最近、海外ドラマや配信作品を観ていて、ある傾向を強く感じる。
それは「過去の名曲」が、物語の重要な場面で使われるケースが明らかに増えていることだ。
先日も、プリンスの「Purple Rain」や「When Doves Cry」が、ドラマをきっかけに再び世界的に再生されているというニュースを目にした。
80年代の楽曲が、いまの若い世代に新鮮な驚きとして受け取られ、同時に、かつてリアルタイムで聴いていた世代の記憶も呼び覚ます。
これは単なる懐古主義なのだろうか。
それとも、いまのアーティストにドラマの世界観を一瞬で背負えるほどのパワーがない、ということなのだろうか。
たぶん、答えはそのどちらでもない。
音楽の価値が下がったわけではないし、才能が枯渇したとも思わない。
ただ、音楽を取り巻く環境が、ここ10年で大きく変わった。
曲は次から次へと配信され、消費のスピードは加速した。
一曲が生活の中に染み込む前に、次の新曲が現れる。
それは便利で、刺激的で、同時に「記憶に定着しにくい」世界でもある。
ふと、こんなことを考えた。
「ここ10年で記憶に残っている曲を10曲挙げてください」と言われて、即答できる人はどれくらいいるのだろうか。
音楽が嫌いになったわけではない。
むしろ聴く量は増えているはずなのに、人生の風景と強く結びついた曲は、以前より少なくなった気がする。
一方で、80年代や90年代の楽曲は、ラジオ、テレビ、映画、日常の風景と何度も結びつきながら、時間をかけて記憶に刻まれていった。
だからこそ、ドラマのワンシーンで流れた瞬間に、説明なしで感情が立ち上がる。
いまのドラマは、そうした名曲に「新しい物語」を与える装置になっているのだと思う。
若い世代にとっては新しい出会いであり、かつて聴いていた世代にとっては再解釈の場でもある。
もちろん、リアルタイムの音楽を否定しているわけではない。
今の曲は、今という瞬間を生きるための音楽として、確かに機能している。
ただ、「10年後、20年後にドラマで使われる曲」になるかどうかは、時間だけが決めることだ。
名曲は狙って作れるものではなく、気づけば残っていたものだから。
だからこそ、過去の名曲がドラマを通して再び息を吹き返す今の流れは、
衰退ではなく、音楽の自然な循環なのだと思っている。





