似たけれども、どれも風俗取締法に引っかかってしまいました。このポスターは考えに考え抜かれた渾身の一枚なのです。
鳥井自身に天才的な写真や芸術のセンスがあったわけではありません。鳥井は広告の力をよく理解していたし、時代の先も見えていました。だから片岡敏郎という有能な人財(宣伝マン)を森永製菓から引き抜いた。西川きよしが「あの大将はな、これぞという人財をどんどん引き抜く。有名な話や」と言っていましたね。
鳥井はずば抜けた突進力をもった経営者だったのです。
さて、そんな鴨居(鳥井)を前にマッサンはこれからどうするのでしょうか(続きはCMの後で!ってこれNHKでしたね(^_^;)。


赤玉ポートワイン ポスター 赤玉ポートワイン


インテルメッツォの尾形です。マッサンやっぱり面白いですね(月並みですがエリー、かわいいですね。玉山はハグばっかりして、羨ましぃ・・・)
さてドラマはこれからマッサンと鴨居欣次郎の話に移っていきそうですので、ちょっとマッサンと鴨居の話をしたいと思います(^^♪。ポットスチルの話はドラマでまた登場するので後回しにします(^o^)。

堤真一演ずる鴨居欣次郎はサントリーの創業者鳥井信治郎です。
今でこそサントリーは洗練された大企業ですが、創業者鳥井信治郎は丁稚からのし上がったベタ...ベタの大阪商人でした。ドラマの中でも「鴨居の大将」と呼ばれていますが、鳥井もどんなに会社が大きくなっても「わてを絶対に社長と呼んだらあきまへん、大将と呼んでくなはれ。」と社員に厳命していたといいます。社長とは三井とか三菱の社長のことを言うのであって、寿屋(サントリー)は大将でいいのだということのようです。※マッサンはニッカ創業期に「専務」とよばれていました。
鳥井は怒りっぽく、豪快、豪傑、儲けに執着する典型的な大阪商人である反面、人情派で世話好きでもありました。愛国主義者だったので軍を援助したり、学者や学校、学生を援助したりもしていました。何度も危ない橋を渡る海千山千の真の経営者であり、生涯ウィスキー職人を貫き通した竹鶴(マッサン)とはそこが大きく違うところでしょうか。
私生活でもマッサンとは対照的だったようです。女性関係は豪傑で常に10人は外に女性がいたそうです(外泊はせず、素人には手を出さない妙に律儀な一面もありました)。ドラマの中で「金魚占い」が登場していますが、あれも半ば本当の話で、社員の採用も一時は四柱推命(中国の占い)で採用していました。運のないヤツはダメということのようです(まぁそうかも知れませんけど)。家には仏壇の隣に祭壇があり、その隣に神棚がある。お経をあげ、柏手を打ち、またお経をあげるという感じ。戦中の山崎蒸留所でもしめ縄を張りお経や祝詞をジャンジャンあげたそうです。鳥井は盛大で派手なのを好んだので日蓮宗が好きだったようですが、キリスト教以外は何でも受け入れていたようです。こういうところもリタだけを生涯愛し、後にリタと同じ英国聖公会に入信したマッサンとは真逆です。
でも、マッサンは知らず知らずのうちに鳥井の影響を受けています。
経営者の鳥井には今も未来も見えていたからです。後々経営的にニッカはサントリーの後塵を拝します。鳥井は経営者としての才覚が2枚も3枚も上だったんですね。単純なマッサンはそんな鳥井に反発したり羨ましく思ったりしていたことでしょう。

鳥井も竹鶴(マッサン)もそれぞれに大変魅力的な人間だったということは間違いありません。皆さんはどう感じますか? ※マッサンの詳しい人物像はニッカが操業してからにします。ちなみに写真左が竹鶴(マッサン)で右が鳥井(大将)です。

次回はドラマに出てくる「太陽ワイン」についてご紹介します。
 



竹鶴正孝 鳥井信治郎
皆さまこんばんは。インテルメッツォの尾形です。今宵は先ほどから気合を入れて長々と書いていた「ポットスチルの話」を不手際で消去してしまったため、ブレンデットスコッチの人気の銘柄だけをさらりとご紹介します。ポットスチルの話は(今書くとポットのように血圧上りまくるので)次回アップすることにします(^o^)。

さて、前回はブレンデットスコッチが爆発的に流行した当時の新進気鋭のブランドをご紹介しました。では今世界で売れている銘柄は何でしょうか?
まず本場スコットランドでの売上№1は当...店でもウィスキーカクテルのベースとして大活躍の「ザ・フェイマスグラウス」です。コストパフォーマンスに優れ、スコットランドでは30年以上不動の人気を誇る大定番です。グラウスとはスコットランドの国鳥である雷鳥のこと。バーではひとこと(小声で)「雷鳥・・・」と言っても通じますよ(^_-)。イングランドの№1は「ベル」。この銘柄は特殊な売れ方をしていて、ベルはアーサー・ベルという人の名前なのですが、これが後にウェディングベルと重ねられ当地では結婚式に欠かせない祝い酒として定着し、大変な人気銘柄になりました。ベルの形をした陶器のボトルもありますからプレゼントにもいいかも知れません。ヨーロッパ市場全体では「バランタイン」。バランタインは販売量の大部分を「ファイネスト」が占めます。日本でもいたるところで手に入りますし、実際日本での売上№1も「バランタインファイネスト」(2位はシーバス、3位はホワイトホース)です。バランタインはラインアップが数種類ありますが、どれも一貫してシャープなバランらしさを感じられるところが素晴らしい、まさに名品です。
そして全世界での№1は圧倒的に「ジョニー・ウォーカーさん」です。村上春樹の「海辺のカフカ」にも登場するジョニー・ウォーカーさんは赤やら黒やら緑があってちょっとズルい気もしますが、全世界で1秒間に5本以上も飲まれているモンスター。恐るべしです。

竹鶴(マッサン)は晩酌に当時一番売れていた「ハイニッカ」を飲んでいたといいます。名ブレンダ―と呼ばれる人たちも自社の一番売れているウィスキーを日常的に飲むことが多いようです。ウィスキーは人の手が造るもの。時代とともに求められる姿を微調整しながら生き残ってきました。今売れているものにはそれなりの理由があるということを参考に味比べをされてみるのもまた一興ではないでしょうか。


フェイマスグラウス ベル バランタイン ジョニ赤




いよいよマッサンはウィスキー造りの実験に着手しました。
今回は初めて飲むウィスキーを何となくおすすめします。

ところで、ウィスキーってどんなお酒なのでしょう?お酒の定義はその国の法律(酒税法)によるので共通した定義はありませんが、蒸留したアルコールを樽熟成させることがウィスキーの共通した特徴です(※日本では相変わらず樽熟しなくてもよいとはされてますが・・・)。

この木の香りと深い味わいに魅了されるウィスキー好きは世界中にいます。消費量はインド、アメリカ、フランス、日本の順で多...いとされています(いろんな統計があり順序は多少入れ替わります)。

さて、我々が普段口にするウィスキーの多くはスコッチウィスキーが源流です。これはマッサンがスコットランドから持ち込んだウィスキー造りが大きな影響を及ぼしていることは言うまでもありません。

スコットランドの地酒に過ぎなかったウィスキーがここまで世界的な人気になったのは、ブレンドウィスキーの発売が大きく関わります。スコッチ(ウィスキー)にはモルトウィスキーとモルトとグレーンを混ぜたブレンドウィスキーがあります。当時のモルトウィスキーは今のものよりもはるかに個性が強かった。そこで穀類から作られるグレーンウィスキーを混ぜることが考案され、1855年それが爆発的にイギリスで流行したのです。今残っている蒸留所の多くはこの時代のもので、これが我々が飲むウィスキーの源流になっています。
つまりウィスキーが広く庶民に受け入れられたのは「ブレンドウィスキーが美味しかったから」なのです。

だからウィスキーを初めて飲まれる方はブレンドウィスキーから始められるのがよいと思います。そしてどうせ飲むならその当時起業して世界的ブランドになった「最新の流行」のものを飲むのがいいのではないかと思います。それがビックファイブと呼ばれる「ジョニー・ウォーカー」「ホワイトホース」「デュワーズ」「ブキャナンズ」「ヘイグ」といったウィスキー。知っている名前がいくつかありますでしょ?いまでもこれらは1500円程度で購入可能です。※ブキャナンは「ブラック&ホワイト」という名前に変更されています。中でも「デュワーズ」は誰からも好まれる甘美なウィスキーであり、万人受けするのでおすすめですよ。どこでも手に入るし価格も1000円ほどと手頃です。

飲み方はご自由に。ただし、水割り、ハイボールは濃い目にしましょう(1:2~2.5くらい)。
竹鶴はTPOという言葉が好きで、ウィスキーは食後!と決めていました(本場のスコットランドがそうだったから)。でも水割りは食事(特に和食)ととても合います。
決め事を作らず楽しく飲むのもウィスキーを楽しむコツですね。

ではみなさま、さっそくお試しくださいませ♪。
次回はこれ以外の魅力的なブレンデッドのスコッチをすこっちだけご紹介します(というオヤジギャクは聞き飽きましたよね~)。


デュワーズ ジョニ赤 ホワイトホース ブラック&ホワイト


ヘイグ





「マッサン」面白いですね。
この物語は脚色はされているものの、ニッカウヰスキー創業者竹鶴正孝とリタ夫人の物語です。

ドラマでは竹鶴が亀山正春、リタがエリーとなっていますが、リタが竹鶴のことを「マッサン」と呼んでいたのは本当です。

西川きよしが社長役の住吉酒造は、摂津酒造という会社で竹鶴が大阪工業高等学校(大阪大学)を卒業後に就職した会社です。ドラマの通り摂津酒造は明治44年に模造ウィスキーを作り始め、寿屋(現サントリー)の大ヒット商品「赤玉ポートワイン」などの生産を請け負ってい...ました。
その寿屋の創業者が鳥井信治郎(堤真一演ずる鴨居欣次郎)でした。ネタバレになりますが、この赤玉ポートワインの大成功で得た潤沢な資金を元手にウィスキーの生産を日本で初めて着手したのが鳥井なのです。では竹鶴は?竹鶴と鳥井の関係はドラマの進展をご覧ください♪。

ところで前述の摂津酒造が造る模造ウィスキーとは何のことでしょうか?実は当時の日本にはウィスキーを自前で造る技術がなく、アルコールに琥珀の色と香りを添加し「ウィスキー」と呼んでいました。
それは戦後も続き、ウィスキーの原酒の混和率で一級から三級(後に特級から二級)まで等級分けされていました。この等級分けがなくなったのは1989年(平成元年)なので、この区分けを記憶している方も多いのではないでしょうか。

そして驚くべきは1968年(昭和43年)まで最下級のウィスキーの原酒混和率は0%でもよかったということ。つまり40年前までウィスキーの原酒が一滴も入ってない琥珀色のアルコール飲料が日本では「ウィスキー」と呼ばれていたということです(竹鶴はこれに抵抗し続けました)。
ウィスキーが入ってきたのは比較的早かった(1853年ペリーがもたらしたとされています)日本ですが、庶民が国産の本格ウィスキーを飲むようになったのはつい最近のことなのです。

さて、次回は初めて飲むウィスキーはどれから始めたらよいかをご紹介したいと思います。


マッサン タイトルロール
インテルメッツォの尾形です。このブログはFacebookページに掲載中の記事をそのまま掲載しています。
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いよいよNHKの朝ドラ「マッサン」が始まりました。ご承知の方も多いと思いますが、これはニッカウィスキーの創業者である竹鶴正孝氏の実話に基づく物語です。

すでにこのドラマに関する「竹鶴本」がたくさん出始めておりますが、私は、昭和57年に刊行された川又一英氏の「ヒゲのウヰスキー誕生す」(新潮社文庫)という本を皆さまにお奨めしたいと思います。正直この本には本当に泣か されました。ウィスキー造りに生涯を捧げたひとりの男の潔い生き方、一方で思いやりと愛に満ちた夫婦の絆が詳細に描かれています。ドラマでもそんなところがきっと伝わることでしょう。

今後はドラマのストーリーに沿って週に1~2度程度、ウィスキーを中心にお酒のご紹介ができればと思っております。
3ヶ月振りの連載となりますが、よろしくお願いいたします。



ヒゲのウヰスキー誕生す