鳥の言葉を聴くー「知った人に偉人なし」ー⑧
 

ロシアには、「知った人に偉人なし」という諺があるそうです。これは、偉い人であっても身近に接すれば平凡な人間と変わりなく見える、という意味です。
 

私も何人かの有名人と話したことがありますが、たしかに実際に会ってみるとごく普通のおじさんおばさんにしか見えなかったりする。
 

時々、「あの人はオーラが違う」などと誰かをほめちぎっている人がいます。だが、それもこちら側の先入観や期待が相手にかぶさっているだけの事も多く、あまり信用しない方がいいかもしれない。
 

MNはべつに偉人ではありませんでしたが、それにしても平凡とは言えない人物でした。
 

MNも今ではちょっとした有名人になってしまったので、彼の能力を世間が認めた形になってしまいましたが、私がMNと知り合ったのは彼がまだ最初の本を出す前のことで、私が高校生の頃の話です。
 

MNと私は20歳以上も歳が離れているので、先輩というより私の先生と言った方がいいかもしれません。実際彼の仕事は家庭教師で、私は一時期彼の生徒でもありました。家庭教師といってもMNはプロで、主に弁護士や会社役員の子弟を相手にする高給取りでした。
 

若い頃は、たとえば東大卒とか会社の経営者といった人間よりも、素性のあやしいミュージシャンや毒舌を吐く予備校の講師なんかに強く惹かれるもので、私にとってはMNがまさにそうでした。
 

彼の教養と経験ははば広く、文学や芸術についてはもちろん、高校生だった私が想像もつかないような世間の裏面にもよく通じていて、私は彼の話に魅了されたものです。
 

振りかえってみると、MNは全共闘世代よりも一世代下にあたり、政治には関心を持っていないが、ヒッピーのようなカウンターカルチャーに影響を受けた人間でした。
 

先に書いたように、90年代の冷めた雰囲気のなかで、ごく大人しい学生の間に混じって成長し、その上かなり保守的な趣味の持ち主だった私は、MNの型破りな言行の中にそれとは別の世界を見ることになったわけです。
 

言ってみれば、その後の私はMNが示してくれた教養世界を追って、それを自分なりに再構成してきたようなものです。私が懸命にバルザックを読み、フェルメールを見に美術館を足を運び、憂鬱なマーラーの音楽を聴いたのも、すべて彼の感化があったからです。海外旅行もそうです。
 

しかし、私とMNを結びつけていたのは何よりも文学でした。MNが40歳を過ぎても家庭教師を続けていたのは、それが天職といって良いほど彼に向いていた仕事だったからでもありますが、元はといえば彼が作家を志していたからです。
 

私とMNの関係も、私が書いた文章を彼が読み、一度会ってみないかと人を介して声をかけられたのが始まりでした。MNは、私を認めてくれた最初の人間でもあったのです。
 

(続く)
 

スリランカ。ゴール。