ミャンマー日記ー終わりの旅ー21
有名な仏教説話のひとつに、「毒矢のたとえ」がある。抽象的な議論に熱中して空しく時を過ごしている人々について、ある時ブッダは次のように語ったと言われている。
「ある人が、どこかから放たれた毒矢を受けて路上に倒れたとしよう。周囲の人々が彼を助けようと駆けつけてくる。しかし彼はそれを拒否する。彼はこう叫ぶ。
「いや、わたしはこの毒矢を放ったのが誰で、どうしてわたしを狙ったのか、この矢の毒の性質は何か、この矢の形状はどんなものか、それを全て知るまで、わたしは助けを求めない」。
だが、それでは彼はすぐに死んでしまうだろう。抽象的な議論に熱中して実践を怠る人々はこのようなものである」。
政府が嫌われているミャンマーでは、公共の建物の内容空疎な尊大な構えは皮肉の的になっているが、ヤンゴン中央駅にもそんなかんばしくない印象がある。壮麗な建物だが、まるでプラスチックで作った外観だけの模型のようで、利用者が使用できる範囲がおそろしく限られているのだ。
僕が彼女のために買ったペットボトルの水を抱えて車内に戻ると、テダーは荷物を整理しおえて車窓から外を眺めているところだった。
午後三時のプラットホームはとほうもない蒸し暑さで、首筋から汗が絶えず流れ落ちる。ホームの鉄柵の向こうでは、次の列車を待つ人々が荷造りをしたり、荷物の上に腰掛けて何かをかじったりしているのが見えたが、その混雑の様子はタイのフアランポーン駅やインドのニューデリー駅とは比較にならないほど慎ましく、のどかなものだ。
僕が水をテダーに渡すと、彼女は日本語で、
「ありがとう」
と言った。
別れを惜しむためには心理的なクッションが必要だが、今日この時まで一緒に行動し、移動を続けてきた僕らにはそれがなく、列車の席で二人はただ茫然としていた。
旅先での出会いにはいつも曖昧な、その場限りといった雰囲気があり、それを確かなものにするにはまたまったく別の努力がいる。今日この場で別れても、またどこかで会えるだろう。それだけの配慮はしよう。そう決心しても、ではどこで、どのようにして? と畳みかけるだけの気力がない。
旅そのものが終わらなければ、次の計画は具体化できないのだ。軽々しく「また会おう」と言っても空々しくなるだけなのだ。それに僕らは、お互いに嘘を言って慰めあうには親しくなり過ぎていた。
出発を告げるチャイムが鳴り、僕は列車を降りた。
「ホームを出る時はね、あの扉から出るのよ」
彼女は最後までガイドらしく、車窓から身を乗り出してそう教えてくれた。列車がホームを出てしまってから、僕は言われた通りにして駅を出た。
ヤンゴンの暑さに、汗が絶えず流れ出る。思っていたより寂しさは感じなかった。たぶん、感傷的になるには熱帯は不向きなのだろう。涙に似て、汗が感情を流し去ってしまうのだ。
(続く)

