雀ー地球の感覚ー④
 

ジェリビー夫人が慈善事業にかける熱意に嘘はないのですが、その本来の義務を放棄してしまっていることで、彼女は結局のところただの偽善者になっている。
 

環境問題について考える時、やはり同じジレンマがあると思います。誰でも、公害や環境破壊を示すおそろしい写真を見せられれば眉をひそめますし、手元に小銭があれば募金箱に放り込むー何の目的の募金なのかはあまり考えずーくらいことはするものです。
 

しかし、自分の生活のなかで環境問題が占める重要度は下から2番目くらいなのがせいぜいで、普段はまったく忘れている。
 

しかも、「いや、自分にとって環境問題は最重要事項だ」、などと真顔で主張すれば、それこそ「ジェリビー夫人的偽善」の嫌疑がかけられることになる。
 

さらに、問題は次の点にあります。先に私はジェリビー夫人の熱意に嘘はない、と書きましたが、それは本当なのだろうか?  
 

ジェリビー夫人が家事のような基本的な義務を怠っている以上、彼女の慈善事業にたいする打ち込みにもどこか現実逃避の、つまり自己中心的な面があるのではないか。その仕事は結局は空疎なお題目にすぎないのではないか?  そういう疑いが出てくるのです。
 

私は、このジェリビー夫人のどうしようもない滑稽さは、彼女の現実にたいするアンバランスな関わり方にあるのだと思います。
 

子育てのような身近な仕事と、アフリカでの慈善事業=環境問題のような遠大な課題の間にはギャップがあります。このギャップが見えず、両者の間にバランスを取ることができずに一方だけを取ろうとしている点にジェリビー夫人のおかしさがある。
 

環境問題のようなスケールの大きな課題を考える時、このバランスの取りにくさは実は本質的なテーマなのではないかと思います。
 

たとえば、今のアメリカの大統領が言っているように、地球の温暖化という現象はもしかしたら本当に誰かが「でっち上げ」たものなのかもしれない。
 

温暖化を示す危機的なデータは山ほどありますが、それとて「フェイクニュース」だと一蹴されてしまえばそれまでかもしれません。
 

もちろん、ある程度まともな感覚を持っていれば、温暖化がでっち上げでないことはわかるものです。たいていの人が、最近の天気や季節の巡りはなんとなくおかしいというのはわかっている。
 

しかし、「なんとなく」ではやはり頼りない。そして、この「なんとなく」しかわからないというところ、温暖化が「でっち上げ」だと言われると一瞬言葉に詰まってしまうその弱さに、私たちが環境問題にバランスを欠いた対応しか取れない根本的な原因があるのだと思います。
 

これは、環境問題についてディケンズのジェリビー夫人と同じあやまちに陥らないためには、私たちは自分の感覚をもっと鋭くして、周囲の環境とつりあいの取れたあり方を考える必要があるということです。
 

私たちが環境について考える際、この「私」と「地球」の内的なつながりを見い出すことが何より大切だと思います。
 

(続く)
 

カンディンスキー「小さな世界Ⅶ」