「おひかり」と浄霊は実は関係がないってしってた?
”私が許すといえば、その人はその時から人を治す力が働くんだが……今の人達は、何かお守りのような形がないと効かないと思うので、お守りを授けているんだが、どうせお守りなら、普通のお守りより大きい方が効くだろうと思うから、治療のお守りを大きくしているんだよ。”「宝山荘浄霊の間にて」(昭和十五年)掲載:私のみ教え抄みなさんは浄霊に「おひかり」は必要ないということを知っていますか?世界救世教から離脱された教団の中には「おひかり」を必要としないところもあります。結局のところ、神様と人間との交流は想念を介してなされるので、そうなんだと思ってもらうことが大事なのでないでしょうか?世界メシア教はここのところを入信に関するお言葉として、詳しくお話しています。おひかりは自分の中にある天国や神様を思い出すためのもの。この明主様のご発言にも矛盾しないんですよね。結局のところプラシーボではないけれど信じる心が必要なのだと思います。ただ一部の人が信じても疑ってもという意味の明主様のお言葉を自分の都合のよいように考えたり布教に使った面があると思います。私はお聞きする皆さんの体験から信者に向かって言う事ではないと思っています。この辺りを解剖していくと本当に御守護いただくべきは自分の何なのかということ に繋がりますが、これを暴露すると困る人も居ると私は思っています。