の言葉を聴くーアーナパーナ・ヴィパッサナー・メッター①ー19
 

ここまで、私はセンターで教えられている瞑想法について具体的に書いてきませんでした。
 

私たちにとってヨーガの魅力がそこにあるように、瞑想を通して仏教を実践的に伝えているからこそ、今日上座部仏教がこれほど人気を集めているわけで、瞑想の話を抜きにして上座部仏教を語ることはできません。
 

今回の連載のテーマのひとつは瞑想なので、私もそれについて簡単に述べてみたいと思います。ただし私は瞑想の専門家ではなく、仏教徒ですらないので、やや主観的で正確を欠くかもしれない点についてはご了承ください。
 

日本ヴィパッサナー協会がセンターのコース中に教えている瞑想法は実際には3つあり、そこで教えられる順にアーナパーナ・ヴィパッサナー・メッターとなります。
 

アーナパーナとは、古代インドのパーリ語で「出入息」を意味し、つまり鼻から出て行く息、入ってくる息のことです。これは私が第16節の「第1日目の半分の半分」でやっていた(というかやろうとしていた)瞑想法です。
 

上記の3種類の瞑想法は方法も目的も異なりますが、アーナパーナの目的は精神集中にあります。
 

ただひたすら、鼻腔に触れる空気の流れに集中することで、それまでに自分が漫然と浸っていた妄想を払い、思考やイメージの世界(=妄想)から、より微細な感覚の世界へ降りてゆくことを目的としています。
 

なぜ、ヴィパッサナー瞑想より前にアーナパーナが教えられるのかと言えば、普通の人間は集中力もなく妄想に溺れやすくなっており、本当の意味での「現実」である感覚の世界に注意する力が弱いからです。
 

つまり、アーナパーナによって集中力を高めることで、ヴィパッサナー瞑想に取り組む準備をさせるといえます。このアーナパーナの効果はきわめて高く、これだけでも相当なレベルまで進むことができるとされています。しかし…。
 

「ブッダ自身「目覚め」に至る前に、さまざまな師についてこうしたヨーガを行ない、最高の神秘的境地に達した。
  

しかし、彼は満足できなかった。なぜなら、それら(=アーナパーナ瞑想など)によって完全な解放が得られず、究極実存の透視は得られなかったからである。
  

…それゆえに、ブッダはヴィパッサナーと呼ばれるもう一つの瞑想、すなわちものごとの本質の「透視」を発見した。これは、究極の真理、ニルヴァーナの実現、心の完全な解放へと導くものである。」

ワールポラ・ラーフラ「ブッダが説いたこと」
 

アーナパーナ瞑想は、仏教のなかでも重要な瞑想法と位置づけられていますが、類似の瞑想法はヨーガの伝統にもある。
 

しかし、ブッダが発見・確立したヴィパッサナー瞑想こそ、仏教独自の瞑想法であり、この瞑想法によって、またこの瞑想法によってのみ、ニルヴァーナ=涅槃に至ることができるというのです。
 

京都の瞑想センターでは、コース中の3日目までがアーナパーナ瞑想の実習、それ以降がヴィパッサナー瞑想の実習に割り当てられています。
 

ヴィパッサナーもパーリ語で、「パッサナー」とは「見ること」、「ヴィ」は強意、つまり「よく見ること」を意味します。
 

正しい姿勢を保って座り、目をつむって自分の身体に起きている変化に注意をこらし、顔がかゆければそのかゆみを、胸元に汗をかいていればその流れを、脳裏に昔の記憶がかすめればその記憶を「ただ観察する」。
 

(続く)

*  フォローをしてくださっている皆さま、いつもありがとうございます。年末年始は「鳥の言葉を聴く」の連載をお休みします。年明けより再開いたしますので、引き続きよろしくお願いいたします。
  

スリランカ。ふたたびシーギリヤ。