日曜日の午後6時。
「え~~エ❓
これちょっとサイズ違うんじゃない⤴」
玄関先で、
全身鏡を覗きこみながら、
先程、買ってきたジャケットを着た
亭主がスットンキョウな声をあげた。
「エ~~~ぇ、何❓❓」
ちょっと間をおき、
「どうしたの❓❓」
夕食の支度を始めたカミさんが、
サラダを作るための
レタスを切る包丁の手をとめ、
キッチンから言葉を返す。
「サイズが、サイズが違うんだよ❗❗」
亭主はやや慌てぎみに、
声高に叫ぶ。
今日の午後、
試しに試し、
数多くのジャケットを試着し、
ようやく決心し、
手に入れたニットジャケット。
白に近い薄いグレーの地に、
やや濃い目のグレーの糸を、
ヘリンボンの柄であしらった
そのデザインが気に入っていたのと、
丁度、
自分の背丈に合うサイズが
最後の決め手でもあった。
もうひとつの候補であった
カミさん一押しのストライプ柄は、
ややシジラ織りに似た
まさに夏らしい清涼感に富んだ
ものだったが、
残念ながら、
サイズが大きすぎたのだ。
そう、
決めてはサイズ。
「そうなの❓❓」
包丁片手にキッチンから玄関先に
顔を覗かせたカミさんは、
取ってつけたような言葉を続けた。
「でも、そんな変んな感じじゃないよ。
別に問題ないんじゃない」
夕方までの時間を
亭主の買い物に付き合わされ、
夕食を作る時間が押せ押せになってしまった
カミさんにとって、
大事なことはジャケットのサイズではない。
早く、
自分の役割を終え、
疲れた体を癒したいという思いの方が先だ。
「そうか。変じゃないか⤵。
ても、確か、決めたのはこのワンサイズ
下の44だったはずなのにな。
・・・・・・
どこで、間違っちゃったんだろう❓❓」
亭主はまだ納得がいかない。
モグモグ・・・モグモグ・・・
独り言を繰り返す。
諦めの悪い亭主に、
カミさんの速射砲が止めをさす。
「あの年配の店員さん、あれこれ云うから、
キット分からなくなっちゃったのよ❗」
「もう買って来てしまったんだから、
今更、仕方ないんじゃない。
ハイ、諦め❗諦め❗❗
さぁ、夕御飯ですよ❗❗❗」
確かに、
アレコレと、
試着を繰返し、
他のお客さんも、
同時に接客していた彼は、
自分に付きっきりでなかっただけに、
サイズ違いを求められる度に、
出しては来て、
その場を離れ、
他のお客さんの相手をして、
また、戻ってくる。
試着している時には、
その場にいなかったのだから、
最後にどのサイズを決めたのか、
分からなくなってしまったのだろう。
そのうえ、
バーゲン会場は狭く、
商品の置き場もなく、
一度、試着したものは
元のハンガーまで戻さなくてはならない。
やっと決心し、最後に、
「やはり、さっきのあの柄にします❗」
と、告げたとき、
彼は、
「はい、わかりました」
と、
一度、片付けたそのヘリンボン柄を
再び、持ち出してきてくれたのだが、
サイズの確認までができなかった
のであろう。
「そうだな。こっちがいけないよな。
最後にもう一度、サイズの確認をすれば
良かったんだよな。
あれだけ、試着したんだものな」
夕食のビールを口に運びながら、
自分をなだめるように、
「まっ、いいか」
小さく言葉をはき、
一気にそれを飲みほした。
カミさんは、
TVのクイズ番組を見ながら、
アレコレ答えを呟いている。
その答えが、
当たったとか、
外れただとか、
屈託ない笑いを飛ばしている。
その横で、
「まっ、いいか」
と、云いながら・・・
亭主の方は、
まだ、ジャケットのことが
頭から離れない。
「この歳にして、
あと、何回ジャケットを買う機会
があるのだろう。もしかして、
これが、人生最後の夏のジャケット
買いかもしれない。
それなのに、このまま納得いかなくて、
果たして、それでいいのか?
でも、
たかだかバーゲンで買った安物だし」
心の中では、
言葉にならない呟きが、
空虚に回転している。
350mlの缶ビールを飲み終えて、
シングル2杯と決められている
バーボンのボトルに手をやり、
気に入っているタンブラーに
大事そうに注いでいく。

このグラスは、
ボーランドのクロスノ社のもの。
特に気に入っている点は、
なんと云ってもこの厚底。
グラスの底の中央に、
デザインとしてあしらわれた
富士山のような突起。
そして、
この重量感がたまらない。
酒呑みで、
グラスに拘らない男は、
本当の酒好きではないと、
彼はそう信じている。
特別な日にしか手にしないこのグラス。
今日は何故かコイツでやりたいと、
夕食前から決めていたのだ。
このグラスで呑むと、
安い酒も上等な味に思えるから
不思議だ。
ドクドクと、
ハーパーが、
ボトルの口から、
音をたてて流れ落ちる。
この音、
この響き、
がまた堪らない。
昔か~~し、
子供の頃、
サントリーオールドのCMで、
このウィスキーが注がれる
ドクドクという独特な音を聞き、
そんな響きの中で、
ウィスキーを呑んでいる
大人たちが格好良く思え、
いつか、
自分もそうありたいと、
子供心にそう思っていた。
その頃を懐かしく思い出す。
注がれた
グラスの中では、
一欠片の氷が、
コロンと音をたて、
ハーパーの中に滑り落ちる。
そう、
この音も堪らなく好きだ。
そして、
ゆっくりと、
重量感のある
グラスを左右に
大きく回しながら、
一口のバーボンを口に含む。
ほんの数秒・・・
口の中で転がし、
一気に喉奥におくりこむ。
そして、
ゴクリと喉を鳴らす。
これが、
また、
こよなくバーボンを愛する
男には堪らない。
隣では、
カミさんが、
楽しそうに、
相変わらず、
たわいない笑顔と共に、
TVと会話している。
たった二人の食卓には、
こうして、
いつもと同じような、
静かな時間が流れていく。
良く見かける光景。
どこにでもある風景。
サバサバしたカミさん。
グダグダした亭主。
もう、
40年も連れ添っているふたり。
お互いが、
思いを異にしながら、
ひとつの空間のなかに、
みごとに同化している。
こんな団塊夫婦の
当たり前の日曜夜のひととき。
そこには、
二人にしかわからない
ゆったりとした
幸せな時間が流れていた。