ミャンマー日記ー終わりの旅ー最終回
その時ふいに、この瞑想ホールの静けさを前にして、めまいのように次のような疑問が僕を捉えた。ーそれでは、自分のこれまでの旅にはいったいどんな意味があったのだろう?
ガイドブックの案内する通りの旅を踏み越え、もっと深い精神生活への理解を得るために、短期間でもこの僧院に滞在するべきだったのかもしれない。
僕はTさんの生活を思い出していた。彼女は外国に来ていながら、そのほとんどをここでの修行に費やしたのだった。
・・・そうだ、修行をしに来たのなら観光など必要ないのだ。賢者の石が手元にあるのに、どうして旅を続ける必要があるだろう?
僕にとって、今回のフィリピン・ミャンマー旅行は、「終わりの旅」だった。この三年間、僕はアルバイトをしながら海外旅行を繰り返してきた。インド、ネパール、タイ、ラオス、フィリピン、韓国、モロッコ、スペイン、マレーシア、スリランカ、そして再びフィリピン、そしてミャンマー・・・。
僕は自分が得た成果についてなにも幻想を持っていない。僕は、ワクチンでも投与するように定期的に旅を生活の中に組み込み、その経過を観察してきた。その結果は今自分の目の前にあるが、しかしそれは口にするのもためらわれるほどささやかなものでしかない。
たとえば、ここに書いたミャンマーでのアーナンダ寺院での経験がそのひとつにあたる。少なくとも僕にとって、旅は夢や幻、ようするに人が普通「現実」と呼んでいるものの反対物を追いかけることではなかった。
僕にとって、旅の目的は旅そのものの中に「現実」を見ることで、旅は「現実」をより深く理解するための手段だったのだ。
そのような企図で行った旅は僕に満足をもたらせてくれもしたが、同時に、「旅行」というものの限界を教えてくれもした。
僕は、デジタルカメラのメモリーの中に旅の記憶が詰まっていると信じるツアー客のような思い込みに陥らなかった代わり、最後にはそういう自分もまた、そんな愚かしい旅行者とたいして変わらないことを教えられた。
結局のところ、旅は「現実」を理解するための手段であっても、「現実」そのものではありえないから、それを突き詰めるなら旅を終えて「現実」にかえるしかない。
こんな馬鹿げた教訓が、僕が三年間の探求の後で得た結論だ。
また人は、日常生活が不断に要求してくる瑣末な義務をひとつひとつ丹念に果たしてゆくことでしか望みをかなえることはできず、満たされることもない。
僕は文字通り、「広い世界」を垣間見たが、それが僕に教えてくれたのはそういう、ちっぽけだがかけがえのない自分自身の「現実」への示唆だった。
年老いてなお旅を続ける人も見てきたが、この事実に直面できないでいる旅行者は例外なく醜い感じがある。それに、ある有名な旅人が言ったように、旅によって自分自身から逃れることはできないのだ。
・・・「毒矢のたとえ」について、自分だけはこの比喩の対象から免れている、と考えてはいけない。なぜならこれは、どこでも物笑いの種にされている学者先生を批判しているわけではないからだ。
真の悟りを得た人を除いて、誰もが致命的な毒矢を受けているのであり、その毒に死ぬまで苦しみながら空しい詮索にふけり、そのくせ毒矢を抜こうとはしない。おそらく、この毒には中毒性があるのだろう。僕らは、苦しみながらこの苦痛を愛してもいるのだ。
ミャンマーでは僕は瞑想修行をやらず、ただ観光と呼ばれるものをしただけだった。観光とは、他人の生活の傍らをただ通り過ぎていくことであり、彼らと現実を共有することではない。とすれば、僕の旅もそうした空しい詮索のひとつに過ぎなかったのだろうか?
だが、僕は今では旅の経験というものを、本当の意味での認識のためのステップとして位置づけたいと感じている。毒矢を引き抜くためには、せめて毒の性質くらい知っておくべきではないか?
二流どころの宗教家のケチな理想主義にも、怠惰な快楽主義者の自己満足にもうんざりさせられる。
・・・そのどちらの過ちにも陥らないためには、その二つの極の間を行き来しながら、しかも自分を見失わずにいなければならない。たとえば、ハメティマハーシのささやかな静寂と、マンダレーヒルのプルメリアの花。
そのどちらも知っている人間は少ないだろうし、そのどちらにも通じている人間はもっと少ないだろう。この双方を試してみることは僕には重要な経験のように思われた。その実験に僕は失敗したのだが、ただ試みてはみた。
そこで最後に、いくらか皮肉を込めてこう言おう、僕は旅の「中道」を歩んできたのだ。
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