鳥の言葉を聴くーMNのことー⑦
 

私は2000年に大学に入りました。入学したのは文学部ですが、最初の一年間はいわゆる教養課程で、二年生から各専修に移ります。私は子どもの頃から小説が好きだったので、小説ならフランス文学だろうということで、フランス文学科に進みました。
 

といって、小説を読むのが三度の飯より好きというわけでもなかった。大学生というのはたいていそんなものだと思いますが、猛烈な野心にかられて緻密な人生設計を立てて、それを一から実行するつもりでいながら、次の日にはまたまったく別の計画を妄想しだして、結局どちらも手につけない。
 

私もそんな風で、学生でいる間はずっと不安定な、迷いのようなものをつねに感じていました。若くて野心があったから、なにか本当に価値があり、自分が打ち込めるものを探していた。
 

以前なら、感受性の豊かな若い世代をまとめて魅了してしまうようなアイコン、たとえばサルトルとか、寺山修司とか、ピストルズがあったのかもしれないけれど、私の世代にはそんなものはなかった。
 

バンドを組んで、「音楽をやっている」と言えばカッコ良かったが、私の世代にはすでに、音楽がそれまでのほとんど全能的な魅力をいくらか減じていた点は指摘しておきたいところです。
 

自分たちを要約してくれるようなアイコンやカルチャーがないということは、お互いに共通する足場がないということです。そうなると各人は自分の趣味嗜好にしたがって、どうしても内向きに閉じこもるしかない。議論などは生じようがない。
 

だから、とりあえず「好き」、あるいは「苦手」という、実は根拠のあやしい感覚だけで生きている学生が多いことになります。
 

私はそういう状況にものすごく不満だったけれども、ないものねだりをしても仕方がないので、私も自分の「好き」に閉じこもることにしました。私は三島由紀夫やニーチェを読み、クラシック音楽を聴き、たまに美術館に行ったりするのが外出になるくらいの地味な学生になった。
 

当時の私がサッカーや自動車にはさっぱり関心がなく、文化的なものにしか興味を持たなかったのは奇妙かもしれませんが、大学生の私は芸術こそすべてだと真剣に思っていました。それには色々な理由がありますが、ある意味でこの考えを自分に吹き込んだのは私の先輩のMNでした。
 

この話の脇役としてMNはどうしても必要な存在なのですが、それというのも、私が睡眠薬を止めることができたのは彼の一言がきっかけになっているからです。
 

(続く)

スリランカ。ヌワラエリア近くの駅。