今回の川口春奈主演のストーリー、序盤から

「これ絶対、彼氏=ストーカー(もしくは殺人鬼)だろ…」
と連想できる作りだった分、ラストに大どんでん返しが来ると思ってた。



昔の“世にも”なら、ここで
「実は川口春奈も狂気側でした」
とか、
「全部彼女の妄想でした」
みたいな黒いひっくり返しをぶち込んでくるのが定番だった。

だから正直──
普通に殺されて、最後は走馬灯で締め…という展開は
「いや、それ走馬灯じゃねぇー…!」
と感じてしまった。

もちろん今の地上波で“攻めたテーマ”をやるのは難しい時代だし、
その中でも雰囲気ホラーとしては頑張っていたとは思う。
でも初期の頃の“劇薬感”“深夜の怖さ”“ラスト数秒で世界を裏返す感じ”を知っている身としては、
もう一段階、闇に踏み込んだオチを見たかった。

川口春奈のあの芝居なら、
「実は本当の狂気は彼女の方でした」
みたいな方向で終わったら、伝説回になったんじゃないかな…。

今の限界ギリギリの“奇妙さ”ではあったけど、
昔の衝撃を知っていると、どうしても物足りなさが残る回だったなぁ。



― 奈美の沈黙、そして見え隠れする“裏の構図” ―

沢口靖子さん演じる二宮奈美刑事。
前回、拉致された際にスパナのような工具で足を損傷した影響で、今回は本部待機の内勤に回ることになりました。
その結果、これまで物語の中心にいた奈美の出番が一気に減少。
それが妙に引っかかる第6話でした。


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■静の奈美、動のチーム

奈美が現場から外れたことで、代わりにチームメンバーが生き生きと動き出す。
若手刑事やサイバー班、それぞれが主役のように活躍する構成になっていました。
ただ、その分、物語全体の“重心”がズレたようにも見えます。
主人公不在の静けさ——でもそれは、嵐の前の静けさなのかもしれません。



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■総理の娘という“未爆弾”

そしてもう一つ気になったのが、総理の娘であり天才的なハッカー。
登場当初は物語の中核を担うと思われた存在でしたが、第6話では「ただの掛け子」としてわずかな登場に留まりました。
これは脚本的に“沈黙の布石”と見るのが自然です。
彼女は必ず、物語の後半で再び姿を現し、
奈美と対峙する存在として再登場する可能性が高い。
「国家と情報」「正義と裏切り」というテーマを背負うキーパーソンであることは間違いありません。




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■佐生(安田顕)の不穏な存在感

そして第6話で最も際立っていたのが、安田顕さん演じる佐生。
彼は表向きは総理に忠誠を誓う警察幹部のように見えますが、
その立ち居振る舞い、言葉の“間”、そして冷たい視線の奥には、強烈な不穏オーラが漂っています。

彼は総理の娘の家出もすでに把握しており、すべてを“手の内”に収めているような雰囲気。
むしろ総理すらも操り人形のように扱える男に見えてきます。
奈美に対しては「守っているようで監視している」ようでもあり、
彼こそが“情報を操る者=真の権力者”なのかもしれません。

> 「君はまだ知らないことが多すぎる」
という彼の一言が、今になって重く響いてきます。
佐生は敵か味方か、いやそのどちらでもない。
国家という巨大な舞台を裏で動かす“第三の勢力”。
彼が後半戦の中心に立つことは間違いなさそうです。






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■第6話は“静”の回

全体として、第6話はアクションやサスペンスよりも“静の構成”が際立っていました。
奈美の静かな内勤、潜伏する総理の娘、そして沈黙を守る佐生。
すべてが“次への呼吸”を整えるための静止。
つまり、この第6話こそ、物語後半の大逆転へ向けたターニングポイントなのです。




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■おわりに

6話を見終えた今、視聴者が抱くのは“違和感”と“予感”。
この違和感こそが、『絶対零度』という作品の真骨頂。
次回、奈美が再び現場に戻る時、すべてのピースが動き出す——。
静から動へ、正義から闇へ。
物語はここから一気に加速しそうです。
デイヴィッド・カヴァーデールが完全引退を発表しましたね。
74歳という年齢を考えると少し早いようにも感じるけれど、ロックボーカリストとしては潔い決断にも思えます。


ハード・ロックは特に、体力・声量・肺活量、そして“勢い”が求められるジャンル。
不安を抱えながらステージに立つのは、本人にとってもファンにとっても本望ではないはずです。
だからこそ、自ら潮時を見極める生き方も立派なロックの形だと思います。

一方で、ミック・ジャガーのように80歳に近づいても現役で走り続けるアーティストもいる。
その姿を見ていると「可能な限り続けてほしい」という気持ちも自然に湧いてきます。
最近ではバッド・カンパニーのポール・ロジャースも“半引退”のようなスタンスを見せていましたが、
それでも歌えるうちは時々ステージに立ってくれるかもしれません。

結局、どちらの選択も間違いではなく、そのアーティストらしい“ロックの生き方”なんですよね。

・限界を感じた時点で美しく幕を下ろす
・歌える限り、ファンが待っている限り続ける

そのどちらにもファンは敬意を持てるし、どちらにもドラマがあります。

カヴァーデールもロジャースも、長年ロックの黄金期を支えてきたレジェンド。
彼らがどんな道を選んでも、残した音楽と歴史は消えることなく生き続けます。
これからは、それぞれのペースで人生を歩んでほしいな…そんな気持ちです。