ミャンマー日記ー終わりの旅ー23
 

    この日本人の僧侶はMさんと言って、もう一年半近くミャンマーで修行を続けているベテランだった。
 

   僕がここへ来た事情を話すと、彼はレセプションを指して、まず敷地に入る許可を取ってくださいと言った。
 

    受付の事務所は日本の昔の役所のような造りで、壁際には年季の入った木製の本棚が並び、椅子やテーブルも黒光りする木製で、これも過去の時代を思わせる半袖のシャツを着た事務員達がのんびりした様子で作業をしていた。
 

    事務所の奥のデスクに座っていた監督官らしい人物に話しかけてみる。彼は最初、いぶかしそうな目つきで僕を眺めていたが、見学だけさせて欲しいという僕の言葉が納得できると見事な笑顔を作り、「ノープロブレム」と言って見送ってくれた。Mさんとの出会いは偶然だったが、結局彼が案内してくれることになった。
 

 「ずいぶん賑やかですね」
 Mさんの横を歩きながら、レセプションの横のイヴェントホールのような建物を指して僕は言った。ホールには純白のクロスで覆われたテーブルが並べられ、正装をした人々が大勢集まっている。さっきから正門に出入りしている車はみなこのホールに関係があるらしい。
    Mさんはホールを片手で示すと、
 「ああ、今日は結婚式がありまして、それでなんです」
 

 この正門のエントランス付近にはこのレセプションやイヴェントホールの他に、開祖のマハーシ長老を奉った聖堂、図書館などがあった。そこを過ぎると辺りは急に静まりかえって、大学宿舎のような建物が並んでいる区域に入った。ここがおそらく、このセンターの僧侶達が普段生活を営んでいる場所なのだろう。
 

 「外国人寮はこちらです」
 Mさんがそう案内してくれ、僕らは敷地のさらに奥の、田舎の小道のような寂しい通路を歩いた。
 「失礼ですが、Mさんは出家されてるんですね?」
 僕はMさんに訊ねてみた。
 

 「ええ、私もはじめは体験のつもりで入ったんですが、半年くらい続けていた頃、指導者の方からそうお誘いがあったもので、これもいい機会だと思いましたから」
 「外国人寮にはどれくらいの人数が滞在されているんでしょうか」
 「そうですね、今は私を入れて9人ですか。日本人は2人しかいません。日本人は少ないですね」
 

 年齢を訊いてみると、Mさんは35歳だった。Mさんの目の小さい、のっそりと太っていて、それでいながら暗い感じのある横顔を眺めながら、僕はふと、この人は日本での生活がどうやってもうまくいかなくて、最後の頼みとしてミャンマーにやってきたのではないかと思った。
 

    そのMさんもここへ来て一年半になる。それで・・・Mさんはここで何か「悟る」ところがあったのだろうか? もちろん、僕はそんな想像を口に出しはしなかった。それに、「悟る」というと、日本ではつまらない冗談にしかならないが、ここミャンマーではそれどころではない。
 

 閑静な敷地を二人でゆっくり歩きながら、僕は空を見上げた。日本では真夏の午後にしか見ることがない、どこか鬱蒼とした感じすらある、煮詰めたように熱した青空。いや。そう僕は呟いた。いや。
 

 ここにやってきた人間に素質があろうとなかろうと、そんなことはたいした問題ではない。
 

    一人前の大人が職を捨て、国を離れてここへ修行に来た以上、それは真剣な賭けになるしかない。馬鹿というものは見栄をはりたがるものだが、人生をふいにしてまで見栄をはるのはもはや馬鹿とは言えないではないか。
 

    この賭けの勝負がどちらにふれるにせよ、この勝負そのものは、会社で残業をするとか、子どもを幼稚園に連れていくとかいった、そんな日常の雑務とはまるで違った、それこそ世の中のずっと上の方にある、「空」に触れるようなことなのだ。
 

    いや、「空」に触れられることすら重要ではないのかもしれない。そこにどうにかして触れようとする志、そういう真摯な思いが持てるかどうかが問題なのだ。
 

 小道の突き当たりに、外国人のための寮が二棟建っていた。右側の平屋の建物がスリランカ人専用の寮、左手の二階建ての建物がそれ以外の外国人のための寮だという。スリランカ人専用の寮があるのは、ミャンマーと同じテーラワーダ仏教の国のための特別な措置なのかもしれない。
 

    二階建ての外国人寮は、これも日本の昔のアパートのようで、一階中央に共同玄関が設えられ、玄関脇に二階へ通じる階段があり、左右両翼に各部屋が並んでいる。
 

    Mさんによると、一階の部屋が50ドル、二階の部屋が100ドルで、滞在期間の長短にかかわらず、この料金さえ支払えば良いという。つまり、かりに三ヶ月いても部屋代は50ドルだけで済むのだ。一階と二階で料金が違うのは、二階にはエアコンが付いているかららしい。
 

 「ハメティマハーシは全国でも一番待遇の良いセンターなんですよ。バゴーのセンターなどは軍隊みたいに厳しいところで、こことはまるで違います。バゴーでは睡眠は一日四時間までと決められていますし、外出は厳禁、瞑想ホールでの座布団の使用も禁止で、石の上でやらされます。その上、一度でも瞑想をさぼったらすぐに退出命令が出るんです」
 

 Mさんの言う通り、ハメティマハーシの外国人寮は思っていたよりもずっと清潔で、Mさんが見せてくれた彼の部屋も広かった。
 「瞑想ホールは二階です」
 僕はMさんについて二階に上がった。
 

    一階の中央玄関の真上にあたるスペースに、瞑想ホールはあった。60畳ほどの部屋の奥にはブッダの座像が据えられ、その左右に置かれた花瓶には赤い花が活けられていた。板張りの床はきれいに磨かれて、ニスが輝いている。
 

    午後の光を部屋に注いでいる窓からは風が入ってきて、誰もいないホールに吊られている蚊帳をかすかに揺らしていた。午後の聖域の、思いに沈んでいるような慎ましい静寂。
 

(続く)
 

ハメティマハーシ