前回に続いて、膠原病の患者さんたちの会での甲田先生のご講話を紹介します。
膠原病は一つの病態を指すのでなく、皮膚や靱帯、腱、骨、軟骨などを構成するコラーゲンに障害・炎症を生じる様々な疾患の総称で、女性が多く罹患されるようです。今回のご講話は、1998年8月1日、甲田医院の膠原病の患者さんたちの集まりでの甲田先生のお話の記録でが、患者さんたちの体験談や甲田先生の解説が大変興味深く、膠原病で苦しまれている方にとって、救いになるものと思います。
また、改めて拝読して、甲田先生が難病で苦しむ患者さんたちにとって、希望の灯火、漆黒の荒海の灯台であったことが思い起こされました。いま、その甲田先生はいらっしゃいませんが、幸いにして甲田療法のエッセンスをしっかり引き継がれた森美智代さんがいらっしゃいます。
膠原病や他の難病で苦しまれている方は森さんからアドバイスを得て、是非、西式甲田療法に取り組んでみてください。以下のお話がそのきっかけになれば幸いです。(以下健康の科学第83号より転載)
本年8月1日で私は74才の誕生日を無事迎える事が出きました。これは私にとっては本当に奇跡のようなもんですね。よくここまで長生き出来たなあと、いうのが実感です。これは何か神様が私に、この世でこれをやれという使命を与えられた。その結果、こうやって奇跡的に長生きさせて頂いたのだ、とそういうふうに受けとっております。そしてこれから残された命を、その使命を達成するために、全力投球をして行きたい、そういう覚悟で、今日の誕生日を迎えたということです。どうか皆さん、よろしくお願い申し上げます。
それでは、これから膠原病の座談会として進めさせて頂きましょう。こんなに暑い所で、施設は非常に貧しい所ですけれど、やっている事は、ホンマ物だと私は確信しております。21世紀はこのホンマ物が世に出る時代でございます。やがてこれが、日本国中に、いや世界の皆様に知って頂ける日が近いと、そんな夢を持ってやっております。
で、本日の膠原病の治療ですけれども、現代医学では治らない。結局、ステロイドという非常に副作用のきつい薬を使ってお茶を濁しております。その間に段々段々と生命力が低下して寝たきりになってしまう、そんな患者さんがいかに多いか。その場しのぎの薬の為に、犠牲になってゆく人がこんなに多いのです。この事を私は本当に残念に思っているわけです。
で、治る道はあるのか、それは、ここの健康法をやれば治るという事を確信を持って皆さんに申し上げたいのです。治らないという絶望感に陥った人達が、ここへお見えになるのです。ところがこの健康法で治っておられる姿がちらほら見えるではありませんか。それで、皆さんに、もっとハッキリと治る姿を見て頂こうじゃないか、それが今日の催しの第一番の私の気持ちなんです。
それと、もう一つは、甲田医院へ入院すれば色んな難病も治るかもわからんが、家へ帰ったらまた失敗するやないか、という声もあるわけです。
そこで入院しないで自宅でこの養生をずっと続けてどんな成果が上ったかを見て頂ければ、家庭でも治すことが出来るんだと、それが解ったら、本当に皆さん安心されると思います。「そうか、人院せんでも治るんやったら、私も一つ頑張ってみようか」と、自信をもって安心してこの健康法をやれるでしょう。必ず治るんだと、そういう希望を今日持って頂けたら、この座談会の初期の目的が一応達成されたことになります。
そんな意味で今日は沢山同病の方がお見えになってますね。膠原病の方、手を挙げて下さい。一人や二人じゃない、沢山おられますよ。
で、この中で少しでも良くなって来たなと、思う方、ちょっと手を挙げて下さい。ね、手が挙るんです。だから不治の病じゃないんだと。私はここで、皆さんに提案申し上げたいんですが、同病の励ます会を、この際に作っていったらどうか。これを今日、私は皆さんに、申し上げたいのです。
この会の後で膠原病克服の会とか作られて、今後はお互いに横の連絡を取ってゆく、それが非常に大きな励みになるだろうと思うのです。1人では仲々不安で、どうやっていいのか分らない。果して、これでいいのかなぁー。やっぱり私はもう治らないんじゃないかなぁー。「いやいや私のこの姿を見なさい。こんなに良くなって来てる」そんな大先輩の声を聞くと、本当に皆さん安心されるんですね。
ここには、もう20年近くにもなる大先輩がおられます。中道さんは一番古い方ですね。昭和55年頃ここへお見えになりました。病気は強皮症といって、難病の1種なんです。膠原病には、全身性エリテマトーデス、強皮症、多発性硬化症、多発性筋炎とか、そういったものがありますけど、どれも難病なんですね。お医者さんの所に行って検査を受け、膠原病と言われると、大抵は、プレドニンというような副腎皮質ホルモン剤を使われますが、そんなものをいくら使ったって治るものではございません。必ず生命力が段々段々と衰えていって、しまいには本当に寝たきりになるんですね。
中道さんも薬を使って現代医学的に治療をやろうとしたところ、この健康法に触れる縁ができ、それから生菜食という厳しい治療に入られたんです。それで見事にこうして健康になって、18年間学校にずっと勤めてこられたんですよ。そして無事に退職された。そんな経歴の方です。で、少し中道さんの方から、強皮症を克服する過程を話して頂きたいと思います。
中道さん
何から申し上げていいのか、今、膠原病の人は手を挙げなさい言われて、やっぱり上げないといかんのかなぁー、と思って、実のところ自分が病気をしていて、先生のお世話になって来た事は、もう忘れてしまってと言うか、殆んど全然感じない暮らしをしております。
私は1980年に公立の中学校に勤めてたんですけれども、そこで強皮症が分りました。その前から、おかしいな、おかしいな、と言ってたんですけど、その頃未だ膠原病の研究はそんなになされておりませんでしたから、家庭の医学とか見ましても載っていません。そういう時代でした。
その時に、今、友の会のお世話をしていらっしゃる中西(美代子)先生から、甲田先生にご縁を頂きまして、こちらへ参りました。それで、いわゆる副腎皮質ホルモン剤とか、何だとか、そういうものを使う前でしたから、最初からこの療法に出会えたんです。そして、余り現代医学の知識をもってなかったのが幸せというか、もうこの病気は難病で甲田先生しか治せる人は居らないという事を中西先生から言われて、仰る通りにやろうと心を決めましたので全然迷いませんでした。
こちらへ来たのは、忘れもしません、9月17日でした。それから完全な生菜食です。今やっておられるのはちょっと甘いですね。その当時は非常に厳しかったのです。先生がメニューを書いて下さいました。生物ばかり食べること。そして下の所には、上記の物以外一切口にするなという事が書いてありまして、こんな、世にもすさまじい食事があるのかと思いました。それまで全然、甲田先生の療法のことは存じ上げておりませんでしたものですから、もうびっくりしまして、息が止りそうでした。あの時のこと、今でも覚えてます。
そして、その日に、八尾で、もうこれが食べ収めかな、と思いまして忘れられないんですけど、おうどんを食べて帰りました(笑)。
そして生菜食をしながら健康法を実行し、学校を休んで頑張っておりました。こちら(甲田医院)では入院患者さんに毎朝、朝礼をなさいますから、先生が「聞きに来たら」という事で、9月の初診からお正月頃まで、毎朝、甲田学校に留学したと自分で思っておりますけど、毎朝こちらへ来ました。入院しておられる皆さんが食事療法を頑張ってやっておられるのに励まされて、こういう風な生活をしているとこんな病気になって行くんだなぁー。こういう風な事をやると治るんだな、と本当に勉強になりました。その結果、不思議にも病気は快方に向い翌年の9月に幸にも現場復帰することが出来たんです。
私の体験は「生菜食健康法24人の体験」にのっています。詳しくはそちらをお読み頂いたらと思います。その時は本当に一生懸命にやりました。そして勤めて丁度20年目でしたので辞めても何とか、年金のつく、ギリギリの所だってんですけれど、仕事も面白い時ですし、絶対辞めたくないと思いました。
先生、今はお優しいですけどその当時は本当に怖かったです。余計な物食べてたら、ちょっと指一本触れられたら分るんですよね、それで本当に悪い事出来ないと思ったものです。時々脱線したり、お目玉くらったりしながら、十ヶ月休んで復帰できました。それから1日1食になりましたね。お弁当持たずに1年位行ってましたかね、それでもまだ食べ過ぎと、いう事で、毎週金曜日は断食をするとか、3日か、4日位の断食を年に何回かやりました。20年目にそういう事があって後、28年勤めまして定年より1年早く余裕をもって、無理をしないで、と思って辞めました。
今、退職して3年目ですけど、本当に元気です。「あなた今でも青汁飲んでるの」とか、「今でも玄米やってるの?」とか、その頃をご存知の方が言われるのですけど、今は何もやっていないのです(笑)。先生にもこの間白状したんです。いよいよとなったら、これをやったらええ、というのが、ものすごく安心なんですね。「それでもいい」と言って下さっているんで。
それまではしっかり食べないかんとか、朝ごはん食べて行かなあかんとか、思ってましたけど、食べない方がいいんだと。気持ちがすごく楽なんです。もう、すっかり人生観や価値観なんかも変りました。本当に世の中の大事な物とは何だろうと考えてやってゆくうちに生き方も変りました。
私のこのお陰で家族も2食主義にしてしまいました。子供がその時、中学校と小学校でしたけど、2人共元気に育ちまして、今も2食主義をやっております。今はもう、あの時のような厳しい事はしてないんですけど、2食主義は貫いています。そして温冷浴は気持ちが良くて止められないんです。朝は必ず、どんなに忙しくても温冷浴。朝ごはん抜きですから楽です。水かぶって出たら終いですからね。
先生にお目にかかる前の20年と、後の16年との職業に対する考え方が全然違ってて、先生に出会ってから本物の教育が出来たような気がします。私の良くなってゆく様子を周りの人が見ていますので、「多分あの人はダメや」って皆で言ってたそうです。それが復帰して元気になっているのを見ましてね、学校で生菜食のグループが出来て経験した人が沢山います。それで又、子供達にも色々この健康法を教えたりして来ましたから、本当に幸せであったと思っています。
それでこの療法をやろうかどうか、と迷っておられる方も、実際にここへ来て、色々見たり聞いたりなさったら確信持ってやれますでしょう。人の話を聞いている丈だったり、又聞きなんかでしたらね、「ホンマかなぁー。」って思うでしょうが、実際に会って下さった方は、そんなに元気になるんだったら私もやってみようという風になりますから、できる丈本物をご覧になって下さい。私の以前を知っている人は「あんた生きてたん」て言いましたね。それ位 小さい時から体も弱かったのが無事に勤め上げる事が出来たのです。今は色々したい事貯め込んでありましたから、それをやりながら楽しく過ごしております。
何が参考になるか分らないですけども、とに角、おやりになる事です。出来る事から少しづつやってみるという手もあります。けれども、そんな事言ってたら、仲々出来ませんから、一気にタッとある期間おやりになる事をお奨めしております。勿論、反動も来ると思いますけど、やった時の快さみたいなのが忘れられないですからね。行きつ戻りつしながらでもいいと思います。私なんか本当に劣等生で、優等生の方、沢山いらっしやいますが、劣等生でもこの程度は良くなりますから。
先生に、「本当だったら3年から5年でダメな処だったんですよ」と後から言われました。〝死に至る病″と「暮しの手帳」には書いてあったそうです。「あんた後、百迄生きるのとちがうか」って、今言われる位元気にしております。本当にありがとうございました(拍手)
甲田先生
今の体験談のように、やる限りは徹底してやることです。一時的にでもね。膠原病というのは、やっぱり難病ですから、甘い考えではダメです。2年、3年、4年と、この療法を続けてゆく覚悟が必要です。1ヶ月、2ヶ月やって治るようなものではないですよ。その点は、腹決めて、最初からそれ位の時間を覚悟してやるという事ですね。
で、もっともっと長い間かかっている人もあります。それは東京の森山さんという人です。この方はもう13年間ずーっとこの養生法を続けておられるんです。森山さんの症例は38度~39度位の高い熱がずーっと続いて、それはもう大変なものでした。ここへお見えになって、普通は断食とか生菜食とか、厳しい養生法に入るんですけれども、非常に体質が悪いものですから、とても断食など出来るもんじゃない。ひどい冷え性で、冬なんかホームコタツの中に入ったまま出られないんです。寒がりで、もう本当にこんな強い陰性の方はないだろうと思う位の方でした。青汁そのものが飲めないんですね。そんな状態ですから、最初はもう5分粥と豆腐。ところが胃腸の吸収も悪いもんですから、45kgあった体重が段々減ってきまして33kgになってしまいました。身長は157m位で体重33kgです。
で、どうなるか、骨川筋子です。そうなると、一番困るのは、周りが非常にうるさいということですわ。「やせた、やせた」「あんた、こんなにやせて大丈夫か」と言うんですね。そこで患者さんも不安になってフラフラ迷ってしまい他の養生に走る方が案外多いんです。しかし森山さんの場合は、お父さんが医学部の教授さんです。この膠原病になってから、お父さんは、「これはもう一生治らん。何処へ言ってもあかんのや、やっぱり甲田先生にすがりつくしかない。だからこのままで一つ辛抱しろ」ということで33Kgのままでいった訳です。その33Kgの体重が3年間も続くんです。2ヶ月、3ヶ月ならええけど、3年間続いたらどうですか。ようついて来られたな、ようあそこで辛抱されたな、と思いますね。
お母さんは、もう何遍も心配になってきて、その都度、甲田先生の色んな本を全部読まれる。よし又もう一遍ついてゆこうかと。しかし、しばらくして、又心配になってくる、うちの娘これでええのかな。また本を読み返して、よし、やっぱり又ついてゆこうと、何遍も何遍も迷いながらついてこられたんですね。その後やっと34kgになり、35㎏になってきました。同じ食事でですよ、難病を治そうと思ったら、それ位のどん底をずーっとと通ってこなけりゃいけないんですね。もしあそこでやめていたら一生治らないですね。運命の別れ道なんです。
大抵の人はあの辺で方向転換しますね。「こりゃあかんで、こんなにやせてしもうて」となります。現代医学のお医者さんに相談してご覧なさい、言下に「そんなものやめとけ死んでしまうぞ」「何やってるんだ」とね。「いや朝ご飯抜いて玄米のお粥と豆腐です」「そんな事やってたら栄養失調で死んでしまうぞ」ときっと言われます。しかしお父さんは医学部の教授さんですけど、どこへ行っても治らないから、それでやむなくついて来られた。
それが35kg、36㎏、37㎏、40㎏、45㎏と上ってきたではありませんか。そこでやっと1日断食が出来るようになってきたんです。そして、青汁が、青泥が食べられる様になって来た、で、その断食を繰り返して、今度は2日断食が出来。3日断食が出来、今度は5日断食が出来る様になってきました。そして毎月断食が出来る様になってきたのです。こういう方法でボチボチと体質を変える様にしながらここへ甲田医院へ繋がっていく訳です。やがてもう熱も出なくなってきた、やっとプレドニン(副腎皮質ホルモン剤)の量を減らせるようになる。最初からやめる事は出来ないんです。使いながら徐々に減らしてゆく訳です。ものすごく気長にやらなきゃいかんのです。
それで、今度は生菜食も出来るようになってきた。陰性の体で青汁飲んでも腹が張って下痢をする体が生菜食も出来る陽性の体になったわけです。冬でももう暖房が要らなくなる。このように、10年かけてこの健康法を実行したらね、そんなに体質が変ってくるんです。今朝も電話がかかってきまして、お母さん、妹さんも皆この健康法をやって3人共断食をやっておられる。自宅でです。お父さんも青汁飲んで、水風呂に入って、一家揃ってやっておられる方なんです。
そのマリエさんは、治ったら、今迄ずーっと書いてきた日記をまとめて、ドキュメンタリーの「膠原病はこうして治るんだ」という本を書く事を夢に描いてやっておられるのです。さあ皆さん、難病でも治ってくるんです。後はどこまでもやり続ける事が出来るかという根気です。それは信念。「私はこの病気を治したら、困っている人を救うために、命をかけて活動をやりたいんだ。私がこの病気になったのは、この膠原病の患者さん達を救う為に神様から与えられたんだ。」そんな気持ちが今マリエさんにあるわけですね。
今一人、群馬県にAさんていう娘さん(大学生)が、膠原病(リウマチ)で、この健康法をやっておられます。ものすごいです。それまではずーっと痛み止めの薬を使ってこられた。しかし、副作用があるというのでやめられた。やめると熱がずーっと続く、また痛くて全然動けない。寝返りも出来ないくらいになってしまった。金魚運動とか毛管運動も出来ない。温冷浴にしても、お父さんが抱っこしてやられるんです。当初は、薬をやめて果して本当に治るのかと不安な気持もありましたが、少しずつ快方に向い4年経ったら痛みが、ほとんど取れて来ました。だから皆さん、そこ迄やるんですな。家で毎月断食やってる人もおられるんです。後5年経ったら富士山へも登る、それが今、その人の夢です。そこ迄治ってきたんです。で、とにかく、断食が出来るようになりましたら鬼に金棒です。どんな膠原病でも治ってきます。こんなに大きな関節になっていてもね、断食やったら普通の関節に戻ってきます。
大阪にもMちゃんがいます。Mちゃんも、たちの悪いリューマチで、お父さんにおんぶしてもらってここへ来られたんです。ところが、痛んで痛んで診察室へ寝かせるのが大変なんです。ちょっと触ったら「痛たっ」て言う位ですからもう触る事も出来ない。そんな状態でずっと少食でこの養生をやっておられます。結局、決め手は少食です。Mちゃんも体重が一時26㎏になった。一遍、皆さんも26㎏になってみなさい。どうなるか。
それで、ある時、風邪をひいて近所の病院へ行ったら、びっくりされたんです。26㎏ですからね。「どないしたんじゃ」、で「実は八尾の甲田先生の所でこんな事やってる」「そんな藪医者にかかったら死んでしまうぞ」と。そりゃあそうです。26㎏ですからね。ところが少食と一日断食をぼちぼちやっている中に宿便がどんどん出て来たんです。すると急速に体調が変ってしまいました。そして段々と太ってきて今47㎏です。そこで断食を1週間やりましたが、痛みが全然ないんです。問題は、この大きな関節です。ズボンがはけない位腫れている。軟骨も壊れている。いわゆる融けてしまってる。硬直したまま動かない。
現代医学ではこのような症例には人工関節を入れるんです。「先生このような関節の硬直でも治りますのか」「一遍やってみましょうやないか」。で、毎月の一週間断食をくりかえしてきました。これで関節が自己融解してくる。融けた所で、動かす練習をやる。すると足が、だんだんと動いてくる。腫れが減ってくる。大きな関節が徐々に小さくなる。そうすると、動けるようになる。立てるようになる。元の関節に戻ってくる。断食には考えられないような効果があるんです。「よし、Mちゃんこの調子ならマラソンも出来るようになるで」。お薬も使わずに、断食と少食でもって元の健康な関節に戻る事が出来る。
今のAさんにしてもそうです。重症でも治る可能性があるのです。皆さん方まだまだ軽いです。しかし、それには皆な33㎏とか26㎏とか、地獄をくぐって来るんです。それにはどこまでも「信」です。迷うな、私を信じてついていらっしゃい。これです。大抵の人は「どれ位やったら治りますか」と、心の中では3ヶ月とか、2ヶ月とか思ってるんですよね。こちらは3年とか5年とか考えているのにね。だけど最初から5年て言ったら来ませんから、まあちょっとやってみましょうと、お茶を濁しながら引っぱって来る訳です。これ、なかなかむつかしいことですね。結局、長引いたらやっぱり不満。しかし「まだ治らん」、「まだ治らん」って言ってる人は、あきません。少しでも良くなった所を喜ぶ。ここが一番大事な事です。
患者さんには、2つのタイプがあるんです。こちらの方は「お陰様で痛みが少し楽になって来ました」「他はどうですか」と尋ねたら「未だ色々と症状はありますけど、楽になってきました。」と喜こんで答えられます。一方こっちのタイプは「まだ腹が張って苦しい」と、「痛みはどうや」と言うと、「ちょっと楽になってきました」と、それをなぜ先に言わんのか、というんです。それ言わないで、「まだ…」。この2つのタイプで病気の治り方が全然違います。答えの様子を見ると、どちらのタイプかすぐに分りますね。
だから皆さん良くなった所を喜ぶ。治ってきたという喜びが「勇み心」となって病気を治す大きな原動力になるのです。「まだ…」「まだ…」ばっかり言ってるとだめです。1年も2年も三年も毎日そんな事ばかり言ってたら家はもう地獄です。暗いですね。私も夕方そんな入院患者さんの部屋に入るの嫌になります。暗い雰囲気が充満してますから。こういう人は周りの人まで嫌な思いをさせて不幸にすると思うんです。これが病人の非常に大きな問題です。難病を治すためには何年もかかる事を覚悟して、少しでもよくなった所を喜びながら養生する。そうすると周りの人も「良かったなぁ、もっとしっかりやれよ」となります。ところが「まだや、まだや」とか言ってたら、「もうやめとけ」となりますがな。やっぱり、皆さんが自分で一番やり易い雰囲気に作り上げていかないといかんのです。
これは自分の運命を変えて行く為には非常に大事な事です。この膠原病というものは、自分の運命を変える大きな問題になるだろうと言えるでしょう。克服された方は、人間が出来てきます。ああ、神様がね、私という人間を本当に一人前にする為にこの病気を与えられたのだなぁー。 「病気のお陰で私はここ迄、人間的に成長することが出来たんです」と仰しゃる患者さん。やっぱり受け止め方ですね。大抵の方は、何で私だけがこんな不幸になってしまったかって、そういう風に考えておられる。とんでもない大きな間違いです。それでは一生運命は開けないんです。
現代医学が、何で膠原病を難病にしているかと言うと栄養学が間違っているからだと思います。ここでやっている事は現代医学とは違った栄養学でやってますから、だから治るんです。少食で治るものを栄養を摂るという観念で食べるでしょう。その結果、宿便が出なかったらどうして治るのか、宿便を出す為には、少食が必要です。体重が減ってくるのは当然の一つの過程なんです。現代医学ではそれをやらないんです。それで一時的に薬を使ってごまかす。それでは一生治らないはずです。少食になって始めて治る。
中西先生も膠原病で困って来られたんです。少食・断食・生菜食、それを何十遍も繰り返しながら、ここまで来られたんです。そういう事をやらないと治らないんだという事を頭に入れてほしい訳です。中西先生お話しして下さい。
中西先生
こんにちは、私も膠原病と言われてから20年以上になります。ステロイドは怖いから、甲田先生の所でこの療法をやらせて頂きたいと、お世話になったのが昭和52年でございました。それまでには、何回も入退院の繰り返しだったんですけれども。私も最初は青汁を飲んだ丈で震えがくるような陰性の体質だったんですね。青汁一杯で大変だったんですけれども、甲田先生の所で2年間、3ヶ月間を1年おきに入院させて頂いた訳です。最初の3ヶ月は1日も断食出来ない体でしたが、次の入院から出来る様になりました。
甲田先生は、「中西先生のおなかは打出の小槌みたいや」と言われたんですよ。それ位、便がいっぱい出たんです。私もずっと便秘症でした。中学校の教師をしていまして、修学旅行で、2日も3日もついて行く時、1回も便通がありませんでした。便所に行くの大変だから便利やなぁって思ってたんです。それが結局は便を出さなきゃいけないという事になったんですね。そして頂いた処方は、玄米五勺、お豆腐、お魚がつきました。毎日そのお食事を守りました。弁当は小さいタッパーに、一杯のご飯とお魚を入れて持って行ったんですが、「あんた何日でも鯛食べとんのやな」と言われて「少ししか食べないから一匹の鯛が何日でも食べられるんです」ってお話した事あります。
そんな少食を2年間、本当に真面目に続けてきました。そして、今はお陰様で先生の所と、友の会でずっとお手伝いさせて頂いてます。病気は男の人の病む病気以外は、何でも、という位の病気をしながらついに膠原病になってしまったわけです。こうやって元気になってしまうと今迄の病気、本当にあったんかなぁ、と思う位です。
お蔭様でこんなに元気にさせて頂いて本当に有難いと思います。で、今の状態は大体その日に寝ることはないんです。12時過ぎてから忙しい時は、朝3時頃まで仕事して、それでも朝6時には、パッと起きられる状態です。何て言いますか、私の前世では、たぶん働かなかったんやろうと思います。その反動で生れ変った私が働かなきゃいけないんじゃないかという位に60歳過ぎてから元気にさせて頂きました。今、77才、80才近くなるんですけれども、3つ、4つの仕事をこなしているような状況になってます。で、朝起きると必ず便が出るんです。月曜日の朝礼に、8時にこちらへ入るんですけど、それまでに絶対に3回は便が出るんです。
甲田先生
重症の膠原病でもこうして治って来るんです。比較的楽な治り方ですね。食べ物でも、ちょっとちゃらんぽらんやっている時もあったけれども、それでも(笑)、治ってくる時は治る。だから皆さん、取り越し苦労せずに、おまかせの気持ちでやれば非常に結果が良くなるんだと、これ丈をずっと想って頂きたいですね。比較的、新しい患者さんで、それでもこんなに効果が上っている、そんな体験を話して頂きます。
市場さん
こんにちは、私はこちらに寄せて頂いて、まだ4ヶ月なんです。三重県の松阪市から来ています。用があって連続3日大阪通いをしていますけれど、お陰様でこうしてやって来れて良かったなあと、思っています(笑)。先生からは、玄米、お豆腐、そして煮野菜の指示を頂きました。まだ断食の許可は出ていません。で、金魚運動、温冷浴、をやっております。実は、朝起きがそれまですごく苦手だったんです。朝ここに8時か9時に来ようと思うと、5時に起きて、夫の弁当作って出て来ますけれど、とてもじゃないけれど、この療法する迄はちょっと無理でしたね。前の日に、草抜きをしたり、スーパーで重い荷物を持ったりすると、朝、痛くて、ズキズキして、手が上がらない位、タオルケットを取り払う事が出来ない位痛かったのです。それが今なくなって来たんです。睡眠時間も少なくて済むようになった事など、本当に有難いです。先生にご報告したんですけど、大体1食分を1日で食べてると思う位、胃が小さくなってきましたね。で、夫も、私の様にはゆきませんけれど、なるべく近いものをと、玄米とお豆腐、煮野菜もしくは生野菜という感じでお弁当を持って行ってます。
私、実は膠原病友の会の大阪ブロックの役員と、奈良に3年前まで住んでましたので支部長をしてたんですけれど、こちらと雰囲気が違うのは、やっぱり先生の人生に対する姿勢っていうんでしょうか。あちらの会は一応公のものですからそこに宗教、心の持ち方とか、神様とかは持ち出せない訳です。でも私は人生において、「自分は本当に小さい存在で生かされて、生きてるんだ」って事を、それを感じて生きてるかどうか大きいじゃないのかなって思ってるんです。甲田先生も御本に、いっぱいそういう事を書いておられます。
ここにコップに水が半分入ったとして、もう半分しかないって思うのか、半分もあるわと思うのとではその差が大きいって本当にそうですね。ここ迄元気になる事が出来て、あー、何て嬉しいなあ、痛みが楽になったと思うのと、まだしんどいわ、というのではホルモンの出方が全然違うそうです。嬉しいと思えば良いホルモンが一杯でて、もっと元気になるし、しんどいなぁ、と思ったら、悪いホルモンが一杯でて、周りに毒になって散らばってゆきますよね。私はなるべく病気の毒素を他の人にまき散らしたくない。そのような人間でありたいと思っています。
病気をしたことによって気付かせて頂いた事が一杯あるわけですから、それに感謝すべきです。ここで甲田先生に出会えた方は本当にすばらしい幸運な方だと思います。私は十年前に発病しまして、実を言うと99%棺桶に足をつっこんでいる状況だったんです。危篤状態で、救急車で病院へ運ばれました。そして否応なしに溶血性貧血が始っているからと輸血はする、ステロイドも入る、で、それからもう10年近くステロイドを飲んできています。けれども、甲田先生にまだ、ご縁がなかったものですから、自分なりに色んな事を努力してきて、ある程度は元気になってきたんですけど、この冬、夫が入院しまして一緒に病院にいたのですが、夫はインフルエンザが流行っても全然かからない。一方私は40℃の熱を出すという感じで、その時、ステロイドを切りたいな、これは断食しかないなと思って甲田先生の門を叩いたのが3月27日でした。だからまだ本当に未熟で大した事も出来ませんけれども、私に出来る事だったら何でもさせて頂きますって先生にお話ししています。
家に最近電気工事に見えた方の従弟さんともう一人身内の方が膠原病ということでした。あっちでも、こっちでも最近はものすごく増えてきましたね。やっぱり、めちゃくちゃな世の中になってきたなあって思います。皆さんも頑張って頂いて、私も導いて頂いて、共に励まし合って行けたら嬉しいなと、思います。ありがとうございました。
甲田先生
今の体験談でも分りますように、心の持ち方が非常に大きな鍵なわけです。想いというものは自分の運命を変える事になるんだと、そういう気持ちで一つ真剣に考えて頂きたいと思います。その為には、やはり仲間がほしい、仲間を見ながら自分を変えてゆく、そういう意味で膠原病克服の会をこの際作られたらいいと思います。今の市場さんに世話人としてやって頂けたらと思うのですが、賛成の方(手が上る)では一つ市場さんお願いしますね。菩薩行なさる方が布施の行をやりながら、一緒に健康になってゆく。そして沢山の悩んでいる方々を救ってあげて頂きたいと思います。
最大の原因となる宿便がたまるような飽食、美食の世の中では当然膠原病もこれからますます増えて来ます。私は絶対間違いないと思います。そこで皆さんが団結してそういう病人さん達に希望の光を与えて頂けたら有難いなあと。今日を一つのいい記念にして膠原病克服の会を作って頂くようお願い致します。どうも長い間有難うございました。(転載おわり)
以上が甲田先生のご講話ですが、西式健康法や甲田療法をご存じない方に、ここから読まれたら良いと思う書籍を紹介しておきます。
最初は甲田先生のご遺作で「甲田メソッドの決定的総集編」と副題がある以下です。
ついで森美智代さんのご本です。
また今回のご講話にも出てきた体験談集です。
膠原病やリューマチに関しては下のブログでも、甲田先生のお話や患者さんの体験談を紹介していますので、合わせて参考にしてください。
今日の記事がお役に立てば幸いです。