鳥の言葉を聴くーヴィパッサナー瞑想ー⑩
 

本当なら、私はこれより前に仕事場を追い出されていたとしても文句が言えなかったでしょう。それでも私がそこに居残っていたのは、薬のせいでこちらが鈍感になっていたためもありますが、MNがまだ私に望みをかけていたところがあったからだとも思います。
 

MNはやはり大人でしたから、神経質でやや病的で、世間知らずの学生の高慢さを無自覚に発散していた私を大目に見てくれていた。
 

おそらく、彼は私を買いかぶりすぎていたのです。若い私のうちに、作家としての可能性ーというより幻想ーを見て、すでに歳を取りすぎていた自分の夢を私に託そうとした面があったと思います。
 

とはいえ、「夢を託す」と言えば聞こえは良いし、あるいは職人の世界ではこうして技術が伝承されていくのかもしれませんが、文学ではこれは非常に難しい期待なのです。
 

今考えてみても、もし運が良ければ私も公式にデビューくらいはできたかもしれませんが、それも長続きはしなかったでしょう。
 

話がそれましたが、こういう具合で、私は文学=芸術こそすべてであり、人類の最高の遺産であり…というような、今からすると恥ずかしくなるくらいナイーヴな信念を持っていました。
 

しかし、MNが持っていた不可解な魅力は、たんに彼が本格的な教養人だったという点にあったわけではありません。それは彼がある種の世界に深く通じていたからで、その知識は大学の教授たちには求められない性質のものだったのです。
 

今から数年前、私がプライヴェートで使っているフェイスブックに、友達がシェアした記事が流れてきました。それは月の遠近ウェーブ表に関するレビューでした。ずいぶんシェアされていたので、記憶されている人もいるかもしれません。
 

その記事の筆者は私の知らない人でしたが、私はそのウェーブ表には見覚えがあって、調べてみるとやはり、私が以前MNの事務所で見たものと同じでした。レビューにもMNが紹介されていました。
 

また、最近スピリチュアルの世界ではカタカムナが大流行ですが、私はこれには苦笑してしまいます。というのも、MNは相似象学会の宇野多美恵さん(もう亡くなりましたが)と親しく、ほとんど弟子と言ってもいいくらいだったからです。
 

そのため、私は高校生の頃からカタカムナ文献を知っていましたし、MNが古典の授業をする時は、「ヒ・フ・ミ・ヨ・イ…」などと音読させられたものです。私は受験勉強にカタカムナ文献を使った学生だったのです。
 

今では、月の遠近ウェーブもカタカムナもポピュラーになってしまって珍しくもありませんが、MNはそれらをずっと前から研究していたし、その道の専門家と親しく付き合ってもいた。
 

だから私も、20歳になるより前から「この場所は波動が高い」とかなんとか、MNの口真似していたものです。彼はそういう、精神世界に通じた人間でもあった。
 

正確な記録はありませんが、たぶん2005年の6月頃だと思います、そのMNが私に、ヴィパッサナー瞑想のコースに参加してみてはどうかと言ってきたのは。
 

(続く)
 

スリランカ。ポロンナルワ遺跡。