雀ー地球の感覚ー③
 

しかしながら、私は鈍感なのか、あるいはたんに素直でないからか、私はこの壮大な「地球の感覚」を有意義に生かすことができなかったようです。
 

宇宙飛行士が宇宙から帰ってきて、その体験からエコロジーやスピリチュアルな世界観に接近していくという話はよく聞きますが、十数年前に見たオーロラから私がそうした感化を受けたとは言えない。
 

それを言えば、かつて私がネパールでヒマラヤを眺めたことも、モロッコでサハラ砂漠の砂丘を歩いたことも同様で、今ではそれらは私の頭のなかに何枚かのおぼろな画像となって残っているにすぎない。
 

だから、少し意地の悪い言い方をすれば、旅行とはこうした頭のなかの絵葉書を買って歩く行為にすぎないのかもしれません。
 

それでは、これはあくまで私個人のこととして、どうしてこの「地球の感覚」が自分のうちに根付かなかったのだろうか?  この辺りから、環境問題についてすこし書いてみたいと思います。
 

19世紀のイギリスの作家、ディケンズが書いた小説に、『荒涼館』という作品があります。かなり長い小説ですが、ロンドンを舞台とした一種の推理小説で非常に面白い作品です。
 

このなかに、ジェリビー夫人という滑稽な人物が出てきます。滑稽だというのは、ジェリビー夫人は何人もの子どもを抱えたブルジョワの奥さんなのですが、明けても暮れてもアフリカでの慈善事業に没頭していて、子育てや家事を一切放棄してしまっているからです。
 

そのせいで、夫人の娘は下の子どもの世話や家での仕事を押しつけられている。この娘はひどくみじめな思いをしていて、一家を放り出して慈善事業にしか興味を見せない母親を恨んでいる。
 

ジェリビー夫人のこの話は、「アフリカでの慈善事業」を「環境問題」に置き換えてみると、今でも面白い諷刺になっていると思います。
 

(続く)