雀ー地球の感覚ー②
 

小屋から射撃場に出て、足元の深い雪に気をつけながら空をあおぐと、凍って澄んだ空の底に星々がまたたいている。
 

オーロラの動きは意外に速いものです。それがまだ本格的に現れないうちは、空の端に薄い雲のようになってかかっていますが、その白い帯はオーロラの名残りのようなものです。
 

この、空の彼方に広がる薄いオーロラの帯をほかの参加者たちとともにしばらく眺めていると、誰かが小さく声をあげて腕を突き出す。
 

つられてその方を見ると、さっきまでは白っぽいオーロラの層でしかなかったものが、異常なスピードで揺らいでいるのがわかります。これは、私たちが普段空に認める現象としては異様な動きで、しかも夜空での出来事ですから、これだけでも驚かされる。
 

この帯の振動は、東西四方に散っていてやはり薄い雲のような帯の広がりにもほんの数秒間で伝わり、わずかの間に空全体が光に満たされます。
 

とりわけ美しいのは、オーロラが呼びかわすように光の線によって互いにつながってゆく瞬間で、宇宙の漆黒の生地が切り開かれて、その裂け目から緑色の光線が滝のように流れ落ちてくるように見える。
 

しかし、オーロラが私たちを感動させるのは、その美しさのためばかりではありません。
 

「たとえばさ、自分が蟻になったとするだろ。蟻になった自分がどこかの家に迷いこんで、部屋の窓辺にたどり着いた時、ふと顔を上げると頭上にカーテンが垂れ下がっている。そのカーテンを想像してごらん。オーロラはそれくらい大きいんだ」。
 

オーロラを見た時のことを誰かに説明しようとすると、私は決まってこの比喩を持ち出したものです。オーロラの圧倒的な印象は、私にはその壮大な規模によるものと思われたからです。
 

しかもこの比喩にしてからが、ちょっと計算してみると、たんにイメージがしやすいという利点以外には取り柄のないものだということがわかります。
 

というのは、かりに蟻の体長が3ミリだとしてカーテンが2メートルだとすると、その対比は1:666です。ところが、人の背丈が170センチとして、オーロラの高さが100キロとすると、その比は1:58823にもなり、正確には蟻とカーテンの比喩のさらに90倍近くのスケールがあるのです。
 

これだけの規模の光の帯が、ほんの一瞬で真夜中の空に出現するわけです。私は、人間がこれだけの規模の距離を、とくに垂直方向に体感できる機会はほかにないのではないかと思います。
 

たとえば、船に乗って大海原に出ればやはり地球の大きさがわかりますが、海の広さはあくまで水平方向の感覚なので、立体的ではないところに限界があります。
 

あるいは、天体観測はさらに遥かなスケールを扱っているかもしれません。しかし私には、天体観測で得る経験は身体的なものというより、もっと抽象的・観念的な経験のように思われます。そこでは感覚よりも想像力が勝っているのではないでしょうか。
 

宇宙飛行士のような特殊な場合は別として、おそらくこのオーロラを見た時に感じられる「地球の感覚」が、人間が地球の大きさを体感できる最大のスケールなのではないかと思います。
 

(続く)
 

川瀬巴水「月の松島」