鳥の言葉を聴くー瞑想とマインドフルネスー11
 

以上が、私がヴィパッサナー瞑想を知ることになった経緯です。
 

1995年のデッドロックを飛び越え、ニューエイジムーヴメントに影響を受けた世代のMNが、20歳以上年の離れた私にヴィパッサナーを伝えた。
 

今では瞑想もマインドフルネスなどと呼ばれていて、できるビジネスマンこそ瞑想するのだというような話になっていますが、こちらは2005年の話です。
 

ちなみに、最近の流れを見てみると、爆発的に売れたスマナサーラ長老の新書「怒らないこと」が出たのが2006年で、グナラタナ長老の名著「マインドフルネス」の翻訳は2012年に出ています。
 

そう考えると、初期仏教とヴィパッサナー瞑想への一般的な関心が高まってくるのが2006年あたりからで、それが定着して、マインドフルネスがブームになるのが2012年より後のことになると思います。
 

ヨーガのブームが2005年あたりだとすると数年のずれがありますが、これはヨーガは今の日本では女性がするもののように見なされているところで、それに少し遅れてジョブズやイチローも実践しているというマインドフルネスが、男性のビジネスマン向けの一種のファッションとして売り出されたという面があるのかもしれません。
 

なお、日本におけるヴィパッサナー瞑想の受容については、「別冊サンガジャパン①実践!仏教瞑想ガイドブック」所収の、青野貴芳さんの「日本のヴィパッサナー瞑想史」が参考になるのでお薦めしておきます。
 

ところで、人は自分が実際に知らないものについてはイメージで判断するしかありませんが、2005年の段階では、瞑想のイメージといえばスマナサーラ長老やスティーブ・ジョブズではなく、はっきり言ってオウム真理教でした。
 

MNの話では、京都の山奥にその道場があって、10日間のコースで瞑想を教えてくれるという。彼は80年代に、まだセンターの建物すらない時期に一度そのコースを受けたことがあるということでした。
 

しかしこちらは、自分の先生の推薦なので頭から拒否するようなことはないものの、あまりぞっとしなかった。
 

私はMNの教養には感心していたけれども、彼の精神世界に関する造詣についてはほとんど無関心でした。正直に言って、カタカムナの音読が古典の勉強に本当に役に立ったのかどうか、今でも確信がありません。
 

彼がその種の話を始めても、私はたいてい話半分に聞くだけで、まあどんな事にも鋭いMNのことだから、古代文字なり月にも多少の意味ぐらいはあるのだろうと、それくらいに考えていました。
 

ヴィパッサナーについても同様で、白い道着を着た人たちが、薄暗いお堂のような場所で坐禅を組んでいるイメージは、どう考えても魅力的とは言えない。
 

ただ、こういう場合に多くの人が感じるであろう、「そんな場所に行ったら洗脳されてしまうのではないか」、という不安は私にはなかった。
 

私は昔から好奇心が強い方でしたし、ヨーガも知っていたし、それにある意味では、私はすでに睡眠薬に「洗脳」されていたわけですから…。
 

この話に私は乗り気にはなれませんでしたが、かといって拒否する理由もない。当時の私には時間だけはありました。
  

結局決め手になったのは、べつに瞑想に興味があるわけではないけれども、もしかしたらそこに行けば睡眠薬が止められるかもしれない、というその一念でした。
 

このあたりの記憶は曖昧なのですが、MNが私にコースへの参加を勧めたのも、もしかしたら同じ狙いがあったのかもしれません。
 

(続く)
  

スリランカ。アヌラーダプラ。